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  • # 熱血
の検索結果:61件
  1. 徳三宝(とく さんぽう)

    講道館四天王と呼ばれた柔道王 徳三宝 とく さんぽう

    鹿児島県天城町
    マンガ家:マンガ作画 ダムダム、制作統括 四元重美
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    徳三宝(とく さんぽう)は、明治20年(1887年)鹿児島県大島郡天城町に生まれ、明治39年(1906年)講道館に入門、恵まれた体格と猛稽古で、大正時代「講道館四天王」と称されました。早稲田大学、日本大学、拓殖大学などの柔道部師範、自設の研道館師範として弟子の教育にも努めました。昭和20年(1945年)3月10日東京大空襲の猛火の中、罹災者救助に奔走しましたが死去、講道館柔道九段に昇段しました。

  2. 長沢鼎(ながさわ かなえ)

    ワイン事業で成功した薩摩隼人 長沢鼎 ながさわ かなえ

    鹿児島県いちき串木野市
    マンガ家:シナリオ制作 小谷さらさ、マンガ作画 森永智子
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    長沢鼎(ながさわ かなえ)は、幕末嘉永5年(1852年)薩摩国鹿児島城下(現鹿児島県鹿児島市)に生まれ、慶応元年(1865年)薩摩藩の英国留学で渡航、維新で多くの留学生が帰国する中、慶応3年(1867年)渡米し宗教団体で信仰生活を送りながらワイン醸造と葡萄栽培を学び、カリフォルニア州の教団農場を任されました。1900年長沢は教団農場を買取り、カリフォルニア州十大ワイナリーの一つに育て上げました。

  3. 原田正純(はらだ まさずみ)

    水俣病や公害問題に取組んだ医師 原田正純 はらだ まさずみ

    鹿児島県さつま町
    マンガ家:みずもとみほ
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    原田正純さん(はらだ まさずみ)は、昭和9年(1934年)長崎県で生まれ熊本で暮らしていましたが、空襲で母を亡くし父の実家の鹿児島県宮之城町(現さつま町)で幼少期を過ごしました。のちに熊本大学医学部に進み昭和36年(1961年)水俣病の調査を始めました。原田医師は、患者の立場から診断と研究を行い、被害者救済と原因究明のため尽力しました。その後も各地の環境公害被害について調査し世界に訴えました。

  4. 藤岡市助(ふじおか いちすけ)

    日本の電気の父 藤岡市助 ふじおか いちすけ

    山口県岩国市
    マンガ家:近藤たかし
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    藤岡市助(ふじおか いちすけ)は、幕末安政4年(1857年)周防国岩国(現山口県岩国市)に生まれ、明治14年工部大学校(現東京大学工学部)卒業後同大学助手となり、明治17年工部大学校教授就任、明治19年帝国大学工科大学助教授を辞職して電力会社東京電灯に入る。明治23年三吉正一と電球製造の白熱舎(現東芝)を創設、日本初の電車・エレベーターを設計、「日本のエジソン」、「日本の電気の父」と呼ばれる。

  5. 畝為吉(うね ためきち)

    故郷を思いトンネルを開通させた 畝為吉 うね ためきち

    広島県坂町
    マンガ家:シナリオ・作画 藤川悠希 倉田舞
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    畝為吉さん(うね ためきち)は、明治22年(1889年)広島県安芸郡坂村(現坂町)に生まれ、細く険しい西嶽峠の通行に苦労する村人のため、14歳でトンネルの開削を思いつきました。為吉は、明治39年(1906年)16歳で単身ハワイにわたり苦労の末成功し、昭和24年(1949年)60歳で帰郷、自らスコップを持ち村人と一緒に工事を始め、昭和26年に1年4ヵ月の工期と私財を費やしてトンネルが完成しました。

  6. 渡辺武次郎(わたなべ たけじろう)

    東京丸ノ内を再開発した実業家 渡辺武次郎 わたなべ たけじろう

    岡山県矢掛町
    マンガ家:南一平
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    5.00
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    渡邊武次郎さん(わたなべ たけじろう)は、明治27年(1894年)岡山県矢掛町に生まれ、大正9年(1918年)三菱合資会社に入社、1937年三菱地所株式会社の設立に伴い転籍し、社長や会長・相談役を務めました。昭和34年(1959年)三菱地所の社長となった武次郎は、創業初期の三菱社が荒れ地から開発した「丸の内オフィス街」の再開発「丸ノ内総合改造計画」を策定・指揮し、三菱地所中興の祖と呼ばれました。

  7. 上垣守国(うえがき もりくに)

