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塙町を築いた最初の町長 白石禎美 しらいし ていみ
福島県塙町マンガ家:ico. 最上陽幸白石禎美さん(しらいし ていみ)は、明治13年(1880年)福島県東白川郡笹原村(現塙町)に生まれ、金融業、林業、電力会社などを起こして産業発展に務めると共に、福島県議会議員・初代塙町長を務め政治でも活躍しました。また、自分の土地や資金を提供して、鉄道敷設(現JR水郡線)・道路整備(現国道118号)・病院(現塙厚生病院)・高等学校(塙工業高校)などの誘致・開設に尽力し、地域の発展に貢献しました。
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107歳の生涯を木彫に捧げた 平櫛田中 ひらくし でんちゅう
岡山県井原市マンガ家:南一平平櫛田中(ひらくし でんちゅう)さんは、明治5年(1872年)岡山県後月郡西江原村(現井原市)に生まれ、21歳で大阪の人形師に弟子入りし伝統的な木彫技術を学んだ後、岡倉天心に教えを受けました。昭和19年東京美術学校(現東京芸術大学)教授就任、昭和54年(1979年)107歳で生涯を終えるまで活躍した彫刻家です。六代目尾上菊五郎をモデルに22年かけて完成した「鏡獅子」は傑作として知られています。
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「現代詩の母」と呼ばれる詩人 永瀬清子 ながせ きよこ
岡山県赤磐市マンガ家:マンガ 藤井敬士、シナリオ 和田静夫永瀬清子さん(ながせ きよこ)は、明治39年(1906年)岡山県赤磐郡豊田村(現赤磐市)に生まれ、17歳の頃に詩人を志し、昭和5年(1930年)24歳で第1詩集を刊行、生涯現役を貫き「現代詩の母」と呼ばれています。
また、現在の岡山県詩人協会を設立し後進の育成に努め、岡山家庭裁判所調停委員、世界連邦都市岡山県協議会事務局などで社会活動も行いました。- # 現代(19)
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炎を宿した彫刻家 辻晉堂 つじ しんどう
鳥取県伯耆町マンガ家:寺西竜也辻晉堂さん(つじしんどう)は、明治43年(1910年)鳥取県日野郡二部村(現伯耆町)に生まれ、昭和10年(1935年)第22回院展で受賞し、木彫作家として高い評価を受けました。戦後昭和24年(1949年)京都市立美術大学教授に就任、セメント・石膏・ブロンズなどを使った抽象彫刻の制作を始め、昭和30年代からは陶土を使い登り窯で焼成する「陶彫」による抽象作品に独自の世界を拓き国際的な評価を得ました。
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人間国宝「義太夫節三味線」 鶴澤友路 つるさわ ともじ
兵庫県南あわじ市マンガ家:原案 濱岡きみ子、監修 久堀裕朗、マンガ 青木達哉鶴沢友路さん(つるさわ ともじ)は、大正2年(1913年)兵庫県福良町(現南あわじ市)に生まれ、4歳から三味線を習い、厳しい修行の末、「女流義太夫」の第一人者として国内だけでなく海外でも活動し、平成10年(1998年)重要無形文化財「義太夫節三味線」保持者(人間国宝)となりました。また後継者育成に励み、103歳で亡くなるまで淡路島内の小中高生をはじめ千人以上の弟子たちに惜しみなく芸を伝えました。
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たまごパックの生みの親 加茂守 かも まもる
兵庫県猪名川町マンガ家:青柳恵太加茂守さん(かも まもる)は、昭和9年(1934年)兵庫県中谷村(現猪名川町)に生まれ、昭和38年(1963年)新素材として注目されだしたプラスチック製品の販売を始めました。加茂さんは、製品を販売するだけでなく、取引先の要望に応えて商品開発をしました。割れ易い卵を守り、大量陳列を可能にした「たまごパック」も、昭和42年頃(1967年)多くの人のアドバイスや身近なものからヒントを得て発明しました。
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農林大臣として戦後の農地改革 松村謙三 まつむら けんぞう
