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  • # 歴史・伝説
の検索結果:13件
  1. 森甚五兵衛(もり じんごべえ)

    阿波水軍を率いた侍 森甚五兵衛 もり じんごべえ

    徳島県阿南市
    マンガ家:原作 草壁知里、マンガ ぐんたお
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    森甚五兵衛(もり じんごべえ)は、戦国時代・江戸時代に阿波水軍を率いた森家当主が代々襲名した名前です。天正13年(1585年)2代目当主村春が阿波国土佐泊から阿波国椿泊(現徳島県阿南市)に本拠を移し城を構えました。マンガでは、(1566年)安土桃山時代文禄元年(1592年)秀吉の朝鮮出兵、江戸時代初期慶長14年(1614年)大坂の陣で戦功を挙げた4代目当主村重の功績と地域の歴史を紹介しています。

  2. 八重姫(やえひめ)

    菰野藩3代を支えた織田のお姫様 八重姫 やえひめ

    三重県菰野町
    マンガ家:監修 藤田達夫、マンガ 服部千里
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    八重姫(やえひめ)は、安土桃山時代天正16年(1588年)織田信長の次男織田信雄の娘として生まれ、伊勢国菰野藩(現三重県菰野町)の初代藩主土方雄氏の正室となりました。
    雄氏が京都で暮らし藩主不在となった菰野藩を2代「雄高」3代「雄豊」と、3代に渡り支えた八重姫の内助の功は大きい。領民たちの憩いの場を設けるため、河川の堤に桜や楓を植えさせたと言われており、今でもその名残の河川堤防が残っている。

  3. ヤマトタケル、オトタチバナヒメ()

    古代日本の伝説的英雄と妃 ヤマトタケル、オトタチバナヒメ

    三重県亀山市
    マンガ家:小林はな
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    ヤマトタケルは、奈良時代に編纂された「古事記(712年)、日本書紀(720年)」に伝わる古代日本の伝説的英雄で、熊襲征討・東国征討を行い、能煩野(三重県亀山市)で亡くなり日本武尊能褒野墓に葬られたと伝わります。
    オトタチバナヒメは、忍山神社(三重県亀山市)に生まれ、ヤマトタケルの妃となり、東国征討に同行して走水の海(東京湾浦賀水道)を舟で渡る際、荒れる海を鎮めるために入水した故事で知られます。

  4. 斎藤新五利治(さいとう しんごとしはる)

    織田信長に仕え、天下統一に貢献 斎藤新五利治 さいとう しんごとしはる

    岐阜県富加町
    マンガ家:渡辺浩行
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    斎藤新五利治(さいとう しんごとしはる)は、戦国時代天文10年(1541年)頃美濃国(現岐阜県)の戦国大名斎藤道三の末子として生まれたと伝わります。織田信長の家臣になり、兄義龍が父道三を殺して奪った美濃攻略戦で活躍し加治田城(岐阜県富加町)の城主となりました。その後も信長の側近として各地を転戦し、上杉征伐で大きな功績をあげる等信長の天下統一に貢献しましたが、本能寺の変で信長と運命を共にしました。

  5. 利波臣志留志(となみのおみしるし)

    砺波平野を水田開拓、伊賀の守となった 利波臣志留志 となみのおみしるし

    富山県砺波市
    マンガ家:前田徹
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    利波臣志留志(となみのおみしるし)は、奈良時代の越中国(現富山県)の地方豪族で、「墾田永年私財法」に合わせ、砺波平野の東側(現砺波市庄東地区)を広大な水田に開拓しました。天平19年(747年)聖武天皇が、奈良東大寺大仏を造立する際、志留志は米3,000石を寄進して大仏造立の支えとなり、朝廷から外従五位下に叙せられました。後に、従五位上・越中員外介、伊賀守へと無位から異例の立身出世を果たしました。

  6. 板額御前(はんがくごぜん)

    弓の名手の女武将 板額御前 はんがくごぜん

    新潟県胎内市
    マンガ家:マンガ 中川佳南・田宮佑子・高橋渚、板額会
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    板額御前(はんがくごぜん)は、平安時代末期の12世紀後半越後国奥山荘(現新潟県胎内市)を治める城一族に生まれた女武将です。鎌倉時代前期正治3年(1201年)京都で城長茂が鎌倉幕府打倒に挙兵(建仁の乱)すると、城氏の本国越後国蒲原の鳥坂城(新潟県胎内市)も呼応しました。板額御前は、幕府討伐軍を弓で迎え撃ち、「吾妻鏡」に「弓の腕は百発百中、面貌宜しき」と記され、後に歌舞伎や浮世絵の題材となりました。

  7. 源範頼(みなもとののりより)

