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  • # 熱血
の検索結果:61件
  1. 熊沢蕃山(くまざわ ばんざん)

    藩主を支え地域発展に尽くした 熊沢蕃山 くまざわ ばんざん

    岡山県備前市
    マンガ家:短編マンガ監修 森熊男、マンガ さいわい徹
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    熊沢蕃山(くまざわ ばんざん)は、江戸時代初期元和5年(1619年)京都に生まれ、16歳から岡山藩主池田光政に仕えました。20歳で岡山藩を退き陽明学者中江藤樹の弟子として学問に励み、27歳で再び岡山藩に仕え、洪水復興・凶作対策として治山治水事業、飢饉の窮民対策事業で活躍しました。39歳で備前市(旧蕃山村)に隠居した後も、光政と閑谷学校創立に繋がる庶民教育事業や新田開発で地域の発展に貢献しました。

  2. 中原芳煙(なかはら ほうえん)

    ふるさとを愛した日本画家 中原芳煙 なかはら ほうえん

    島根県美郷町
    マンガ家:監修 神英雄、シナリオ 伊藤ユキ子、マンガ 小村博明
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    中原芳煙(なかはら ほうえん)は、明治8年(1875年)島根県都賀行村(現美郷町)に生まれ、幼少期から身近な動植物の絵を描きながら育ち、東京美術学校(現東京藝術大学)に進みました。同校日本画科を首席で卒業した後、宮内省で正倉院の御物整理を担当したり、審美書院で古今諸派の技法を習得したりすることで画技を磨き、「鹿の絵」など故郷の風景をちりばめた写実的で優しいタッチの動植物画が高く評価されています。

  3. 豊田太蔵(とよだ たぞう)

    私財を投じ教育に一生を捧げた 豊田太蔵 とよだ たぞう

    鳥取県北栄町
    マンガ家:原作 松本薫、マンガ 長谷川万桜・前美里・寺西竜也
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    豊田太蔵(とよだ たぞう)は、幕末安政3年(1856年)伯耆国鳥取藩由良宿(現鳥取県北栄町)に生まれ、由良村議会議員・由良村長・県会議員などを務めながら、明治40年(1907年)私財を投じて私塾「育英黌」を開き、大正3年(1914年)山陰地方初の私立中学校「由良育英中学校」(現県立鳥取中央育英高等学校)を開校しました。郷土の教育に一生を捧げた太蔵の生涯は、松本薫の小説「ばんとう」に描かれました。

  4. 加藤文太郎(かとう ぶんたろう)

    孤高の登山家 加藤文太郎 かとう ぶんたろう

    兵庫県新温泉町
    マンガ家:中澤大作
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    加藤文太郎(かとう ぶんたろう)は、明治38年(1905年)兵庫県美方郡浜坂町(現新温泉町)に生まれ、神戸市の三菱内燃機製作所に入社。仕事をしながら学校に通い、1932年技術者の最高位“技師”に昇進しました。入社当時から神戸の外国人の影響で流行し始めた登山に熱中し、パーティー登山が常識の時代、単独行で次々と登攀記録を立て「単独行の文太郎」と呼ばれ、新田次郎の小説「孤高の人」のモデルとなりました。

  5. 曽田梅太郎(そだ うめたろう)

    黒板コンパスを発明した教育者 曽田梅太郎 そだ うめたろう

    愛知県豊川市
    マンガ家:監修 今泉孝之、マンガ からたちはじめ
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    曽田梅太郎さん(そだ うめたろう)は、明治19年(1886年)愛知県宝飯郡穂野原村(現豊川市)に生まれ、広島高等師範学校へ進み、教科書の執筆や広島高等師範学校教授、雑誌「学校数学」創刊など数学教育に力を注ぎました。また、黒板用コンパスなど教育用具の発明、欧米の数学教育を学ぶ世界一周の旅を行い、数学教育のみならず学校運営全般について、昭和48年(1973年)87歳で亡くなるまで教育に取組みました。

  6. 前田青邨(まえだ せいそん)

    中津川が生んだ日本画の巨匠 前田青邨 まえだ せいそん

    岐阜県中津川市
    マンガ家:島崎朝子
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    前田青邨さん(まえだ せいそん)は、明治18年(1885年)中山道の宿場町中津川村(現中津川市)に生まれ、幼少期から絵の才能を現し16歳で上京して伝統的な日本絵画を学び、歴史画から肖像画・花鳥画など幅広く描き、広く海外にも知られました。また、晩年は法隆寺金堂壁画再現事業・高松塚古墳壁画模写事業など文化財保護にも貢献しました。92歳で亡くなるまで画を描き続け、文化勲章を受章した日本画の巨匠です。

  7. 加藤正治(かとう まさはる)

