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の検索結果:4件
  1. 木村安兵衛(きむら やすべえ)

    あんパンの生みの親 木村安兵衛 きむら やすべえ

    茨城県龍ケ崎市
    マンガ家:きむらひろき
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    木村安兵衛(きむら やすべえ)は、江戸後期文化14年(1817年)常陸国田宮村(現茨城県牛久市田宮町)に生まれ、天保10年(1839年)頃下総国北相馬郡川原代村(現茨城県龍ケ崎市川原代町)の木村家の婿養子となり、安兵衛を襲名しました。安兵衛は上京して、明治2年(1869年)日本人を対象にした日本初のパン屋を創業しますが売れ行きが悪く、明治7年“日本人が喜ぶパン”として「あんパン」を作りました。

  2. 一色次郎輝季(いっしきじろうてるすえ)

    藩の年貢米を奪い村人を救った 一色次郎輝季 いっしきじろうてるすえ

    茨城県五霞町
    マンガ家:監修 小野真嗣、原案 永田聡子、作画 わたなべまどか
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    一色次郎輝季(いっしきじろうてるすえ)は、戦国時代末期下総国葛飾郡田宮荘(現埼玉県幸手市)の領主の子に生まれ、天正18年(1590年)松平康元に幸手城を攻め落とされ、葛飾郡川妻村(現茨城県五霞町)に落ち延びました。江戸初期元和6年(1620年)飢饉に苦しむ川妻村のため、輝季は松平康元が立藩した関宿藩から年貢米を奪い、村人に分け与えました。翌年輝季は処刑されましたが、村人は恩を忘れず供養しました。

  3. 岡倉天心(おかくら てんしん)

    日本美術を世界に紹介した 岡倉天心 おかくら てんしん

    茨城県北茨城市
    マンガ家:監修・原案 小泉晋弥、作画 産本まぐろ
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    岡倉天心(おかくら てんしん)は、幕末文久2年(1863年)横浜に生まれ、明治22年(1889年)東京美術学校(現東京藝術大学美術学部)設立、日本美術院創設、ボストン美術館中国・日本美術部長就任等、日本の美術史学研究の開拓者であり、美術評論、美術家養成に貢献しました。天心は、明治38年(1905年)茨城県大津町(現北茨城市)の五浦海岸に自身の設計による邸宅と六角堂を建築し、活動の拠点としました。

  4. 田中友三郎(たなか ともさぶろう)

    笠間焼中興の祖 田中友三郎 たなか ともさぶろう

    茨城県笠間市
    マンガ家:シナリオ 矢口圭二、マンガ 稲田ちゃこ
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    田中友三郎(たなか ともさぶろう)は、江戸時代後期天保10年(1839年)美濃国(現岐阜県)に生まれ、江戸に出て陶器の行商を始め、江戸に近い常陸国笠間地方(現茨城県笠間市)の窯場を開拓しました。明治2年(1869年)友三郎は笠間に移住し、自ら陶器作りを始め「笠間焼」の名で全国に売り出すと共に、陶器製造組合や陶器伝習所を設立して、窯業者の助け合いと陶工の技術向上に努め「笠間焼」の振興に貢献しました。