検索結果

  • # 現代
の検索結果:35件
  1. 土門拳(どもん けん)

    リアリズム写真の巨匠 土門拳 どもん けん

    山形県酒田市
    マンガ家:高橋美緒
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    4.78
    読み込み中...

    土門拳さん(どもん けん)は、明治42年(1909年)山形県酒田町(現酒田市)に生まれ、「ヒロシマ」・「筑豊のこどもたち」等リアリズムにこだわった写真集や、「古寺巡礼」・「文楽」等日本の伝統文化を撮影した写真集で、日本の美と日本人の心を追及した写真家です。昭和58年(1983年)酒田市は土門作品約13万5千点の寄贈を受け、作品を収蔵 展示する日本初の写真専門美術館「土門拳記念館」を開館しました。

  2. タマシン・アレン(Thomasine Allen)

    女子教育・幼児教育の先駆者 タマシン・アレン Thomasine Allen

    岩手県久慈市
    マンガ家:作画 あねがわ、原案 目黒安子
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    4.73
    読み込み中...

    タマシン・アレンさんは、1890年米国に生まれ、大正4年(1915年)25歳で来日、東京・仙台・盛岡等で女子教育や乳母子の保健活動を行い、昭和13年(1938年)久慈市に久慈幼稚園を開園しますが、太平洋戦争開戦で米国に強制送還されました。アレンさんは、終戦後の昭和22年再来日して社会活動を再開、昭和27年学校法人頌美学園を設立し幼小中の一貫教育体制を作り、昭和45年アレン短期大学を設立しました。

  3. 楢山大典(ならやま だいてん)

    大和尚になったわんぱく小僧 楢山大典 ならやま だいてん

    青森県南部町
    マンガ家:マンガ 河野亜麻子、シナリオ 高山元延
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    5.00
    読み込み中...

    楢山大典さん(ならやま だいてん)は、大正3年(1914年)青森県斗川村(現三戸町)に生まれ、昭和13年(1938年)曹洞宗の名刹法光寺(青森県三戸郡南部町)37世住職となり、国内最大級の木造三重塔「承陽塔」等の伽藍を整備、得度・立職・伝法の弟子45名を育てました。曹洞宗では教学部長、宗務総長等の要職を歴任。教育関係でも愛知学院大学、東北福祉大学、駒澤大学、駒澤大学高等学校の理事長を務めました。

  4. 木原秀雄(きはら ひでお)

    アマチュア天文家として活躍した 木原秀雄 きはら ひでお

    北海道名寄市
    マンガ家:八ツ目青児
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    4.83
    読み込み中...

    木原秀雄(きはらひでお)さんは、明治44年(1911年)東京府東京市(現東京都中央区)に生まれ、昭和15年(1940年)名寄尋常高等小学校(現名寄市立名寄小学校)、昭和17年(1042年)旧制名寄中学校(現道立名寄高等学校)の教員となりました。木原さんはアマチュア天文家として多くの功績を挙げ、昭和48年(1973年)私設天文台を開台、市民への天文普及に努め、後のなよろ市立天文台の礎となりました。

  5. 白石禎美(しらいし ていみ)

    塙町を築いた最初の町長 白石禎美 しらいし ていみ

    福島県塙町
    マンガ家:ico. 最上陽幸
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    4.63
    読み込み中...

    白石禎美さん(しらいし ていみ)は、明治13年(1880年)福島県東白川郡笹原村(現塙町)に生まれ、金融業、林業、電力会社などを起こして産業発展に務めると共に、福島県議会議員・初代塙町長を務め政治でも活躍しました。また、自分の土地や資金を提供して、鉄道敷設(現JR水郡線)・道路整備(現国道118号)・病院(現塙厚生病院)・高等学校(塙工業高校)などの誘致・開設に尽力し、地域の発展に貢献しました。

  6. 平櫛田中(ひらくし でんちゅう)

    107歳の生涯を木彫に捧げた 平櫛田中 ひらくし でんちゅう

    岡山県井原市
    マンガ家:南一平
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    4.00
    読み込み中...

    平櫛田中(ひらくし でんちゅう)さんは、明治5年(1872年)岡山県後月郡西江原村(現井原市)に生まれ、21歳で大阪の人形師に弟子入りし伝統的な木彫技術を学んだ後、岡倉天心に教えを受けました。昭和19年東京美術学校(現東京芸術大学)教授就任、昭和54年(1979年)107歳で生涯を終えるまで活躍した彫刻家です。六代目尾上菊五郎をモデルに22年かけて完成した「鏡獅子」は傑作として知られています。

  7. 永瀬清子(ながせ きよこ)

    「現代詩の母」と呼ばれる詩人 永瀬清子 ながせ きよこ

    岡山県赤磐市
    マンガ家:マンガ 藤井敬士、シナリオ 和田静夫
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    4.80
    読み込み中...

