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の検索結果:12件
  1. 平櫛田中(ひらくし でんちゅう)

    107歳の生涯を木彫に捧げた 平櫛田中 ひらくし でんちゅう

    岡山県井原市
    マンガ家:南一平
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    平櫛田中(ひらくし でんちゅう)さんは、明治5年(1872年)岡山県後月郡西江原村(現井原市)に生まれ、21歳で大阪の人形師に弟子入りし伝統的な木彫技術を学んだ後、岡倉天心に教えを受けました。昭和19年東京美術学校(現東京芸術大学)教授就任、昭和54年(1979年)107歳で生涯を終えるまで活躍した彫刻家です。六代目尾上菊五郎をモデルに22年かけて完成した「鏡獅子」は傑作として知られています。

  2. 鶴澤友路(つるさわ ともじ)

    人間国宝「義太夫節三味線」 鶴澤友路 つるさわ ともじ

    兵庫県南あわじ市
    マンガ家:原案 濱岡きみ子、監修 久堀裕朗、マンガ 青木達哉
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    鶴沢友路さん(つるさわ ともじ)は、大正2年(1913年)兵庫県福良町(現南あわじ市)に生まれ、4歳から三味線を習い、厳しい修行の末、「女流義太夫」の第一人者として国内だけでなく海外でも活動し、平成10年(1998年)重要無形文化財「義太夫節三味線」保持者(人間国宝)となりました。また後継者育成に励み、103歳で亡くなるまで淡路島内の小中高生をはじめ千人以上の弟子たちに惜しみなく芸を伝えました。

  3. 板額御前(はんがくごぜん)

    弓の名手の女武将 板額御前 はんがくごぜん

    新潟県胎内市
    マンガ家:マンガ 中川佳南・田宮佑子・高橋渚、板額会
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    板額御前(はんがくごぜん)は、平安時代末期の12世紀後半越後国奥山荘(現新潟県胎内市)を治める城一族に生まれた女武将です。鎌倉時代前期正治3年(1201年)京都で城長茂が鎌倉幕府打倒に挙兵(建仁の乱)すると、城氏の本国越後国蒲原の鳥坂城(新潟県胎内市)も呼応しました。板額御前は、幕府討伐軍を弓で迎え撃ち、「吾妻鏡」に「弓の腕は百発百中、面貌宜しき」と記され、後に歌舞伎や浮世絵の題材となりました。

  4. 天野芳太郎(あまの よしたろう)

    ペルーにアンデス文明博物館を開館 天野芳太郎 あまの よしたろう

    秋田県男鹿市
    マンガ家:坂田もち江
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    天野芳太郎さん(あまの よしたろう)は、明治31年(1898年)秋田県脇本村(現男鹿市)に生まれ、昭和3年(1928年)南米に渡り、パナマ、ペルー、などで事業を行うと共に古代アンデス文明の遺跡を調査しました。昭和16年(1941年)第二次世界大戦勃発により、南米の財産を失い日本に帰国しますが、終戦後また南米に渡りペルーで事業を成功させると遺跡調査を行い、収集した遺物を展示する博物館を開きました。

  5. 支倉常長(はせくら つねなが)

    400年前、ローマ教皇に謁見 支倉常長 はせくら つねなが

    宮城県川崎町
    マンガ家:マンガ 「Haruka.」、監修 佐々木徹、シナリオ 粟野繁
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    支倉常長(はせくら つねなが)は、安土桃山時代元亀元年(1570年)出羽国立石村(現山形県米沢市)の支倉家に生まれ、8歳頃陸奥国支倉村(現宮城県川崎町)の支倉本家の養子となり、伊達政宗に仕えました。江戸時代前期慶長18年(1613年)政宗の命を受け、仙台藩が建造した西洋式帆船で太平洋を渡りメキシコ、さらに大西洋を渡りスペインに航海し、スペイン国王やローマ法王に謁見し貿易協定締結を目指しました。

  6. 陸羯南(くが かつなん)

    国民主義を唱えたジャーナリスト 陸羯南 くが かつなん

    青森県弘前市
    マンガ家:マンガ 仁山渓太郎、原案 櫛引洋一、監修 舘田勝弘
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    陸羯南(くが かつなん)は、幕末安政4年(1857年)陸奥国弘前在府町(現青森県弘前市在府町)に生まれ、官立宮城師範学校、司法省法学校に学び、青森新聞社や太政官文書局・内閣官報局編集課長などを経て、明治22年(1889年)大日本帝国憲法発布の日、新聞「日本」を創刊、硬骨のジャーナリストとして大きな足跡を残しました。また、正岡子規の文学活動を支援し、晩年闘病生活を送る子規を物心両面から支えました。