富山県南砺市マンガ家:デザイン・構成 大野賀世、マンガ 森みちこ、監修 松村記念会館松村謙三さん(まつむら けんぞう)は、明治16年(1883年)富山県福光町(現南砺市)に生まれ、町議会議員・県議会議員を務め、昭和3年(1928年)第16回衆議院議員総選挙(第1回普通選挙)で、衆議院議員となりました。太平洋戦争が終結した昭和20年(1945年)戦後の食糧不足の中、農林大臣に就任し、地主制から小作農を開放し自作農とする農地改革を行い、農民の生活向上と食糧生産の増大を果たしました。
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日本初の国産カレー粉を作った 山崎峯次郎 やまざき みねじろう
埼玉県松伏町マンガ家:箱宮ケイ山崎峯次郎さん(やまざき みねじろう)は、明治36年(1903年)埼玉県北葛飾郡金杉村(現松伏町)に生まれ、大正9年(1920年)17歳で上京、当時輸入品しかなかったカレー粉の製造方法を研究し、大正12年浅草にエスビー食品の前身「日賀志屋」を創業して日本で初めてカレー粉の国内製造販売を行いました。その後の戦争などの苦難も乗り越え、日本人の国民食「カレーライス」の発展、スパイスの普及に努めました。
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徳良湖を作り、花笠音頭が生まれた 髙宮常太郎 たかみや つねたろう
山形県尾花沢市マンガ家:原作 あべ美佳、マンガ 瀧宏一・東北芸術工科大学漫画研究同好会髙宮常太郎さん(たかみや つねたろう)は、明治19年山形県尾花沢村(現尾花沢市)に生まれ、大正8年農業用水確保の人造湖「徳良湖」の築堤を始め、大正10年その完成により荒地が水田や畑に開拓されました。
また、築堤工事の作業歌から全国に知られる「花笠音頭、花笠踊り」が生まれました。
その後も髙宮さんは、尾花沢鉄道開業、尾花沢貨物自動車㈱設立、旧尾花沢町長、山形県議会議員などで地域に貢献しました。- # 現代(19)
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ペルーにアンデス文明博物館を開館 天野芳太郎 あまの よしたろう
秋田県男鹿市マンガ家:坂田もち江天野芳太郎さん(あまの よしたろう)は、明治31年(1898年)秋田県脇本村(現男鹿市)に生まれ、昭和3年(1928年)南米に渡り、パナマ、ペルー、などで事業を行うと共に古代アンデス文明の遺跡を調査しました。昭和16年(1941年)第二次世界大戦勃発により、南米の財産を失い日本に帰国しますが、終戦後また南米に渡りペルーで事業を成功させると遺跡調査を行い、収集した遺物を展示する博物館を開きました。
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離島振興に19年間尽力した町長 飯尾裕幸 いいお ひろゆき
鹿児島県長島町マンガ家:あさごはん飯尾裕幸さん(いいお ひろゆき)は、大正2年(1913年)鹿児島県出水郡東長島村(現長島町)に生まれ、小学5年生で引越し、昭和46年(1971年)59歳で東町(現長島町)に帰郷しました。昭和49年本土とつなぐ島民念願の黒之瀬戸大橋が完成しますが、同時に離島補助金もなくなりました。この危機に際し、飯尾さんは昭和50年から平成6年までの19年間町長を務め、地域の産業振興・インフラ整備に尽力しました。
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マンガ家・画家・文化人として活躍 那須良輔 なす りょうすけ
熊本県湯前町マンガ家:原作 橋本博、作画 タネオマコト那須良輔さん(なす りょうすけ)は、大正2年(1913年)熊本県球磨郡湯前村(現湯前町)に生まれ、昭和7年(1932年)洋画家を目指して上京し太平洋美術学校に入学。内職のつもりで描いたマンガが採用されて、昭和8年児童マンガ家としてデビュー。人気マンガ家となり、そこから優れたデッサン力で政治家の特徴を捉えた似顔絵の政治風刺マンガ、釣りや自然を題材とした風景画・随筆などに活動範囲を広げ活躍しました。
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