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講道館四天王と呼ばれた柔道王 徳三宝 とく さんぽう
鹿児島県天城町マンガ家:マンガ作画 ダムダム、制作統括 四元重美徳三宝(とく さんぽう)は、明治20年(1887年)鹿児島県大島郡天城町に生まれ、明治39年(1906年)講道館に入門、恵まれた体格と猛稽古で、大正時代「講道館四天王」と称されました。早稲田大学、日本大学、拓殖大学などの柔道部師範、自設の研道館師範として弟子の教育にも努めました。昭和20年(1945年)3月10日東京大空襲の猛火の中、罹災者救助に奔走しましたが死去、講道館柔道九段に昇段しました。
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雲龍型で名を残した第十代横綱 雲龍久吉 うんりゅう ひさきち
福岡県柳川市マンガ家:渋田武春雲龍久吉(うんりゅう ひさきち)は、江戸後期文政5年(1822年)筑後国山門郡大和村(現福岡県柳川市大和町)に生まれ、12歳頃に両親・祖父母を亡くし、力仕事をして幼い弟妹を養いました。身体が大きく力の強い久吉は、弘化3年(1846年)23歳で江戸相撲追手風部屋に入門、順調に出世し、安政5年(1858年)大関昇進、文久元年(1861年)第十代横綱になり土俵入りの「雲龍型」は現代に伝えられています。
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飛騨高山を築いた戦国武将 金森長近 かなもり ながちか
岐阜県高山市マンガ家:マンガ 中井邦彦、原作 谷前英夫金森長近(かなもり ながちか)は、戦国時代大永4年(1524年)美濃国土岐郡多治見郷大畑村(現岐阜県多治見市)に生まれ、天文10年(1541年)尾張の織田家に仕え、長篠の戦いなどで活躍しました。織田信長の死後は豊臣秀吉に仕えて功を挙げ、飛騨3万8,700石を与えられ、天正18年(1590年)から高山城の築城と城下町の整備をはじめ、現在観光地としても人気を集める飛騨高山の街並みの基礎を作りました。
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繰り返し立ち上がった不屈の武将 長連龍 ちょう つらたつ
石川県穴水町マンガ家:監修 東四栁史明、原作 杉畠啓文、マンガ チハラアケミ長連龍(ちょう つらたつ)は、戦国時代 天文15年(1546年)能登畠山家の家臣長家に生まれ、畠山家が上杉謙信に敗れ滅んだ後は織田信長、信長が本能寺で討たれた後は前田利家、利家の死後は後継者の利長に仕えて、賤ヶ岳の戦い、小田原征伐、朝鮮出兵、関ヶ原の戦い、大坂の陣など戦国時代から江戸初期まで生涯41回の合戦で活躍し、勇名を馳せた武将です。子孫は、前田家の家老として幕末まで前田家を支えました。
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名門足利家を後世につないだ 足利島子 あしかが しまこ
栃木県さくら市マンガ家:吉原澪足利島子(あしかが しまこ)は、戦国時代永禄11年(1568年)上総国(現千葉県)に生まれ、天正16年(1588年)下野国塩谷郡喜連川(現栃木県さくら市喜連川)の領主塩谷義上に嫁ぎましたが、豊臣秀吉の「宇都宮仕置」で喜連川塩谷氏は滅亡しました。
島子が秀吉に断絶の危機にあった「古河・小弓公方」足利氏の存続を願い出た結果、武家の名門足利氏の末裔島子に喜連川が与えられ喜連川氏は長く存続しました。- # 中世(9)
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藩の年貢米を奪い村人を救った 一色次郎輝季 いっしきじろうてるすえ
茨城県五霞町マンガ家:監修 小野真嗣、原案 永田聡子、作画 わたなべまどか一色次郎輝季(いっしきじろうてるすえ)は、戦国時代末期下総国葛飾郡田宮荘(現埼玉県幸手市)の領主の子に生まれ、天正18年(1590年)松平康元に幸手城を攻め落とされ、葛飾郡川妻村(現茨城県五霞町)に落ち延びました。江戸初期元和6年(1620年)飢饉に苦しむ川妻村のため、輝季は松平康元が立藩した関宿藩から年貢米を奪い、村人に分け与えました。翌年輝季は処刑されましたが、村人は恩を忘れず供養しました。
