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戦後の沖縄に豚を贈ったハワイ移民 安慶名良信 あげな りょうしん
沖縄県うるま市マンガ家:喜名常稀沖縄県では戦前10万頭以上の豚が飼育されていましたが、戦禍でほとんどいなくなりました。昭和23年(1948年)沖縄出身のハワイ移民が、募金で購入した豚を貨物船に積み、米国西海岸から約1ヵ月の航海の末、勝連平敷屋(現うるま市勝連ホワイトビーチ)に届けました。届いた550頭の豚は県内市町村に公平に分配され、2年後には10万頭に増えて食糧事情は改善され、養豚業も復活し沖縄の豚食文化の礎となりました。
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日本初、国産機で世界一周した 中尾純利 なかお すみとし
鹿児島県阿久根市マンガ家:原案 春野洋治郎、マンガ作画 青梨中尾純利さん(なかお すみとし)は、明治36年(1903年)鹿児島県出水郡阿久根村(現阿久根市)に生まれ、大正10年(1921年)陸軍航空学校民間機操縦士受入れ第1期生として入校、三菱重工業のテストパイロットになりました。昭和14年(1939年)国産機「ニッポン号」で5大陸20か国を巡る世界一周親善飛行に成功。戦後昭和27年(1952年)東京国際空港初代空港長となリ民間航空の発展に貢献しました。
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水俣病や公害問題に取組んだ医師 原田正純 はらだ まさずみ
鹿児島県さつま町マンガ家:みずもとみほ原田正純さん(はらだ まさずみ)は、昭和9年(1934年)長崎県で生まれ熊本で暮らしていましたが、空襲で母を亡くし父の実家の鹿児島県宮之城町(現さつま町)で幼少期を過ごしました。のちに熊本大学医学部に進み昭和36年(1961年)水俣病の調査を始めました。原田医師は、患者の立場から診断と研究を行い、被害者救済と原因究明のため尽力しました。その後も各地の環境公害被害について調査し世界に訴えました。
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童話の普及と後進作家育成に貢献 後藤楢根 ごとう ならね
大分県由布市マンガ家:原作 二宮寿、作画 一尾和史後藤楢根さん(ごとう ならね)は、明治41年(1908年)大分県挟間町(現由布市挟間町)に生まれ、昭和2年(1927年)大分師範学校在学中に月刊「童謡詩人」を発行、その後小学校教師として童謡運動を行い、昭和13年上京して新聞社に勤務しながら多くの童話童謡を出版しました。終戦の翌年昭和21年に日本童話会を設立、機関誌「童話」から佐藤さとる、那須正幹などの後進が育ち、童話の普及と発展に貢献しました。
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日本の石油産業と故郷に貢献した 出光佐三 いでみつ さぞう
福岡県宗像市マンガ家:飯田晴子出光佐三さん(いでみつ さぞう)は、明治18年(1885年)福岡県宗像郡赤間村(現宗像市赤間)に生まれ、幼少期から病と闘いながら成長し、明治44年(1911年)福岡県門司市(現北九州市門司区)に石油などを扱う出光商会を設立。戦前戦後にわたり日本の石油産業に貢献しました。生涯最後の仕事として「宗像神社再建」にも取り組み、世界遺産登録の礎を築きました。
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世界のタンゲと呼ばれた建築家 丹下健三 たんげ けんぞう
愛媛県今治市マンガ家:原案・監修 豊川斎赫、マンガ 愛馬広秋丹下健三さん(たんげ けんぞう)は、大正2年(1913年)大阪府堺市に生まれ、生後間もなく中国に渡り、大正9年(1920年)父の出身地である愛媛県今治市に帰国、昭和10年(1935年)東京帝国大学(現東京大学)工学部建築科に入学、同大学院卒業後から昭和49年(1974年)まで、東京大学で教鞭をとり「丹下研究室」を主宰。その建築・都市計画は、世界的に高い評価を得て「世界のタンゲ」と呼ばれています。