    永瀬清子さん(ながせ きよこ)は、明治39年(1906年)岡山県赤磐郡豊田村(現赤磐市)に生まれ、17歳の頃に詩人を志し、昭和5年(1930年)24歳で第1詩集を刊行、生涯現役を貫き「現代詩の母」と呼ばれています。
    また、現在の岡山県詩人協会を設立し後進の育成に努め、岡山家庭裁判所調停委員、世界連邦都市岡山県協議会事務局などで社会活動も行いました。

  8. 辻晉堂(つじ しんどう)

    炎を宿した彫刻家 辻晉堂 つじ しんどう

    鳥取県伯耆町
    マンガ家:寺西竜也
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    4.80
    読み込み中...

    辻晉堂さん(つじしんどう)は、明治43年(1910年)鳥取県日野郡二部村(現伯耆町)に生まれ、昭和10年(1935年)第22回院展で受賞し、木彫作家として高い評価を受けました。戦後昭和24年(1949年)京都市立美術大学教授に就任、セメント・石膏・ブロンズなどを使った抽象彫刻の制作を始め、昭和30年代からは陶土を使い登り窯で焼成する「陶彫」による抽象作品に独自の世界を拓き国際的な評価を得ました。

  9. 鶴澤友路(つるさわ ともじ)

    人間国宝「義太夫節三味線」 鶴澤友路 つるさわ ともじ

    兵庫県南あわじ市
    マンガ家:原案 濱岡きみ子、監修 久堀裕朗、マンガ 青木達哉
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    4.53
    読み込み中...

    鶴沢友路さん(つるさわ ともじ)は、大正2年(1913年)兵庫県福良町(現南あわじ市)に生まれ、4歳から三味線を習い、厳しい修行の末、「女流義太夫」の第一人者として国内だけでなく海外でも活動し、平成10年(1998年)重要無形文化財「義太夫節三味線」保持者(人間国宝)となりました。また後継者育成に励み、103歳で亡くなるまで淡路島内の小中高生をはじめ千人以上の弟子たちに惜しみなく芸を伝えました。

  10. 加茂守(かも まもる)

    たまごパックの生みの親 加茂守 かも まもる

    兵庫県猪名川町
    マンガ家:青柳恵太
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    4.93
    読み込み中...

    加茂守さん(かも まもる)は、昭和9年(1934年)兵庫県中谷村(現猪名川町)に生まれ、昭和38年(1963年)新素材として注目されだしたプラスチック製品の販売を始めました。加茂さんは、製品を販売するだけでなく、取引先の要望に応えて商品開発をしました。割れ易い卵を守り、大量陳列を可能にした「たまごパック」も、昭和42年頃(1967年)多くの人のアドバイスや身近なものからヒントを得て発明しました。

  11. 松村謙三(まつむら けんぞう)

    農林大臣として戦後の農地改革 松村謙三 まつむら けんぞう

    富山県南砺市
    マンガ家:デザイン・構成 大野賀世、マンガ 森みちこ、監修 松村記念会館
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    4.33
    読み込み中...

    松村謙三さん(まつむら けんぞう)は、明治16年(1883年)富山県福光町(現南砺市)に生まれ、町議会議員・県議会議員を務め、昭和3年(1928年)第16回衆議院議員総選挙(第1回普通選挙)で、衆議院議員となりました。太平洋戦争が終結した昭和20年(1945年)戦後の食糧不足の中、農林大臣に就任し、地主制から小作農を開放し自作農とする農地改革を行い、農民の生活向上と食糧生産の増大を果たしました。

  12. 山崎峯次郎(やまざき みねじろう)

    日本初の国産カレー粉を作った 山崎峯次郎 やまざき みねじろう

    埼玉県松伏町
    マンガ家:箱宮ケイ
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    4.76
    読み込み中...

    山崎峯次郎さん(やまざき みねじろう)は、明治36年(1903年)埼玉県北葛飾郡金杉村(現松伏町)に生まれ、大正9年(1920年)17歳で上京、当時輸入品しかなかったカレー粉の製造方法を研究し、大正12年浅草にエスビー食品の前身「日賀志屋」を創業して日本で初めてカレー粉の国内製造販売を行いました。その後の戦争などの苦難も乗り越え、日本人の国民食「カレーライス」の発展、スパイスの普及に努めました。