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  1. 支倉常長(はせくら つねなが)

    400年前、ローマ教皇に謁見 支倉常長 はせくら つねなが

    宮城県川崎町
    マンガ家:マンガ 「Haruka.」、監修 佐々木徹、シナリオ 粟野繁
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    支倉常長(はせくら つねなが)は、安土桃山時代元亀元年(1570年)出羽国立石村(現山形県米沢市)の支倉家に生まれ、8歳頃陸奥国支倉村(現宮城県川崎町)の支倉本家の養子となり、伊達政宗に仕えました。江戸時代前期慶長18年(1613年)政宗の命を受け、仙台藩が建造した西洋式帆船で太平洋を渡りメキシコ、さらに大西洋を渡りスペインに航海し、スペイン国王やローマ法王に謁見し貿易協定締結を目指しました。

  2. 佐藤昌介(さとう しょうすけ)

    北の大地を拓いた花巻の先人 佐藤昌介 さとう しょうすけ

    岩手県花巻市
    マンガ家:マンガ そのだつくし、監修 佐藤昌介顕彰会
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    佐藤昌介(さとう しょうすけ)は、幕末安政3年(1856年)陸奥国盛岡藩花巻村(現岩手県花巻市)に生まれ、明治4年(1871年)14歳で上京し、大学南校・東京外国語学校などで学び、明治9年(1876年)新設された「札幌農学校」の一期生としてウィリアム・スミス・クラーク博士の教育・徳育を受けました。アメリカ留学後日本初の農学博士となり、札幌農学校を北海道帝国大学へと昇格させ、初代総長となりました。

  3. 三浦梅園(みうら ばいえん)

    独自の哲学「条理学」を構築 三浦梅園 みうら ばいえん

    大分県国東市
    マンガ家:アキヨシカズタカ
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    三浦梅園(みうら ばいえん)は、江戸時代中期享保8年(1723年)豊後国杵築藩(現大分県国東市)に生まれ、富永村(現国東市)に「梅園塾」を開き、独自の学問体系「条理学」を打ち立て、玄語・贅語・敢語の「梅園三語」を著した、思想家・自然哲学者です。窮民救済制度「慈悲無尽」や村人を救った逸話から「豊後聖人」とも呼ばれました。明治30年代(1900年頃)、内藤湖南が再評価し、全国的に有名になりました。

  4. 加藤文太郎(かとう ぶんたろう)

    孤高の登山家 加藤文太郎 かとう ぶんたろう

    兵庫県新温泉町
    マンガ家:中澤大作
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    加藤文太郎(かとう ぶんたろう)は、明治38年(1905年)兵庫県美方郡浜坂町(現新温泉町)に生まれ、神戸市の三菱内燃機製作所に入社。仕事をしながら学校に通い、1932年技術者の最高位“技師”に昇進しました。入社当時から神戸の外国人の影響で流行し始めた登山に熱中し、パーティー登山が常識の時代、単独行で次々と登攀記録を立て「単独行の文太郎」と呼ばれ、新田次郎の小説「孤高の人」のモデルとなりました。

  5. 三浦環、三浦政太郎(みうら たまき、みうら まさたろう)

    世界的オペラ歌手と医学者 三浦環、三浦政太郎 みうら たまき、みうら まさたろう

    静岡県袋井市
    マンガ家:原作 まるおけいこ、マンガ 野口芽衣・伊咲ウタ、監修 田辺久之
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    三浦環(みうら たまき)は、明治17年(1884年)東京府(現東京都)に生まれ、大正4年(1915年)アメリカで演じた「蝶々夫人」で、世界的なオペラ歌手となりました。
    三浦政太郎(みうら まさたろう)は、明治12年(1879年)静岡県に生まれ、東京帝国大学医科を首席で卒業、大正2年(1913年)環と結婚し欧米で医学を研究、壊血病に効果のあるビタミンCが緑茶に多く含まれていることを発見しました。

  6. 下毛野古麻呂(しもつけのこまろ)

    大宝律令をまとめ国家体制を作った 下毛野古麻呂 しもつけのこまろ

    栃木県下野市
    マンガ家:マンガ 朔田浩美・治島カロ、原作 山口耕一
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    下毛野古麻呂(しもつけのこまろ)は、飛鳥時代中期(650年頃)下野国河内郡(現栃木県下野市周辺)を本拠とする豪族下毛野氏に生まれ、都に出て持統・文武・元明3代の天皇に仕え参議・兵部卿・式部卿・大将軍などを歴任しました。特に、文武天皇の命を受け忍壁親王・藤原不比等・粟田真人と共に、大宝元年(701年)大宝律令をまとめ、天皇を中心とする中央集権的な政治制度、地方管制など古代日本の仕組みを作りました。

  7. 小松耕輔(こまつ こうすけ)

    西洋音楽の伝道師 小松耕輔 こまつ こうすけ

    秋田県由利本荘市
    マンガ家:原作 小林義人、マンガ 速水ゆかこ
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    小松耕輔さん(こまつ こうすけ)は、明治17年(1884年)秋田県由利郡舘合村(現由利本荘市)に生まれ、パリ国立音楽院に学び作曲家として活躍する他、国民音楽協会設立、日本初の合唱コンクール開催など音楽の普及に尽力、音楽教育家としても、学習院大学、お茶の水女子大学、日本大学などで教鞭をとり音楽教育に貢献しました。また作曲家の著作権擁護にも努め、現在の一般社団法人日本音楽著作権協会の礎を築きました。

  8. 根岸錦蔵(ねぎし きんぞう)

    女満別空港はじまりのパイロット 根岸錦蔵 ねぎし きんぞう

    北海道大空町
    マンガ家:岩原裕二
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    根岸錦蔵さん(ねぎし きんぞう)は、明治35年(1902年)東京府(現東京都)に生まれ、日本航空界創成期に活躍したパイロットです。
    昭和10年冷害に苦しむ北海道女満別村(現大空町)に、村民1,300人の協力を得て、気象観測の基礎となる流氷観測用の滑走路を完成させ、現在の「女満別空港」に続く飛行場を開きました。
    流氷観測で得られたデータは、北海道の天気予知に役立ち、農業漁業の発展を支えました。