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の検索結果:39件
  1. 健堅大親(きんきんぬひゃー)

    明の難破船を助け交流に貢献 健堅大親 きんきんぬひゃー

    沖縄県本部町
    マンガ家:マンガ makiart、原案 知念正昭
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    健堅大親(きんきんぬひゃー)は、初代中山王察度の頃(1350年~1395年、南北朝時代)琉球国本部間切(現沖縄県本部町)を治めた士族で、久米島の堂の大親(どうのひゃー)と一緒に久米島を訪れた際、暴風で船が難破し久米島に漂着した明国人に帰国する船を作る木材と良馬を与え無事に帰国させた事から、明国皇帝から琉球王国を通じてお礼の絹と石碑が贈られたとの記述が琉球王国の史書「球陽」に残されています。

  2. 出原次左衛門(いずはら じざえもん)

    大阪の住民を率いて鹿児島を開拓 出原次左衛門 いずはら じざえもん

    鹿児島県大崎町
    マンガ家:あさごはん
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    出原次左衛門(いずはら じざえもん)は、江戸前期5代将軍綱吉の頃摂津国(現大阪府北部と兵庫県南部)の郡奉行を務めていましたが、大阪を本拠とした豊臣家を慕い徳川幕府に不満を持つ住民が多くいたため、豊臣家と関係が深い薩摩藩主島津家を頼り、元禄元年(1686年)から4回にわたり摂津・河内・和泉の住民128名を率いて薩摩国荒佐野(現鹿児島県大崎町野方)へ移住し、荒地を開拓し大崎地区の礎となりました。

  3. 後藤楢根(ごとう ならね)

    童話の普及と後進作家育成に貢献 後藤楢根 ごとう ならね

    大分県由布市
    マンガ家:原作 二宮寿、作画 一尾和史
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    後藤楢根さん(ごとう ならね)は、明治41年(1908年)大分県挟間町(現由布市挟間町)に生まれ、昭和2年(1927年)大分師範学校在学中に月刊「童謡詩人」を発行、その後小学校教師として童謡運動を行い、昭和13年上京して新聞社に勤務しながら多くの童話童謡を出版しました。終戦の翌年昭和21年に日本童話会を設立、機関誌「童話」から佐藤さとる、那須正幹などの後進が育ち、童話の普及と発展に貢献しました。

  4. 出光佐三(いでみつ さぞう)

    日本の石油産業と故郷に貢献した 出光佐三 いでみつ さぞう

    福岡県宗像市
    マンガ家:飯田晴子
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    出光佐三さん(いでみつ さぞう)は、明治18年(1885年)福岡県宗像郡赤間村(現宗像市赤間)に生まれ、幼少期から病と闘いながら成長し、明治44年(1911年)福岡県門司市(現北九州市門司区)に石油などを扱う出光商会を設立。戦前戦後にわたり日本の石油産業に貢献しました。生涯最後の仕事として「宗像神社再建」にも取り組み、世界遺産登録の礎を築きました。

  5. 藤岡市助(ふじおか いちすけ)

    日本の電気の父 藤岡市助 ふじおか いちすけ

    山口県岩国市
    マンガ家:近藤たかし
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    藤岡市助(ふじおか いちすけ)は、幕末安政4年(1857年)周防国岩国(現山口県岩国市)に生まれ、明治14年工部大学校(現東京大学工学部)卒業後同大学助手となり、明治17年工部大学校教授就任、明治19年帝国大学工科大学助教授を辞職して電力会社東京電灯に入る。明治23年三吉正一と電球製造の白熱舎(現東芝)を創設、日本初の電車・エレベーターを設計、「日本のエジソン」、「日本の電気の父」と呼ばれる。

  6. 渡辺武次郎(わたなべ たけじろう)

    東京丸ノ内を再開発した実業家 渡辺武次郎 わたなべ たけじろう

    岡山県矢掛町
    マンガ家:南一平
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    渡邊武次郎さん(わたなべ たけじろう)は、明治27年(1894年)岡山県矢掛町に生まれ、大正9年(1918年)三菱合資会社に入社、1937年三菱地所株式会社の設立に伴い転籍し、社長や会長・相談役を務めました。昭和34年(1959年)三菱地所の社長となった武次郎は、創業初期の三菱社が荒れ地から開発した「丸の内オフィス街」の再開発「丸ノ内総合改造計画」を策定・指揮し、三菱地所中興の祖と呼ばれました。

  7. 金森長近(かなもり ながちか)