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博士になった丁稚どん 谷崎義男(鱗海) たにざき よしお(りんかい)
徳島県那賀町マンガ家:原作 原田一美、マンガ 花都ゆう谷崎義男さん(たにざき よしお)は、1907年(明治40年)徳島県相生村(現那賀町)に生まれ、子供の頃からアユ釣り名人と知られましたが、釣りばかりしているため12歳で徳島市に丁稚奉公に出されました。奉公先で「勉強の楽しさ、ありがたさ」を痛感し、独立開業後も勉強を続け、難関の「高等文官試験」に合格。更に生涯をかけてアユの生態調査に尽力、1966年(昭和41年)京都大学から理学博士を授与されました。
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青春の作詞家 大津あきら おおつ あきら
山口県長門市マンガ家:マンガ 広中建次、シナリオ協力 大井徳三大津あきらさん(おおつ あきら)は、昭和25年(1950年)山口県長門市に生まれ、慶応大学進学後つかこうへい劇団の劇中歌の作詞や作曲を手がけ、昭和57年(1982年)中村雅俊「心の色」で第15回日本作詩大賞大衆賞を受賞、以降作詞家として活動し、髙橋真梨子、矢沢永吉、中森明菜等の歌謡曲、超獣戦隊ライブマン、特救指令ソルブレイン、太陽の勇者ファイバード等の特撮・アニメ主題歌に多くの作品を残しました。
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故郷を思いトンネルを開通させた 畝為吉 うね ためきち
広島県坂町マンガ家:シナリオ・作画 藤川悠希 倉田舞畝為吉さん(うね ためきち)は、明治22年(1889年)広島県安芸郡坂村(現坂町)に生まれ、細く険しい西嶽峠の通行に苦労する村人のため、14歳でトンネルの開削を思いつきました。為吉は、明治39年(1906年)16歳で単身ハワイにわたり苦労の末成功し、昭和24年(1949年)60歳で帰郷、自らスコップを持ち村人と一緒に工事を始め、昭和26年に1年4ヵ月の工期と私財を費やしてトンネルが完成しました。
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東京丸ノ内を再開発した実業家 渡辺武次郎 わたなべ たけじろう
岡山県矢掛町マンガ家:南一平渡邊武次郎さん(わたなべ たけじろう)は、明治27年(1894年)岡山県矢掛町に生まれ、大正9年(1918年)三菱合資会社に入社、1937年三菱地所株式会社の設立に伴い転籍し、社長や会長・相談役を務めました。昭和34年(1959年)三菱地所の社長となった武次郎は、創業初期の三菱社が荒れ地から開発した「丸の内オフィス街」の再開発「丸ノ内総合改造計画」を策定・指揮し、三菱地所中興の祖と呼ばれました。
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東京タワーをつくった人 内藤多仲 ないとう たちゅう
山梨県南アルプス市マンガ家:原作 江宮隆之、マンガ 花松あやか、監修 内藤多四郎 山田眞内藤多仲さん(ないとう たちゅう)は、明治19年(1886年)山梨県中巨摩郡榊村(現南アルプス市)に生まれた建築構造学者、建築家です。「耐震構造」という地震が起きても建物が壊れにくくなる仕組みを考え、「耐震構造の父」と称されました。また、東京タワーなど多くの塔を設計したことから「塔博士」とも呼ばれています。
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今も愛される名作を生んだ作詩家 丘灯至夫 おか としお
福島県小野町マンガ家:シナリオ 高見沢功、マンガ 吉川むつみ丘 灯至夫さん(おか としお)は、大正6年(1917年)福島県小野新町(現小野町)に生まれ。詩人・西條八十に師事し、昭和24年(1949年)からは日本コロムビア専属作詩家となり「高校三年生」「高原列車は行く」「ハクション大魔王のうた」など数多くの作品を生み出しました。歌謡曲やアニメソングのほか詩吟も手がけ、生涯にわたり美しい日本語を伝え続けたその作品は、今も多くの人に親しまれ口ずさまれています。
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