    頼朝・義経の兄弟、鎌倉幕府で活躍 源範頼 みなもとののりより

    埼玉県吉見町
    マンガ家:北川玲子
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    源範頼(みなもとののりより)は、平安時代末期久安6年(1150年)遠江国(現静岡県)で源義朝の6男として生まれた、頼朝の異母弟・義経の異母兄です。平治元年(1159年)平治の乱で義朝が平清盛に敗れると、範頼は武蔵国吉見岩殿山に身を寄せました。治承4年(1180年)頼朝が挙兵すると、範頼も合流し木曽義仲・平氏討伐に功績を挙げ、武蔵国吉見(現埼玉県比企郡吉見町)を領して吉見御所と尊称されました。

  8. 支倉常長(はせくら つねなが)

    400年前、ローマ教皇に謁見 支倉常長 はせくら つねなが

    宮城県川崎町
    マンガ家:マンガ 「Haruka.」、監修 佐々木徹、シナリオ 粟野繁
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    支倉常長(はせくら つねなが)は、安土桃山時代元亀元年(1570年)出羽国立石村(現山形県米沢市)の支倉家に生まれ、8歳頃陸奥国支倉村(現宮城県川崎町)の支倉本家の養子となり、伊達政宗に仕えました。江戸時代前期慶長18年(1613年)政宗の命を受け、仙台藩が建造した西洋式帆船で太平洋を渡りメキシコ、さらに大西洋を渡りスペインに航海し、スペイン国王やローマ法王に謁見し貿易協定締結を目指しました。

  9. 菊池武光(きくち たけみつ)

    南朝懐良親王を支え、九州を平定した 菊池武光 きくち たけみつ

    熊本県菊池市
    マンガ家:崇城大学芸術学部デザイン学科マンガ表現コース、マンガ制作監修 村井健太郎
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    菊池武光(きくち たけみつ)は、鎌倉時代末期元応元年(1319年)肥後国菊池郡(現熊本県菊池市周辺)を本拠とする豪族菊池氏に生まれ、第15代当主になりました。武光は、南北朝前期延元元年(1336年)南朝の征西府将軍として九州に下向した後醍醐天皇の皇子「懐良親王」を旗頭に迎え、足利尊氏を中心とする北朝勢力と20年以上争い、延文4年(1359年)「筑後川の戦い」に勝利して、九州を南朝に統一しました。

  10. 和気清麻呂・和気広虫(わけのきよまろ、わけのひろむし)

    平安京を作った弟、人を救った姉 和気清麻呂・和気広虫 わけのきよまろ、わけのひろむし

    岡山県和気町
    マンガ家:南一平
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    和気清麻呂(わけのきよまろ)は、天平5年(733年)美作国藤野郡(現岡山県和気町)に生まれ、桓武天皇に仕え治水事業や長岡京遷都に力を発揮し、794年平安京遷都では新しい都づくりの責任者となり、1,200年以上続く「京の都」の基礎を築きました。
    和気広虫(わけのひろむし)は、清麻呂の姉で天平2年(730年)に生まれ、藤原仲麻呂の乱で死罪を得た375人の減刑を孝謙上皇に許され、孤児を養育しました。

  11. 畠山重忠(はたけやま しげただ)

    鎌倉武士の鏡と称えられた 畠山重忠 はたけやま しげただ

    埼玉県嵐山町
    マンガ家:シナリオ 植木弘、マンガ 田畑沙雪・KR杉山ジョー
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    畠山重忠(はたけやま しげただ)は、平安時代末期の長寛2年(1164年)桓武平氏の畠山家に生まれ、武蔵国菅谷(現埼玉県嵐山町)に館を構えました。重忠は、源頼朝に仕え、源平の戦い、木曽義仲追討、源義経を追って平泉の藤原氏と戦った奥州合戦などで戦功を挙げ、草創期の鎌倉幕府の有力御家人として活躍しました。武芸に秀でるだけでなく、公正で誠実な人柄、知略、教養に優れ「鎌倉武士の鏡」と讃えられました。

  12. 下毛野古麻呂(しもつけのこまろ)

    大宝律令をまとめ国家体制を作った 下毛野古麻呂 しもつけのこまろ

    栃木県下野市
    マンガ家:マンガ 朔田浩美・治島カロ、原作 山口耕一
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    下毛野古麻呂(しもつけのこまろ)は、飛鳥時代中期(650年頃)下野国河内郡(現栃木県下野市周辺)を本拠とする豪族下毛野氏に生まれ、都に出て持統・文武・元明3代の天皇に仕え参議・兵部卿・式部卿・大将軍などを歴任しました。特に、文武天皇の命を受け忍壁親王・藤原不比等・粟田真人と共に、大宝元年(701年)大宝律令をまとめ、天皇を中心とする中央集権的な政治制度、地方管制など古代日本の仕組みを作りました。