    日本の近代養蚕業の父 上垣守国 うえがき もりくに

    兵庫県養父市
    マンガ家:コンタロウ
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    上垣守国(うえがき もりくに)は、江戸中期宝暦3年(1753年)但馬国養父郡蔵垣村(現兵庫県養父市)に生まれ、養蚕技術取得と蚕種改良に尽力し、但馬・丹波・丹後に養蚕を普及させました。守国が享和2年(1802年)に著した養蚕技術書「養蚕秘録」は、明治20年(1887年)頃まで80年以上出版され、日本の生糸産業発展に貢献しました。また「養蚕秘録」は、翻訳されて1848年パリとトリノで出版されました。

  8. 前田周助(まえだ しゅうすけ)

    但馬牛を築いた男 前田周助 まえだ しゅうすけ

    兵庫県香美町
    マンガ家:おかのりこ
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    前田周助(まえだ しゅうすけ)は、江戸後期寛政10年(1798年)但馬国七美郡小代村(現兵庫県美方郡香美町小代区)に生まれ、牛を育てる腕と鑑識眼が認められ周助の牛は高値で売れました。周助は、“良い仔牛は良い母牛から生まれる”ことを認識しており、良牛の固定化のため繁殖に努力し、年々続いて良い仔牛を産む「周助蔓」の始祖を作り上げました。周助蔓の優れた形質は、但馬牛を始めとする和牛に伝えられています。

  9. 長瀬富郎(ながせ とみろう)

    良質石鹸の国産化、花王創業者 長瀬富郎 ながせ とみろう

    岐阜県中津川市
    マンガ家:作画 深川明美
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    長瀬富郎(ながせ とみろう)は、幕末文久3年(1863年)美濃国恵那郡福岡村(現岐阜県中津川市福岡)に生まれ、明治18年(1885年)上京して日本橋の和洋小間物商に入店し舶来品の石けん等を扱いました。長瀬は、明治20年日本橋で「長瀬商店」を創業し、舶来品に負けない高品質な石鹸製造に乗り出し、明治23年「花王石鹸」を発売、海外でも品質を認められました。長瀬商店は、花王株式会社として続いています。

  10. 根津嘉一郎(ねづ かいちろう)

    東武鉄道を再建!スゴ腕実業家 根津嘉一郎 ねづ かいちろう

    山梨県山梨市
    マンガ家:田中正仁
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    4.20
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    根津嘉一郎(ねづ かいちろう)は、幕末万延元年(1860年)甲斐国山梨郡正徳寺村(現山梨県山梨市)に生まれ、明治22年(1889年)村会議員に当選し、その後、県会議員、村長、衆議院議員(連続4期)、貴族院勅選議員となり政治家として活躍すると共に、鉄道事業と電力事業を中心に出資するだけでなく積極的に経営に参画し、東武鉄道や南海鉄道など200社もの経営や経営再建に関わり日本の産業発展に貢献しました。

  11. 雨宮敬次郎(あめみや けいじろう)

    鉄道王と呼ばれた男 雨宮敬次郎 あめみや けいじろう

    山梨県甲州市
    マンガ家:原作・脚本 江宮隆之、マンガ イセダマミコ
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    5.00
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    雨宮敬次郎(あめみや けいじろう)は、江戸後期弘化3年(1846年)甲斐国山梨郡牛奥村(現山梨県甲州市)に生まれ、明治21年(1888年)甲武鉄道(現JR中央本線)への投資を皮切りに、川越鉄道(現西武国分寺線・新宿線)、北海道炭礦鉄道(現JR幌内線他)、大師電気鉄道(現京急大師線)、江ノ島電鉄、地方鉄道8社を合併した大日本軌道など、鉄道の経営・開設に関わり「明治の鉄道王」と呼ばれた実業家です。

  12. 醍醐新兵衛(だいご しんべえ)

    組織化した船団で捕鯨を行った 醍醐新兵衛 だいご しんべえ

    千葉県鋸南町
    マンガ家:監修 鋸南町歴史民俗資料館、ストーリー 笹生浩樹、マンガ 石川マサキ
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    醍醐新兵衛(だいご しんべえ、初代定明)は、江戸初期寛永7年(1630年)安房国勝山村(現千葉県鋸南町)に生まれ、クジラを捕る鯨組や解体する出刃組、鯨油を摂る釜前人足など500人規模の組織化された船団で、江戸湾のクジラを捕った関東(房総)捕鯨の祖です。醍醐家は代々捕鯨の元締めを務め、明治以降は西洋の捕鯨技術を取り入れ会社経営で捕鯨を行いました。現在も房総地域には沿岸小型捕鯨が引き継がれています。