    飛騨高山を築いた戦国武将 金森長近 かなもり ながちか

    岐阜県高山市
    マンガ家:マンガ 中井邦彦、原作 谷前英夫
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    金森長近(かなもり ながちか)は、戦国時代大永4年(1524年)美濃国土岐郡多治見郷大畑村(現岐阜県多治見市)に生まれ、天文10年(1541年)尾張の織田家に仕え、長篠の戦いなどで活躍しました。織田信長の死後は豊臣秀吉に仕えて功を挙げ、飛騨3万8,700石を与えられ、天正18年(1590年)から高山城の築城と城下町の整備をはじめ、現在観光地としても人気を集める飛騨高山の街並みの基礎を作りました。

  8. 根津嘉一郎(ねづ かいちろう)

    東武鉄道を再建!スゴ腕実業家 根津嘉一郎 ねづ かいちろう

    山梨県山梨市
    マンガ家:田中正仁
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    根津嘉一郎(ねづ かいちろう)は、幕末万延元年(1860年)甲斐国山梨郡正徳寺村(現山梨県山梨市)に生まれ、明治22年(1889年)村会議員に当選し、その後、県会議員、村長、衆議院議員(連続4期)、貴族院勅選議員となり政治家として活躍すると共に、鉄道事業と電力事業を中心に出資するだけでなく積極的に経営に参画し、東武鉄道や南海鉄道など200社もの経営や経営再建に関わり日本の産業発展に貢献しました。

  9. 雨宮敬次郎(あめみや けいじろう)

    鉄道王と呼ばれた男 雨宮敬次郎 あめみや けいじろう

    山梨県甲州市
    マンガ家:原作・脚本 江宮隆之、マンガ イセダマミコ
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    雨宮敬次郎(あめみや けいじろう)は、江戸後期弘化3年(1846年)甲斐国山梨郡牛奥村(現山梨県甲州市)に生まれ、明治21年(1888年)甲武鉄道(現JR中央本線)への投資を皮切りに、川越鉄道(現西武国分寺線・新宿線)、北海道炭礦鉄道(現JR幌内線他)、大師電気鉄道(現京急大師線)、江ノ島電鉄、地方鉄道8社を合併した大日本軌道など、鉄道の経営・開設に関わり「明治の鉄道王」と呼ばれた実業家です。

  10. 長連龍(ちょう つらたつ)

    繰り返し立ち上がった不屈の武将 長連龍 ちょう つらたつ

    石川県穴水町
    マンガ家:監修 東四栁史明、原作 杉畠啓文、マンガ チハラアケミ
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    長連龍(ちょう つらたつ)は、戦国時代 天文15年(1546年)能登畠山家の家臣長家に生まれ、畠山家が上杉謙信に敗れ滅んだ後は織田信長、信長が本能寺で討たれた後は前田利家、利家の死後は後継者の利長に仕えて、賤ヶ岳の戦い、小田原征伐、朝鮮出兵、関ヶ原の戦い、大坂の陣など戦国時代から江戸初期まで生涯41回の合戦で活躍し、勇名を馳せた武将です。子孫は、前田家の家老として幕末まで前田家を支えました。

  11. 醍醐新兵衛(だいご しんべえ)

    組織化した船団で捕鯨を行った 醍醐新兵衛 だいご しんべえ

    千葉県鋸南町
    マンガ家:監修 鋸南町歴史民俗資料館、ストーリー 笹生浩樹、マンガ 石川マサキ
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    醍醐新兵衛(だいご しんべえ、初代定明)は、江戸初期寛永7年(1630年)安房国勝山村(現千葉県鋸南町)に生まれ、クジラを捕る鯨組や解体する出刃組、鯨油を摂る釜前人足など500人規模の組織化された船団で、江戸湾のクジラを捕った関東(房総)捕鯨の祖です。醍醐家は代々捕鯨の元締めを務め、明治以降は西洋の捕鯨技術を取り入れ会社経営で捕鯨を行いました。現在も房総地域には沿岸小型捕鯨が引き継がれています。

  12. 岡田宗山(おかだ そうざん)

    農業用水唐桶溜を作った 岡田宗山 おかだ そうざん

    栃木県芳賀町
    マンガ家:編集 田中誠一、作画 久保田ゆうと
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    岡田宗山(おかだ そうざん)は、江戸時代前期の下野国東水沼村(現栃木県芳賀町)の名主で、水不足に苦しんでいた農民のため、鬼怒川からの導水に成功した板戸用水からの分水に長年尽力し、宝永3年(1706年)岡堀1230間(2.2キロメートル)掘抜(隧道)300間(540メートル)開削等の難工事を完成させ、鬼怒川から唐桶溜への導水が実現しました。これらの事業に宗山は多額の私財を投じ、農民達は総出で労力を提供しました。