  7. 飯尾裕幸(いいお ひろゆき)

    離島振興に19年間尽力した町長 飯尾裕幸 いいお ひろゆき

    鹿児島県長島町
    マンガ家:あさごはん
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    飯尾裕幸さん(いいお ひろゆき)は、大正2年(1913年)鹿児島県出水郡東長島村(現長島町)に生まれ、小学5年生で引越し、昭和46年(1971年)59歳で東町(現長島町)に帰郷しました。昭和49年本土とつなぐ島民念願の黒之瀬戸大橋が完成しますが、同時に離島補助金もなくなりました。この危機に際し、飯尾さんは昭和50年から平成6年までの19年間町長を務め、地域の産業振興・インフラ整備に尽力しました。

  8. 加藤文太郎(かとう ぶんたろう)

    孤高の登山家 加藤文太郎 かとう ぶんたろう

    兵庫県新温泉町
    マンガ家:中澤大作
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    加藤文太郎(かとう ぶんたろう)は、明治38年(1905年)兵庫県美方郡浜坂町(現新温泉町)に生まれ、神戸市の三菱内燃機製作所に入社。仕事をしながら学校に通い、1932年技術者の最高位“技師”に昇進しました。入社当時から神戸の外国人の影響で流行し始めた登山に熱中し、パーティー登山が常識の時代、単独行で次々と登攀記録を立て「単独行の文太郎」と呼ばれ、新田次郎の小説「孤高の人」のモデルとなりました。

  9. 曽田梅太郎(そだ うめたろう)

    黒板コンパスを発明した教育者 曽田梅太郎 そだ うめたろう

    愛知県豊川市
    マンガ家:監修 今泉孝之、マンガ からたちはじめ
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    曽田梅太郎さん(そだ うめたろう)は、明治19年(1886年)愛知県宝飯郡穂野原村(現豊川市)に生まれ、広島高等師範学校へ進み、教科書の執筆や広島高等師範学校教授、雑誌「学校数学」創刊など数学教育に力を注ぎました。また、黒板用コンパスなど教育用具の発明、欧米の数学教育を学ぶ世界一周の旅を行い、数学教育のみならず学校運営全般について、昭和48年(1973年)87歳で亡くなるまで教育に取組みました。

  10. 三浦環、三浦政太郎(みうら たまき、みうら せいたろう)

    世界的オペラ歌手と医学者 三浦環、三浦政太郎 みうら たまき、みうら せいたろう

    静岡県袋井市
    マンガ家:原作 まるおけいこ、マンガ 野口芽衣・伊咲ウタ、監修 田辺久之
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    三浦環(みうら たまき)は、明治17年(1884年)東京府(現東京都)に生まれ、大正4年(1915年)アメリカで演じた「蝶々夫人」で、世界的なオペラ歌手となりました。
    三浦政太郎(みうら せいたろう)は、明治12年(1879年)静岡県に生まれ、東京帝国大学医科を首席で卒業、大正2年(1913年)環と結婚し欧米で医学を研究、壊血病に効果のあるビタミンCが緑茶に多く含まれていることを発見しました。

  11. 田沼意次(たぬま おきつぐ)

    江戸幕政を改革、新時代を開いた 田沼意次 たぬま おきつぐ

    静岡県牧之原市
    マンガ家:マンガ 杏崎もりか、将棋監修 加藤桃子
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    田沼意次(たぬま おきつぐ)は、江戸時代中期享保4年(1719年)600石の旗本の子として江戸に生まれ、9代将軍徳川家重に認められ宝暦8年(1758年)相良藩10,000石(現静岡県牧之原市)を拝領し大名となり、10代将軍家治にも重用され幕府老中を務めました。老中田沼意次は、専売制導入、外国貿易拡大、鉱山や新田開発を行い、幕府財政を改善。貨幣経済が発展し歌舞伎や浮世絵等の江戸文化が花開きました。

  12. 根岸錦蔵(ねぎし きんぞう)

    女満別空港はじまりのパイロット 根岸錦蔵 ねぎし きんぞう

    北海道大空町
    マンガ家:岩原裕二
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    根岸錦蔵さん(ねぎし きんぞう)は、明治35年(1902年)東京府(現東京都)に生まれ、日本航空界創成期に活躍したパイロットです。
    昭和10年冷害に苦しむ北海道女満別村(現大空町)に、村民1,300人の協力を得て、気象観測の基礎となる流氷観測用の滑走路を完成させ、現在の「女満別空港」に続く飛行場を開きました。
    流氷観測で得られたデータは、北海道の天気予知に役立ち、農業漁業の発展を支えました。