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  • # 熱血
の検索結果:39件
  1. 田沢実入(たざわ みのり)

    大河津分水建設で、水害防止・米作発展 田沢実入 たざわ みのり

    新潟県新潟市
    マンガ家:構成 原義雅、監修 浮須修栄・樋口勲、マンガ シカクメガネ
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    田沢実入(たざわ みのり)は、江戸時代後期嘉永5年(1852年)越後国古川村(現新潟県新潟市)に生まれ、早くから江戸幕府に大河津分水建設の請願を繰り返した父与一郎と親子2代にわたり、大河津分水建設に尽力しました。実入は父以上の熱意で取組み、大正11年(1922年)70歳の時「東洋一の大工事」と言われた大河津分水が完成し、信濃川下流域の水害は激減し、新潟平野は日本有数の豊かな米どころになりました。

  2. 鈴木文台(すずき ぶんたい)

    私塾を開き地域の人材を育てた 鈴木文台 すずき ぶんたい

    新潟県燕市
    マンガ家:児玉直樹
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    鈴木文台(すずき ぶんたい)は、江戸時代後期寛政8年(1796年)越後国粟生津村(現新潟県燕市)に生まれ、名僧良寛とも親交を持ちました。文台は、様々な学者の講義を聴き江戸にも遊学しますが、師事せずに多くの書物を読み自身で研究する「無師独学」を進め、天保4年(1833年)38歳で粟生津村に私塾「長善館」を開きました。長善館は、明治45年(1912年)まで3代79年間も続き、多くの人材を育てました。

  3. 源範頼(みなもとののりより)

    頼朝・義経の兄弟、鎌倉幕府で活躍 源範頼 みなもとののりより

    埼玉県吉見町
    マンガ家:北川玲子
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    源範頼(みなもとののりより)は、平安時代末期久安6年(1150年)遠江国(現静岡県)で源義朝の6男として生まれた、頼朝の異母弟・義経の異母兄です。平治元年(1159年)平治の乱で義朝が平清盛に敗れると、範頼は武蔵国吉見岩殿山に身を寄せました。治承4年(1180年)頼朝が挙兵すると、範頼も合流し木曽義仲・平氏討伐に功績を挙げ、武蔵国吉見(現埼玉県比企郡吉見町)を領して吉見御所と尊称されました。

  4. 山崎峯次郎(やまざき みねじろう)

    日本初の国産カレー粉を作った 山崎峯次郎 やまざき みねじろう

    埼玉県松伏町
    マンガ家:箱宮ケイ
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    山崎峯次郎さん(やまざき みねじろう)は、明治36年(1903年)埼玉県北葛飾郡金杉村(現松伏町)に生まれ、大正9年(1920年)17歳で上京、当時輸入品しかなかったカレー粉の製造方法を研究し、大正12年浅草にエスビー食品の前身「日賀志屋」を創業して日本で初めてカレー粉の国内製造販売を行いました。その後の戦争などの苦難も乗り越え、日本人の国民食「カレーライス」の発展、スパイスの普及に努めました。

  5. 髙宮常太郎(たかみや つねたろう)

    徳良湖を作り、花笠音頭が生まれた 髙宮常太郎 たかみや つねたろう

    山形県尾花沢市
    マンガ家:原作 あべ美佳、マンガ 瀧宏一・東北芸術工科大学漫画研究同好会
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    髙宮常太郎さん(たかみや つねたろう)は、明治19年山形県尾花沢村(現尾花沢市)に生まれ、大正8年農業用水確保の人造湖「徳良湖」の築堤を始め、大正10年その完成により荒地が水田や畑に開拓されました。
    また、築堤工事の作業歌から全国に知られる「花笠音頭、花笠踊り」が生まれました。
    その後も髙宮さんは、尾花沢鉄道開業、尾花沢貨物自動車㈱設立、旧尾花沢町長、山形県議会議員などで地域に貢献しました。

  6. 天野芳太郎(あまの よしたろう)

