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  1. 黒瀬巳之助、片平一、黒瀬常吉(くろせみのすけ、かたひらはじめ、くろせつねきち)

    焼酎の生産量・質を向上させた杜氏 黒瀬巳之助、片平一、黒瀬常吉 くろせみのすけ、かたひらはじめ、くろせつねきち

    鹿児島県南さつま市
    マンガ家:春野洋治郎、ダムダム、あさごはん、万の瀬辰巳
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    明治31年(1898年)自家用焼酎製造が禁止され、酒蔵に高度で専門的な製造技術が求められるようになりました。鹿児島県南さつま市笠沙町黒瀬地区の3人の若者「黒瀬杜氏三人衆」は、黄麹仕込みが主流だった鹿児島に、温暖な鹿児島の気候でももろみ生産が安定する「沖縄の泡盛で使われる黒麹菌」を取り入れて焼酎の生産量・質を向上させ、「焼酎杜氏集団」としてその技術を日本各地に伝え、現在の焼酎造りの礎を築きました。

  2. 森甚五兵衛(もり じんごべえ)

    阿波水軍を率いた侍 森甚五兵衛 もり じんごべえ

    徳島県阿南市
    マンガ家:原作 草壁知里、マンガ ぐんたお
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    森甚五兵衛(もり じんごべえ)は、戦国時代・江戸時代に阿波水軍を率いた森家当主が代々襲名した名前です。天正13年(1585年)2代目当主村春が阿波国土佐泊から阿波国椿泊(現徳島県阿南市)に本拠を移し城を構えました。マンガでは、(1566年)安土桃山時代文禄元年(1592年)秀吉の朝鮮出兵、江戸時代初期慶長14年(1614年)大坂の陣で戦功を挙げた4代目当主村重の功績と地域の歴史を紹介しています。

  3. 白石禎美(しらいし ていみ)

    塙町を築いた最初の町長 白石禎美 しらいし ていみ

    福島県塙町
    マンガ家:ico. 最上陽幸
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    白石禎美さん(しらいし ていみ)は、明治13年(1880年)福島県東白川郡笹原村(現塙町)に生まれ、金融業、林業、電力会社などを起こして産業発展に務めると共に、福島県議会議員・初代塙町長を務め政治でも活躍しました。また、自分の土地や資金を提供して、鉄道敷設(現JR水郡線)・道路整備(現国道118号)・病院(現塙厚生病院)・高等学校(塙工業高校)などの誘致・開設に尽力し、地域の発展に貢献しました。

  4. 永瀬清子(ながせ きよこ)

    「現代詩の母」と呼ばれる詩人 永瀬清子 ながせ きよこ

    岡山県赤磐市
    マンガ家:マンガ 藤井敬士、シナリオ 和田静夫
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    永瀬清子さん(ながせ きよこ)は、明治39年(1906年)岡山県赤磐郡豊田村(現赤磐市)に生まれ、17歳の頃に詩人を志し、昭和5年(1930年)24歳で第1詩集を刊行、生涯現役を貫き「現代詩の母」と呼ばれています。
    また、現在の岡山県詩人協会を設立し後進の育成に努め、岡山家庭裁判所調停委員、世界連邦都市岡山県協議会事務局などで社会活動も行いました。

  5. 辻晉堂(つじ しんどう)

    炎を宿した彫刻家 辻晉堂 つじ しんどう

    鳥取県伯耆町
    マンガ家:寺西竜也
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    辻晉堂さん(つじしんどう)は、明治43年(1910年)鳥取県日野郡二部村(現伯耆町)に生まれ、昭和10年(1935年)第22回院展で受賞し、木彫作家として高い評価を受けました。戦後昭和24年(1949年)京都市立美術大学教授に就任、セメント・石膏・ブロンズなどを使った抽象彫刻の制作を始め、昭和30年代からは陶土を使い登り窯で焼成する「陶彫」による抽象作品に独自の世界を拓き国際的な評価を得ました。

  6. 鶴澤友路(つるさわ ともじ)

    人間国宝「義太夫節三味線」 鶴澤友路 つるさわ ともじ

    兵庫県南あわじ市
    マンガ家:原案 濱岡きみ子、監修 久堀裕朗、マンガ 青木達哉
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    鶴沢友路さん(つるさわ ともじ)は、大正2年(1913年)兵庫県福良町(現南あわじ市)に生まれ、4歳から三味線を習い、厳しい修行の末、「女流義太夫」の第一人者として国内だけでなく海外でも活動し、平成10年(1998年)重要無形文化財「義太夫節三味線」保持者(人間国宝)となりました。また後継者育成に励み、103歳で亡くなるまで淡路島内の小中高生をはじめ千人以上の弟子たちに惜しみなく芸を伝えました。

