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  1. 健堅大親(きんきんぬひゃー)

    明の難破船を助け交流に貢献 健堅大親 きんきんぬひゃー

    沖縄県本部町
    マンガ家:マンガ makiart、原案 知念正昭
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    健堅大親(きんきんぬひゃー)は、初代中山王察度の頃(1350年~1395年、南北朝時代)琉球国本部間切(現沖縄県本部町)を治めた士族で、久米島の堂の大親(どうのひゃー)と一緒に久米島を訪れた際、暴風で船が難破し久米島に漂着した明国人に帰国する船を作る木材と良馬を与え無事に帰国させた事から、明国皇帝から琉球王国を通じてお礼の絹と石碑が贈られたとの記述が琉球王国の史書「球陽」に残されています。

  2. 金森長近(かなもり ながちか)

    飛騨高山を築いた戦国武将 金森長近 かなもり ながちか

    岐阜県高山市
    マンガ家:マンガ 中井邦彦、原作 谷前英夫
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    金森長近(かなもり ながちか)は、戦国時代大永4年(1524年)美濃国土岐郡多治見郷大畑村(現岐阜県多治見市)に生まれ、天文10年(1541年)尾張の織田家に仕え、長篠の戦いなどで活躍しました。織田信長の死後は豊臣秀吉に仕えて功を挙げ、飛騨3万8,700石を与えられ、天正18年(1590年)から高山城の築城と城下町の整備をはじめ、現在観光地としても人気を集める飛騨高山の街並みの基礎を作りました。

  3. 長連龍(ちょう つらたつ)

    繰り返し立ち上がった不屈の武将 長連龍 ちょう つらたつ

    石川県穴水町
    マンガ家:監修 東四栁史明、原作 杉畠啓文、マンガ チハラアケミ
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    長連龍(ちょう つらたつ)は、戦国時代 天文15年(1546年)能登畠山家の家臣長家に生まれ、畠山家が上杉謙信に敗れ滅んだ後は織田信長、信長が本能寺で討たれた後は前田利家、利家の死後は後継者の利長に仕えて、賤ヶ岳の戦い、小田原征伐、朝鮮出兵、関ヶ原の戦い、大坂の陣など戦国時代から江戸初期まで生涯41回の合戦で活躍し、勇名を馳せた武将です。子孫は、前田家の家老として幕末まで前田家を支えました。

  4. 足利島子(あしかが しまこ)

    名門足利家を後世につないだ 足利島子 あしかが しまこ

    栃木県さくら市
    マンガ家:吉原澪
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    足利島子(あしかが しまこ)は、戦国時代永禄11年(1568年)上総国(現千葉県)に生まれ、天正16年(1588年)下野国塩谷郡喜連川(現栃木県さくら市喜連川)の領主塩谷義上に嫁ぎましたが、豊臣秀吉の「宇都宮仕置」で喜連川塩谷氏は滅亡しました。
    島子が秀吉に断絶の危機にあった「古河・小弓公方」足利氏の存続を願い出た結果、武家の名門足利氏の末裔島子に喜連川が与えられ喜連川氏は長く存続しました。

  5. 八重姫(やえひめ)

    菰野藩3代を支えた織田のお姫様 八重姫 やえひめ

    三重県菰野町
    マンガ家:監修 藤田達夫、マンガ 服部千里
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    八重姫(やえひめ)は、安土桃山時代天正16年(1588年)織田信長の次男織田信雄の娘として生まれ、伊勢国菰野藩(現三重県菰野町)の初代藩主土方雄氏の正室となりました。
    雄氏が京都で暮らし藩主不在となった菰野藩を2代「雄高」3代「雄豊」と、3代に渡り支えた八重姫の内助の功は大きい。領民たちの憩いの場を設けるため、河川の堤に桜や楓を植えさせたと言われており、今でもその名残の河川堤防が残っている。

  6. 板額御前(はんがくごぜん)

    弓の名手の女武将 板額御前 はんがくごぜん

    新潟県胎内市
    マンガ家:マンガ 中川佳南・田宮佑子・高橋渚、板額会
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    板額御前(はんがくごぜん)は、平安時代末期の12世紀後半越後国奥山荘(現新潟県胎内市)を治める城一族に生まれた女武将です。鎌倉時代前期正治3年(1201年)京都で城長茂が鎌倉幕府打倒に挙兵(建仁の乱)すると、城氏の本国越後国蒲原の鳥坂城(新潟県胎内市)も呼応しました。板額御前は、幕府討伐軍を弓で迎え撃ち、「吾妻鏡」に「弓の腕は百発百中、面貌宜しき」と記され、後に歌舞伎や浮世絵の題材となりました。

  7. 源範頼(みなもとののりより)

    頼朝・義経の兄弟、鎌倉幕府で活躍 源範頼 みなもとののりより

    埼玉県吉見町
    マンガ家:北川玲子
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    源範頼(みなもとののりより)は、平安時代末期久安6年(1150年)遠江国(現静岡県)で源義朝の6男として生まれた、頼朝の異母弟・義経の異母兄です。平治元年(1159年)平治の乱で義朝が平清盛に敗れると、範頼は武蔵国吉見岩殿山に身を寄せました。治承4年(1180年)頼朝が挙兵すると、範頼も合流し木曽義仲・平氏討伐に功績を挙げ、武蔵国吉見(現埼玉県比企郡吉見町)を領して吉見御所と尊称されました。

  8. 菊池武光(きくち たけみつ)

    南朝懐良親王を支え、九州を平定した 菊池武光 きくち たけみつ

    熊本県菊池市
    マンガ家:崇城大学芸術学部デザイン学科マンガ表現コース、マンガ制作監修 村井健太郎
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    菊池武光(きくち たけみつ)は、鎌倉時代末期元応元年(1319年)肥後国菊池郡(現熊本県菊池市周辺)を本拠とする豪族菊池氏に生まれ、第15代当主になりました。武光は、南北朝前期延元元年(1336年)南朝の征西府将軍として九州に下向した後醍醐天皇の皇子「懐良親王」を旗頭に迎え、足利尊氏を中心とする北朝勢力と20年以上争い、延文4年(1359年)「筑後川の戦い」に勝利して、九州を南朝に統一しました。

  9. 畠山重忠(はたけやま しげただ)

    鎌倉武士の鏡と称えられた 畠山重忠 はたけやま しげただ

    埼玉県嵐山町
    マンガ家:シナリオ 植木弘、マンガ 田畑沙雪・KR杉山ジョー
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    畠山重忠(はたけやま しげただ)は、平安時代末期の長寛2年(1164年)桓武平氏の畠山家に生まれ、武蔵国菅谷(現埼玉県嵐山町)に館を構えました。重忠は、源頼朝に仕え、源平の戦い、木曽義仲追討、源義経を追って平泉の藤原氏と戦った奥州合戦などで戦功を挙げ、草創期の鎌倉幕府の有力御家人として活躍しました。武芸に秀でるだけでなく、公正で誠実な人柄、知略、教養に優れ「鎌倉武士の鏡」と讃えられました。