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阿波水軍を率いた侍 森甚五兵衛 もり じんごべえ
徳島県阿南市マンガ家:原作 草壁知里、マンガ ぐんたお森甚五兵衛(もり じんごべえ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけて阿波の水軍を率いた森家が4代目当主村重より代々襲名した名前です。森家は、2代目森村春が天正13年(1585年)阿波国椿泊(現:徳島県阿南市)に拠点となる館を構えました。マンガでは、森家4代目森甚五兵衛村重の功績を中心に地域の歴史を紹介しています。
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菰野藩3代を支えた織田のお姫様 八重姫 やえひめ
三重県菰野町マンガ家:監修 藤田達夫、マンガ 服部千里八重姫(やえひめ)は、安土桃山時代天正16年(1588年)織田信長の次男織田信雄の娘として生まれ、伊勢国菰野藩(現三重県菰野町)の初代藩主土方雄氏の正室となりました。
雄氏が京都で暮らし藩主不在となった菰野藩を2代「雄高」3代「雄豊」と、3代に渡り支えた八重姫の内助の功は大きい。領民たちの憩いの場を設けるため、河川の堤に桜や楓を植えさせたと言われており、今でもその名残の河川堤防が残っている。
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古代日本の伝説的英雄と妃 ヤマトタケル、オトタチバナヒメ
三重県亀山市マンガ家:小林はなヤマトタケルは、奈良時代に編纂された「古事記(712年)、日本書紀(720年)」に伝わる古代日本の伝説的英雄で、熊襲征討・東国征討を行い、能煩野(三重県亀山市)で亡くなり日本武尊能褒野墓に葬られたと伝わります。
オトタチバナヒメは、忍山神社(三重県亀山市)に生まれ、ヤマトタケルの妃となり、東国征討に同行して走水の海(東京湾浦賀水道)を舟で渡る際、荒れる海を鎮めるために入水した故事で知られます。- # 古代(4)
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織田信長に仕え、天下統一に貢献 斎藤新五利治 さいとう しんごとしはる
岐阜県富加町マンガ家:渡辺浩行斎藤新五利治(さいとう しんごとしはる)は、戦国時代天文10年(1541年)頃美濃国(現岐阜県)の戦国大名斎藤道三の末子として生まれたと伝わります。織田信長の家臣になり、兄義龍が父道三を殺して奪った美濃攻略戦で活躍し加治田城(岐阜県富加町)の城主となりました。その後も信長の側近として各地を転戦し、上杉征伐で大きな功績をあげる等信長の天下統一に貢献しましたが、本能寺の変で信長と運命を共にしました。
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弓の名手の女武将 板額御前 はんがくごぜん
新潟県胎内市マンガ家:マンガ 中川佳南・田宮佑子・高橋渚、板額会板額御前(はんがくごぜん)は、平安時代末期の12世紀後半越後国奥山荘(現新潟県胎内市)を治める城一族に生まれた女武将です。鎌倉時代前期正治3年(1201年)京都で城長茂が鎌倉幕府打倒に挙兵(建仁の乱)すると、城氏の本国越後国蒲原の鳥坂城(新潟県胎内市)も呼応しました。板額御前は、幕府討伐軍を弓で迎え撃ち、「吾妻鏡」に「弓の腕は百発百中、面貌宜しき」と記され、後に歌舞伎や浮世絵の題材となりました。
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頼朝・義経の兄弟、鎌倉幕府で活躍 源範頼 みなもとののりより
埼玉県吉見町マンガ家:北川玲子源範頼(みなもとののりより)は、平安時代末期久安6年(1150年)遠江国(現静岡県)で源義朝の6男として生まれた、頼朝の異母弟・義経の異母兄です。平治元年(1159年)平治の乱で義朝が平清盛に敗れると、範頼は武蔵国吉見岩殿山に身を寄せました。治承4年(1180年)頼朝が挙兵すると、範頼も合流し木曽義仲・平氏討伐に功績を挙げ、武蔵国吉見(現埼玉県比企郡吉見町)を領して吉見御所と尊称されました。
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