    日本の近代化を進めた法学者 加藤正治 かとう まさはる

    長野県生坂村
    マンガ家:作編集 安斎高志、絵 渋沢恵美
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    加藤正治さん(かとう まさはる)は、明治4年(1871年)長野県生坂村に生まれ、明治32年(1899年)民事訴訟法・破産法・海法研究のためドイツ・フランスに留学。明治36年欧州から帰国すると東京帝大法科教授、中央大学講師、中央大学初代総長を務めた法学者です。加藤正治は、大学で教えるだけでなく破産法や民事訴訟法など重要な法律の立法、枢密院顧問官として日本国憲法の審議など日本の法整備に貢献しました。

  8. 有田八郎(ありた はちろう)

    何より平和を願った政治家 有田八郎 ありた はちろう

    新潟県佐渡市
    マンガ家:シカクメガネ
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    有田八郎さん(ありた はちろう)は、明治17年(1884年)新潟県佐渡郡真野村(現佐渡市)に生まれ、明治42年(1909年)外務省入省、外務次官、中国大使を歴任しました。昭和初期、経済と国際社会の混乱を背景に軍が台頭し戦雲が濃くなる中でも、八郎は戦争に反対し続けました。外務大臣を4度務め、天皇に太平洋戦争の早期終結を上奏、戦後もソ連に抑留された日本人の引揚げに尽力するなど平和を愛した政治家です。

  9. 畠山重忠(はたけやま しげただ)

    鎌倉武士の鏡と称えられた 畠山重忠 はたけやま しげただ

    埼玉県嵐山町
    マンガ家:シナリオ 植木弘、マンガ 田畑沙雪・KR杉山ジョー
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    畠山重忠(はたけやま しげただ)は、平安時代末期の長寛2年(1164年)桓武平氏の畠山家に生まれ、武蔵国菅谷(現埼玉県嵐山町)に館を構えました。重忠は、源頼朝に仕え、源平の戦い、木曽義仲追討、源義経を追って平泉の藤原氏と戦った奥州合戦などで戦功を挙げ、草創期の鎌倉幕府の有力御家人として活躍しました。武芸に秀でるだけでなく、公正で誠実な人柄、知略、教養に優れ「鎌倉武士の鏡」と讃えられました。

  10. 中島撫山(なかじま ぶざん)

    学校を開き、人材を育てた 中島撫山 なかじま ぶざん

    埼玉県久喜市
    マンガ家:監修 村山𠮷廣、マンガ 阿崎桃子
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    中島撫山(なかじまぶざん)は、文政12年(1829年)江戸に生まれ、安政5年(1858年)私塾「演孔堂」を開き、明治維新を経て久喜本町(現埼玉県久喜市)に移り、明治3年(1870年)に私塾「演孔堂」を再開、学制公布に伴い明治6年(1873年)に私立学校「幸魂教舎」を開校し、地域の教育に尽力して多くの人材を育てました。
    また孫の「中島敦」は、撫山が晩年暮らした久喜新町宅で幼少期を過ごしました。

  11. 田中友三郎(たなか ともさぶろう)

    笠間焼中興の祖 田中友三郎 たなか ともさぶろう

    茨城県笠間市
    マンガ家:シナリオ 矢口圭二、マンガ 稲田ちゃこ
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    田中友三郎(たなか ともさぶろう)は、江戸時代後期天保10年(1839年)美濃国(現岐阜県)に生まれ、江戸に出て陶器の行商を始め、江戸に近い常陸国笠間地方(現茨城県笠間市)の窯場を開拓しました。明治2年(1869年)友三郎は笠間に移住し、自ら陶器作りを始め「笠間焼」の名で全国に売り出すと共に、陶器製造組合や陶器伝習所を設立して、窯業者の助け合いと陶工の技術向上に努め「笠間焼」の振興に貢献しました。

  12. 高橋進太郎、村山格一郎(たかはし しんたろう、むらやま かくいちろう)

    南洋パラオと東北を繋ぐ開拓記 高橋進太郎、村山格一郎 たかはし しんたろう、むらやま かくいちろう

    宮城県蔵王町
    マンガ家:原作 松浦まどか、作画 朝戸ころも
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    宮城県蔵王町の北原尾(きたはらお)地区は、太平洋戦争後の1946年パラオからの引き揚げ者の入植地として開拓が始まりました。元南洋庁拓殖部長高橋進太郎さん、同部村山格一郎さん達の尽力と、32戸の入植者が努力した結果、酪農で成功しました。2001年パラオ共和国トミー・レメンゲサウ大統領の蔵王町訪問を機に、子どもたち相互の訪問事業、東京オリンピックパラオ選手団ホストタウンなどの国際交流が続いています。