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日本初、国産機で世界一周した 中尾純利 なかお すみとし
鹿児島県阿久根市マンガ家:原案 春野洋治郎、マンガ作画 青梨中尾純利さん(なかお すみとし)は、明治36年(1903年)鹿児島県出水郡阿久根村(現阿久根市)に生まれ、大正10年(1921年)陸軍航空学校民間機操縦士受入れ第1期生として入校、三菱重工業のテストパイロットになりました。昭和14年(1939年)国産機「ニッポン号」で5大陸20か国を巡る世界一周親善飛行に成功。戦後昭和27年(1952年)東京国際空港初代空港長となリ民間航空の発展に貢献しました。
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ワイン事業で成功した薩摩隼人 長沢鼎 ながさわ かなえ
鹿児島県いちき串木野市マンガ家:シナリオ制作 小谷さらさ、マンガ作画 森永智子長沢鼎(ながさわ かなえ)は、幕末嘉永5年(1852年)薩摩国鹿児島城下(現鹿児島県鹿児島市)に生まれ、慶応元年(1865年)薩摩藩の英国留学で渡航、維新で多くの留学生が帰国する中、慶応3年(1867年)渡米し宗教団体で信仰生活を送りながらワイン醸造と葡萄栽培を学び、カリフォルニア州の教団農場を任されました。1900年長沢は教団農場を買取り、カリフォルニア州十大ワイナリーの一つに育て上げました。
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日本の電気の父 藤岡市助 ふじおか いちすけ
山口県岩国市マンガ家:近藤たかし藤岡市助(ふじおか いちすけ)は、幕末安政4年(1857年)周防国岩国(現山口県岩国市)に生まれ、明治14年工部大学校(現東京大学工学部)卒業後同大学助手となり、明治17年工部大学校教授就任、明治19年帝国大学工科大学助教授を辞職して電力会社東京電灯に入る。明治23年三吉正一と電球製造の白熱舎(現東芝)を創設、日本初の電車・エレベーターを設計、「日本のエジソン」、「日本の電気の父」と呼ばれる。
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日本の近代養蚕業の父 上垣守国 うえがき もりくに
兵庫県養父市マンガ家:コンタロウ上垣守国(うえがき もりくに)は、江戸中期宝暦3年(1753年)但馬国養父郡蔵垣村(現兵庫県養父市)に生まれ、養蚕技術取得と蚕種改良に尽力し、但馬・丹波・丹後に養蚕を普及させました。守国が享和2年(1802年)に著した養蚕技術書「養蚕秘録」は、明治20年(1887年)頃まで80年以上出版され、日本の生糸産業発展に貢献しました。また「養蚕秘録」は、翻訳されて1848年パリとトリノで出版されました。
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東京タワーをつくった人 内藤多仲 ないとう たちゅう
山梨県南アルプス市マンガ家:原作 江宮隆之、マンガ 花松あやか、監修 内藤多四郎 山田眞内藤多仲さん(ないとう たちゅう)は、明治19年(1886年)山梨県中巨摩郡榊村(現南アルプス市)に生まれた建築構造学者、建築家です。「耐震構造」という地震が起きても建物が壊れにくくなる仕組みを考え、「耐震構造の父」と称されました。また、東京タワーなど多くの塔を設計したことから「塔博士」とも呼ばれています。
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組織化した船団で捕鯨を行った 醍醐新兵衛 だいご しんべえ
千葉県鋸南町マンガ家:監修 鋸南町歴史民俗資料館、ストーリー 笹生浩樹、マンガ 石川マサキ醍醐新兵衛(だいご しんべえ、初代定明)は、江戸初期寛永7年(1630年)安房国勝山村(現千葉県鋸南町)に生まれ、クジラを捕る鯨組や解体する出刃組、鯨油を摂る釜前人足など500人規模の組織化された船団で、江戸湾のクジラを捕った関東(房総)捕鯨の祖です。醍醐家は代々捕鯨の元締めを務め、明治以降は西洋の捕鯨技術を取り入れ会社経営で捕鯨を行いました。現在も房総地域には沿岸小型捕鯨が引き継がれています。
