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講道館四天王と呼ばれた柔道王 徳三宝 とく さんぽう
鹿児島県天城町マンガ家:マンガ作画 ダムダム、制作統括 四元重美徳三宝(とく さんぽう)は、明治20年(1887年)鹿児島県大島郡天城町に生まれ、明治39年(1906年)講道館に入門、恵まれた体格と猛稽古で、大正時代「講道館四天王」と称されました。早稲田大学、日本大学、拓殖大学などの柔道部師範、自設の研道館師範として弟子の教育にも努めました。昭和20年(1945年)3月10日東京大空襲の猛火の中、罹災者救助に奔走しましたが死去、講道館柔道九段に昇段しました。
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日本初、国産機で世界一周した 中尾純利 なかお すみとし
鹿児島県阿久根市マンガ家:原案 春野洋治郎、マンガ作画 青梨中尾純利さん(なかお すみとし)は、明治36年(1903年)鹿児島県出水郡阿久根村(現阿久根市)に生まれ、大正10年(1921年)陸軍航空学校民間機操縦士受入れ第1期生として入校、三菱重工業のテストパイロットになりました。昭和14年(1939年)国産機「ニッポン号」で5大陸20か国を巡る世界一周親善飛行に成功。戦後昭和27年(1952年)東京国際空港初代空港長となリ民間航空の発展に貢献しました。
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ワイン事業で成功した薩摩隼人 長沢鼎 ながさわ かなえ
鹿児島県いちき串木野市マンガ家:シナリオ制作 小谷さらさ、マンガ作画 森永智子長沢鼎(ながさわ かなえ)は、幕末嘉永5年(1852年)薩摩国鹿児島城下(現鹿児島県鹿児島市)に生まれ、慶応元年(1865年)薩摩藩の英国留学で渡航、維新で多くの留学生が帰国する中、慶応3年(1867年)渡米し宗教団体で信仰生活を送りながらワイン醸造と葡萄栽培を学び、カリフォルニア州の教団農場を任されました。1900年長沢は教団農場を買取り、カリフォルニア州十大ワイナリーの一つに育て上げました。
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大阪の住民を率いて鹿児島を開拓 出原次左衛門 いずはら じざえもん
鹿児島県大崎町マンガ家:あさごはん出原次左衛門(いずはら じざえもん)は、江戸前期5代将軍綱吉の頃摂津国(現大阪府北部と兵庫県南部)の郡奉行を務めていましたが、大阪を本拠とした豊臣家を慕い徳川幕府に不満を持つ住民が多くいたため、豊臣家と関係が深い薩摩藩主島津家を頼り、元禄元年(1686年)から4回にわたり摂津・河内・和泉の住民128名を率いて薩摩国荒佐野(現鹿児島県大崎町野方)へ移住し、荒地を開拓し大崎地区の礎となりました。
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水俣病や公害問題に取組んだ医師 原田正純 はらだ まさずみ
鹿児島県さつま町マンガ家:みずもとみほ原田正純さん(はらだ まさずみ)は、昭和9年(1934年)長崎県で生まれ熊本で暮らしていましたが、空襲で母を亡くし父の実家の鹿児島県宮之城町(現さつま町)で幼少期を過ごしました。のちに熊本大学医学部に進み昭和36年(1961年)水俣病の調査を始めました。原田医師は、患者の立場から診断と研究を行い、被害者救済と原因究明のため尽力しました。その後も各地の環境公害被害について調査し世界に訴えました。
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焼酎の生産量・質を向上させた杜氏 黒瀬巳之助、片平一、黒瀬常吉 くろせみのすけ、かたひらはじめ、くろせつねきち
鹿児島県南さつま市マンガ家:春野洋治郎、ダムダム、あさごはん、万の瀬辰巳明治31年(1898年)自家用焼酎製造が禁止され、酒蔵に高度で専門的な製造技術が求められるようになりました。鹿児島県南さつま市笠沙町黒瀬地区の3人の若者「黒瀬杜氏三人衆」は、黄麹仕込みが主流だった鹿児島に、温暖な鹿児島の気候でももろみ生産が安定する「沖縄の泡盛で使われる黒麹菌」を取り入れて焼酎の生産量・質を向上させ、「焼酎杜氏集団」としてその技術を日本各地に伝え、現在の焼酎造りの礎を築きました。
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離島振興に19年間尽力した町長 飯尾裕幸 いいお ひろゆき
鹿児島県長島町マンガ家:あさごはん飯尾裕幸さん(いいお ひろゆき)は、大正2年(1913年)鹿児島県出水郡東長島村(現長島町)に生まれ、小学5年生で引越し、昭和46年(1971年)59歳で東町(現長島町)に帰郷しました。昭和49年本土とつなぐ島民念願の黒之瀬戸大橋が完成しますが、同時に離島補助金もなくなりました。この危機に際し、飯尾さんは昭和50年から平成6年までの19年間町長を務め、地域の産業振興・インフラ整備に尽力しました。
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