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  1. 吉田健作、吉田増蔵(よしだ けんさく、よしだ ますぞう)

    製麻業を興した兄、昭和を考案した弟 吉田健作、吉田増蔵 よしだ けんさく、よしだ ますぞう

    福岡県みやこ町
    マンガ家:向山廉平
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    吉田兄弟は、豊前国京都郡上田村(現福岡県みやこ町)の出身です。兄健作(けんさく)は、江戸後期嘉永5年(1852年)に生まれ、内務省に入りフランスで製麻技術を学び、帰国後近代的な製麻工場を国内3ヵ所に建設し殖産興業に寄与しました。弟増蔵(ますぞう)は、幕末慶応2年(1866年)に生まれ、宮内省図書寮に務め、その長であった森鴎外に才能を評価され、「大正」に次ぐ元号考案に携わり「昭和」を考案しました。

  2. 箕作阮甫(みつくり げんぽ)

    洋書翻訳や外交交渉で活躍した 箕作阮甫 みつくり げんぽ

    岡山県津山市
    マンガ家:南一平
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    箕作阮甫(みつくり げんぽ)は、寛政11年(1799年)美作国津山西新町(現岡山県津山市)に生まれ、幼くして父を亡くし苦労しながら学問に励み、21歳で津山藩医となりました。
    25歳で江戸に出て医学とオランダ語を学び、特に翻訳で才能を発揮して医学だけでなく語学・地理学・兵学など広い分野の“洋学”を研究し、さらには幕末の外交交渉や、東京大学の創立過程などで活躍し、日本の近代化への道筋を示しました。

  3. 平櫛田中(ひらくし でんちゅう)

    107歳の生涯を木彫に捧げた 平櫛田中 ひらくし でんちゅう

    岡山県井原市
    マンガ家:南一平
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    平櫛田中(ひらくし でんちゅう)さんは、明治5年(1872年)岡山県後月郡西江原村(現井原市)に生まれ、21歳で大阪の人形師に弟子入りし伝統的な木彫技術を学んだ後、岡倉天心に教えを受けました。昭和19年東京美術学校(現東京芸術大学)教授就任、昭和54年(1979年)107歳で生涯を終えるまで活躍した彫刻家です。六代目尾上菊五郎をモデルに22年かけて完成した「鏡獅子」は傑作として知られています。

  4. 永瀬清子(ながせ きよこ)

    「現代詩の母」と呼ばれる詩人 永瀬清子 ながせ きよこ

    岡山県赤磐市
    マンガ家:マンガ 藤井敬士、シナリオ 和田静夫
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    永瀬清子さん(ながせ きよこ)は、明治39年(1906年)岡山県赤磐郡豊田村(現赤磐市)に生まれ、17歳の頃に詩人を志し、昭和5年(1930年)24歳で第1詩集を刊行、生涯現役を貫き「現代詩の母」と呼ばれています。
    また、現在の岡山県詩人協会を設立し後進の育成に努め、岡山家庭裁判所調停委員、世界連邦都市岡山県協議会事務局などで社会活動も行いました。

  5. 辻晉堂(つじ しんどう)

    炎を宿した彫刻家 辻晉堂 つじ しんどう

    鳥取県伯耆町
    マンガ家:寺西竜也
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    辻晉堂さん(つじしんどう)は、明治43年(1910年)鳥取県日野郡二部村(現伯耆町)に生まれ、昭和10年(1935年)第22回院展で受賞し、木彫作家として高い評価を受けました。戦後昭和24年(1949年)京都市立美術大学教授に就任、セメント・石膏・ブロンズなどを使った抽象彫刻の制作を始め、昭和30年代からは陶土を使い登り窯で焼成する「陶彫」による抽象作品に独自の世界を拓き国際的な評価を得ました。

  6. 井上堰水(いのうえ えんすい)

    「地域で学び育つ」教育を実践 井上堰水 いのうえ えんすい

    京都府南丹市
    マンガ家:監修 田中智子、マンガ 松本勇気
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    井上堰水(いのうえ えんすい)は、幕末天保13年(1842年)丹波国船枝村(現京都府南丹市)に生まれ、元治元年(1864年)私塾発蒙館を開き、明治5年(1872)に新修校(旧新庄小学校)の初代校長となり、その後、船井郡立園部高等小学校・船井郡立高等女学校(現園部高等学校)の初代校長を歴任しました。学校田や学校林での授業など独自の「地域で学び育つ」教育方法を取り入れ、地域の人材育成に尽くしました。