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あんパンの生みの親 木村安兵衛 きむら やすべえ
茨城県龍ケ崎市マンガ家:きむらひろき木村安兵衛(きむら やすべえ)は、江戸後期文化14年(1817年)常陸国田宮村(現茨城県牛久市田宮町)に生まれ、天保10年(1839年)頃下総国北相馬郡川原代村(現茨城県龍ケ崎市川原代町)の木村家の婿養子となり、安兵衛を襲名しました。安兵衛は上京して、明治2年(1869年)日本人を対象にした日本初のパン屋を創業しますが売れ行きが悪く、明治7年“日本人が喜ぶパン”として「あんパン」を作りました。
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日本美術を世界に紹介した 岡倉天心 おかくら てんしん
茨城県北茨城市マンガ家:監修・原案 小泉晋弥、作画 産本まぐろ岡倉天心(おかくら てんしん)は、幕末文久2年(1863年)横浜に生まれ、明治22年(1889年)東京美術学校(現東京藝術大学美術学部)設立、日本美術院創設、ボストン美術館中国・日本美術部長就任等、日本の美術史学研究の開拓者であり、美術評論、美術家養成に貢献しました。天心は、明治38年(1905年)茨城県大津町(現北茨城市)の五浦海岸に自身の設計による邸宅と六角堂を建築し、活動の拠点としました。
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親子孫三代の賢人 大槻玄沢・磐渓・文彦 おおつき げんたく・ばんけい・ふみひこ
岩手県一関市マンガ家:そのだつくし大槻玄沢(おおつき げんたく)は、江戸中期宝暦7年(1757年)陸奥国磐井郡中里(現岩手県一関市)に生まれ、「蘭学階梯」、「重訂解体新書」等を記しました。
玄沢の子磐渓(ばんけい)は、江戸後期享和元年(1801年)に生まれ、奥羽越列藩同盟の結成に尽力しました。
磐渓の子文彦(ふみひこ)は、江戸後期弘化4年(1847年)に生まれ、明治19年日本初の近代的国語辞書「言海」を完成させました。- # 近世(17)
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製麻業を興した兄、昭和を考案した弟 吉田健作、吉田増蔵 よしだ けんさく、よしだ ますぞう
福岡県みやこ町マンガ家:向山廉平吉田兄弟は、豊前国京都郡上田村(現福岡県みやこ町)の出身です。兄健作(けんさく)は、江戸後期嘉永5年(1852年)に生まれ、内務省に入りフランスで製麻技術を学び、帰国後近代的な製麻工場を国内3ヵ所に建設し殖産興業に寄与しました。弟増蔵(ますぞう)は、幕末慶応2年(1866年)に生まれ、宮内省図書寮に務め、その長であった森鴎外に才能を評価され、「大正」に次ぐ元号考案に携わり「昭和」を考案しました。
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洋書翻訳や外交交渉で活躍した 箕作阮甫 みつくり げんぽ
岡山県津山市マンガ家:南一平箕作阮甫(みつくり げんぽ)は、寛政11年(1799年)美作国津山西新町(現岡山県津山市)に生まれ、幼くして父を亡くし苦労しながら学問に励み、21歳で津山藩医となりました。
25歳で江戸に出て医学とオランダ語を学び、特に翻訳で才能を発揮して医学だけでなく語学・地理学・兵学など広い分野の“洋学”を研究し、さらには幕末の外交交渉や、東京大学の創立過程などで活躍し、日本の近代化への道筋を示しました。- # 近世(17)
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日本初の国産カレー粉を作った 山崎峯次郎 やまざき みねじろう
埼玉県松伏町マンガ家:箱宮ケイ山崎峯次郎さん(やまざき みねじろう)は、明治36年(1903年)埼玉県北葛飾郡金杉村(現松伏町)に生まれ、大正9年(1920年)17歳で上京、当時輸入品しかなかったカレー粉の製造方法を研究し、大正12年浅草にエスビー食品の前身「日賀志屋」を創業して日本で初めてカレー粉の国内製造販売を行いました。その後の戦争などの苦難も乗り越え、日本人の国民食「カレーライス」の発展、スパイスの普及に努めました。
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