  7. 加茂守(かも まもる)

    たまごパックの生みの親 加茂守 かも まもる

    兵庫県猪名川町
    マンガ家:青柳恵太
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    加茂守さん(かも まもる)は、昭和9年(1934年)兵庫県中谷村(現猪名川町)に生まれ、昭和38年(1963年)新素材として注目されだしたプラスチック製品の販売を始めました。加茂さんは、製品を販売するだけでなく、取引先の要望に応えて商品開発をしました。割れ易い卵を守り、大量陳列を可能にした「たまごパック」も、昭和42年頃(1967年)多くの人のアドバイスや身近なものからヒントを得て発明しました。

  8. 八重姫(やえひめ)

    菰野藩3代を支えた織田のお姫様 八重姫 やえひめ

    三重県菰野町
    マンガ家:監修 藤田達夫、マンガ 服部千里
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    八重姫(やえひめ)は、安土桃山時代天正16年(1588年)織田信長の次男織田信雄の娘として生まれ、伊勢国菰野藩(現三重県菰野町)の初代藩主土方雄氏の正室となりました。
    雄氏が京都で暮らし藩主不在となった菰野藩を2代「雄高」3代「雄豊」と、3代に渡り支えた八重姫の内助の功は大きい。領民たちの憩いの場を設けるため、河川の堤に桜や楓を植えさせたと言われており、今でもその名残の河川堤防が残っている。

  9. ヤマトタケル、オトタチバナヒメ()

    古代日本の伝説的英雄と妃 ヤマトタケル、オトタチバナヒメ

    三重県亀山市
    マンガ家:小林はな
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    ヤマトタケルは、奈良時代に編纂された「古事記(712年)、日本書紀(720年)」に伝わる古代日本の伝説的英雄で、熊襲征討・東国征討を行い、能煩野(三重県亀山市)で亡くなり日本武尊能褒野墓に葬られたと伝わります。
    オトタチバナヒメは、忍山神社(三重県亀山市)に生まれ、ヤマトタケルの妃となり、東国征討に同行して走水の海(東京湾浦賀水道)を舟で渡る際、荒れる海を鎮めるために入水した故事で知られます。

  10. 山本芳翠(やまもと ほうすい)

    日本洋画界の先駆者 山本芳翠 やまもと ほうすい

    岐阜県恵那市
    マンガ家:マンガ 松原裕美、原案・監修 伊藤勝彦
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    山本芳翠(やまもと ほうすい)は、嘉永3年(1850年)美濃国恵那郡明智村(現岐阜県恵那市)に生まれ、慶応元年(1865年)15歳で画家を目指し京都で南宋画を学びました。明治元年(1868年)横浜で見た洋風画に衝撃を受け、工部美術学校で本格的な油彩を学び、明治11年(1878年)渡仏しパリ美術学校入学、パリ画壇で活動しました。明治20年(1887年)帰国し、日本洋画界の先駆者として活躍しました。

  11. 利波臣志留志(となみのおみしるし)

    砺波平野を水田開拓、伊賀の守となった 利波臣志留志 となみのおみしるし

    富山県砺波市
    マンガ家:前田徹
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    利波臣志留志(となみのおみしるし)は、奈良時代の越中国(現富山県)の地方豪族で、「墾田永年私財法」に合わせ、砺波平野の東側(現砺波市庄東地区)を広大な水田に開拓しました。天平19年(747年)聖武天皇が、奈良東大寺大仏を造立する際、志留志は米3,000石を寄進して大仏造立の支えとなり、朝廷から外従五位下に叙せられました。後に、従五位上・越中員外介、伊賀守へと無位から異例の立身出世を果たしました。

  12. 板額御前(はんがくごぜん)

    弓の名手の女武将 板額御前 はんがくごぜん

    新潟県胎内市
    マンガ家:マンガ 中川佳南・田宮佑子・高橋渚、板額会
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    板額御前(はんがくごぜん)は、平安時代末期の12世紀後半越後国奥山荘(現新潟県胎内市)を治める城一族に生まれた女武将です。鎌倉時代前期正治3年(1201年)京都で城長茂が鎌倉幕府打倒に挙兵(建仁の乱)すると、城氏の本国越後国蒲原の鳥坂城(新潟県胎内市)も呼応しました。板額御前は、幕府討伐軍を弓で迎え撃ち、「吾妻鏡」に「弓の腕は百発百中、面貌宜しき」と記され、後に歌舞伎や浮世絵の題材となりました。