  7. 山本芳翠(やまもと ほうすい)

    日本洋画界の先駆者 山本芳翠 やまもと ほうすい

    岐阜県恵那市
    マンガ家:マンガ 松原裕美、原案・監修 伊藤勝彦
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    山本芳翠(やまもと ほうすい)は、嘉永3年(1850年)美濃国恵那郡明智村(現岐阜県恵那市)に生まれ、慶応元年(1865年)15歳で画家を目指し京都で南宋画を学びました。明治元年(1868年)横浜で見た洋風画に衝撃を受け、工部美術学校で本格的な油彩を学び、明治11年(1878年)渡仏しパリ美術学校入学、パリ画壇で活動しました。明治20年(1887年)帰国し、日本洋画界の先駆者として活躍しました。

  8. 利波臣志留志(となみのおみしるし)

    砺波平野を水田開拓、伊賀の守となった 利波臣志留志 となみのおみしるし

    富山県砺波市
    マンガ家:前田徹
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    利波臣志留志(となみのおみしるし)は、奈良時代の越中国(現富山県)の地方豪族で、「墾田永年私財法」に合わせ、砺波平野の東側(現砺波市庄東地区)を広大な水田に開拓しました。天平19年(747年)聖武天皇が、奈良東大寺大仏を造立する際、志留志は米3,000石を寄進して大仏造立の支えとなり、朝廷から外従五位下に叙せられました。後に、従五位上・越中員外介、伊賀守へと無位から異例の立身出世を果たしました。

  9. 鈴木文台(すずき ぶんたい)

    私塾を開き地域の人材を育てた 鈴木文台 すずき ぶんたい

    新潟県燕市
    マンガ家:児玉直樹
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    鈴木文台(すずき ぶんたい)は、江戸時代後期寛政8年(1796年)越後国粟生津村(現新潟県燕市)に生まれ、名僧良寛とも親交を持ちました。文台は、様々な学者の講義を聴き江戸にも遊学しますが、師事せずに多くの書物を読み自身で研究する「無師独学」を進め、天保4年(1833年)38歳で粟生津村に私塾「長善館」を開きました。長善館は、明治45年(1912年)まで3代79年間も続き、多くの人材を育てました。

  10. 山崎峯次郎(やまざき みねじろう)

    日本初の国産カレー粉を作った 山崎峯次郎 やまざき みねじろう

    埼玉県松伏町
    マンガ家:箱宮ケイ
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    山崎峯次郎さん(やまざき みねじろう)は、明治36年(1903年)埼玉県北葛飾郡金杉村(現松伏町)に生まれ、大正9年(1920年)17歳で上京、当時輸入品しかなかったカレー粉の製造方法を研究し、大正12年浅草にエスビー食品の前身「日賀志屋」を創業して日本で初めてカレー粉の国内製造販売を行いました。その後の戦争などの苦難も乗り越え、日本人の国民食「カレーライス」の発展、スパイスの普及に努めました。

  11. 髙宮常太郎(たかみや つねたろう)

    徳良湖を作り、花笠音頭が生まれた 髙宮常太郎 たかみや つねたろう

    山形県尾花沢市
    マンガ家:原作 あべ美佳、マンガ 瀧宏一・東北芸術工科大学漫画研究同好会
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    髙宮常太郎さん(たかみや つねたろう)は、明治19年山形県尾花沢村(現尾花沢市)に生まれ、大正8年農業用水確保の人造湖「徳良湖」の築堤を始め、大正10年その完成により荒地が水田や畑に開拓されました。
    また、築堤工事の作業歌から全国に知られる「花笠音頭、花笠踊り」が生まれました。
    その後も髙宮さんは、尾花沢鉄道開業、尾花沢貨物自動車㈱設立、旧尾花沢町長、山形県議会議員などで地域に貢献しました。

  12. 天野芳太郎(あまの よしたろう)

    ペルーにアンデス文明博物館を開館 天野芳太郎 あまの よしたろう

    秋田県男鹿市
    マンガ家:坂田もち江
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    天野芳太郎さん(あまの よしたろう)は、明治31年(1898年)秋田県脇本村(現男鹿市)に生まれ、昭和3年(1928年)南米に渡り、パナマ、ペルー、などで事業を行うと共に古代アンデス文明の遺跡を調査しました。昭和16年(1941年)第二次世界大戦勃発により、南米の財産を失い日本に帰国しますが、終戦後また南米に渡りペルーで事業を成功させると遺跡調査を行い、収集した遺物を展示する博物館を開きました。