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の検索結果:7件
  1. 長瀬富郎(ながせ とみろう)

    良質石鹸の国産化、花王創業者 長瀬富郎 ながせ とみろう

    岐阜県中津川市
    マンガ家:作画 深川明美
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    長瀬富郎(ながせ とみろう)は、幕末文久3年(1863年)美濃国恵那郡福岡村(現岐阜県中津川市福岡)に生まれ、明治18年(1885年)上京して日本橋の和洋小間物商に入店し舶来品の石けん等を扱いました。長瀬は、明治20年日本橋で「長瀬商店」を創業し、舶来品に負けない高品質な石鹸製造に乗り出し、明治23年「花王石鹸」を発売、海外でも品質を認められました。長瀬商店は、花王株式会社として続いています。

  2. 加能作次郎(かのう さくじろう)

    ふるさとを書き続けた作家 加能作次郎 かのう さくじろう

    石川県志賀町
    マンガ家:作・脚本 中居ヒサシ、作画 藤井裕子
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    加能作次郎(かのう さくじろう)は、明治18年(1885年)石川県西海村風戸(現志賀町西海風戸)に生まれ、苦難の少年期を経て、明治41年(1908年)早稲田大学へ入学しました。在学中、処女作『恭三の父』が雑誌『ホトトギス』に掲載され好評を得ました。卒業後、博文社『文章世界』の編集主任として翻訳や文芸時評を発表し、大正7年(1918年)小説『世の中へ』で文壇的地位を確立した自然主義文学作家です。

  3. 井戸泰(いど ゆたか)

    病原体研究でノーベル賞候補 井戸泰 いど ゆたか

    岡山県奈義町
    マンガ家:あさののい
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    井戸泰(いど ゆたか)は、明治14年(1881年)岡山県勝田郡北吉野村(現奈義町)に生まれ、高校在学中に父を病気で亡くしますが、明治37年京都帝国大学福岡医科大学(現九州大学)に入学、大正4年(1915年)原因不明の病として恐れられたワイル病の病原体を発見し第6回帝国学士院恩賜賞を受賞、ノーベル賞の候補にもなりました。大正8年(1919年)研究していたスペイン風邪に感染し37歳で死去しました。

  4. 古賀稔彦(こが としひこ)

    柔道金メダリスト、平成の三四郎 古賀稔彦 こが としひこ

    佐賀県みやき町
    マンガ家:作画 毛利優子・古川渚、原案 フクチマキコ
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    古賀稔彦さん(こが としひこ)は、昭和42年(1967年)佐賀県三養基郡北茂安町(現みやき町)に生まれ、中学1年で上京し柔道私塾講道学舎に入門。高校時代から国内外の大会で活躍。平成2年(1990年)全日本柔道選手権大会で重量級選手に「柔よく剛を制す」柔道精神を体現しての準優勝、1992年バルセロナ五輪金メダル、1996年アトランタ五輪銀メダルなど「平成の三四郎」と称される強さと人気を誇りました。

  5. 延塚卯右衛門(のぶつか うえもん)

    飢饉の農民を助け、切腹した筋奉行 延塚卯右衛門 のぶつか うえもん

    福岡県築上町
    マンガ家:渋田武春
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    延塚卯右衛門(のぶつか うえもん)は、江戸時代中期天明2年(1782年)豊前国京都郡(現福岡県苅田町)に生まれ、天保3年(1832年)51歳で小倉藩築城郡筋奉行として豊前国築城郡(現福岡県築上町)に着任しました。翌天保4年から「天保の大飢饉」が続き、天保7年延塚奉行は藩から農民に貸し付けた根付料の返済を独断で免除し、その責を取って切腹しました。180年以上経った現在も追善供養祭が行われています。

  6. 靉光(あいみつ)

    中国で戦病死した早世の洋画家 靉光 あいみつ

    広島県北広島町
    マンガ家:原案 石井誠治、作画 坪郷絵美
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    靉光(あいみつ)は、明治40年(1907年)広島県北広島町に生まれ、大正13年(1924年)画家を志し上京。芸術家と交流しながら自らの画風を模索し「眼のある風景」で画壇に注目されます。自己を厳しく見つめた3枚の自画像を残し、昭和19年(1944年)で中国に出征。終戦を迎えますが、上海の陸軍病院で、わずか38歳で戦病死しました。独自性の強い作品で近代日本美術に大きな足跡を残した画家です。

  7. 知里幸恵(ちり ゆきえ)

    アイヌ叙事詩を文字で後世に伝えた 知里幸恵 ちり ゆきえ

    北海道東川町
    マンガ家:原作 菅原浩志、作画 なかはらかぜ
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    知里幸恵(ちり ゆきえ)は、明治36年(1903年)北海道ヌプルペッ(登別川)沿い(現登別市)に生まれ、言語学者金田一京助から「民族の歴史であると同時に文学でもあり、また宝典でもあり、聖書でもあった叙事詩 ユカㇻの価値」を聴き、同化政策で失われていく「ユカㇻ」を後世に伝えるため、文字のないアイヌ語をローマ字で表記し日本語訳を付した「アイヌ神謡集」を著し、大正12年(1923年)に刊行されました。