    ペルーにアンデス文明博物館を開館 天野芳太郎 あまの よしたろう

    秋田県男鹿市
    マンガ家:坂田もち江
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    天野芳太郎さん(あまの よしたろう)は、明治31年(1898年)秋田県脇本村(現男鹿市)に生まれ、昭和3年(1928年)南米に渡り、パナマ、ペルー、などで事業を行うと共に古代アンデス文明の遺跡を調査しました。昭和16年(1941年)第二次世界大戦勃発により、南米の財産を失い日本に帰国しますが、終戦後また南米に渡りペルーで事業を成功させると遺跡調査を行い、収集した遺物を展示する博物館を開きました。

  7. 支倉常長(はせくら つねなが)

    400年前、ローマ教皇に謁見 支倉常長 はせくら つねなが

    宮城県川崎町
    マンガ家:マンガ 「Haruka.」、監修 佐々木徹、シナリオ 粟野繁
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    支倉常長(はせくら つねなが)は、安土桃山時代元亀元年(1570年)出羽国立石村(現山形県米沢市)の支倉家に生まれ、8歳頃陸奥国支倉村(現宮城県川崎町)の支倉本家の養子となり、伊達政宗に仕えました。江戸時代前期慶長18年(1613年)政宗の命を受け、仙台藩が建造した西洋式帆船で太平洋を渡りメキシコ、さらに大西洋を渡りスペインに航海し、スペイン国王やローマ法王に謁見し貿易協定締結を目指しました。

  8. 佐藤昌介(さとう しょうすけ)

    北の大地を拓いた花巻の先人 佐藤昌介 さとう しょうすけ

    岩手県花巻市
    マンガ家:マンガ そのだつくし、監修 佐藤昌介顕彰会
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    佐藤昌介(さとう しょうすけ)は、幕末安政3年(1856年)陸奥国盛岡藩花巻村(現岩手県花巻市)に生まれ、明治4年(1871年)14歳で上京し、大学南校・東京外国語学校などで学び、明治9年(1876年)新設された「札幌農学校」の一期生としてウィリアム・スミス・クラーク博士の教育・徳育を受けました。アメリカ留学後日本初の農学博士となり、札幌農学校を北海道帝国大学へと昇格させ、初代総長となりました。

  9. 陸羯南(くが かつなん)

    国民主義を唱えたジャーナリスト 陸羯南 くが かつなん

    青森県弘前市
    マンガ家:マンガ 仁山渓太郎、原案 櫛引洋一、監修 舘田勝弘
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    陸羯南(くが かつなん)は、幕末安政4年(1857年)陸奥国弘前在府町(現青森県弘前市在府町)に生まれ、官立宮城師範学校、司法省法学校に学び、青森新聞社や太政官文書局・内閣官報局編集課長などを経て、明治22年(1889年)大日本帝国憲法発布の日、新聞「日本」を創刊、硬骨のジャーナリストとして大きな足跡を残しました。また、正岡子規の文学活動を支援し、晩年闘病生活を送る子規を物心両面から支えました。

  10. 飯尾裕幸(いいお ひろゆき)

    離島振興に19年間尽力した町長 飯尾裕幸 いいお ひろゆき

    鹿児島県長島町
    マンガ家:あさごはん
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    飯尾裕幸さん(いいお ひろゆき)は、大正2年(1913年)鹿児島県出水郡東長島村(現長島町)に生まれ、小学5年生で引越し、昭和46年(1971年)59歳で東町(現長島町)に帰郷しました。昭和49年本土とつなぐ島民念願の黒之瀬戸大橋が完成しますが、同時に離島補助金もなくなりました。この危機に際し、飯尾さんは昭和50年から平成6年までの19年間町長を務め、地域の産業振興・インフラ整備に尽力しました。

  11. 菊池武光(きくち たけみつ)

    南朝懐良親王を支え、九州を平定した 菊池武光 きくち たけみつ

    熊本県菊池市
    マンガ家:崇城大学芸術学部デザイン学科マンガ表現コース、マンガ制作監修 村井健太郎
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    菊池武光(きくち たけみつ)は、鎌倉時代末期元応元年(1319年)肥後国菊池郡(現熊本県菊池市周辺)を本拠とする豪族菊池氏に生まれ、第15代当主になりました。武光は、南北朝前期延元元年(1336年)南朝の征西府将軍として九州に下向した後醍醐天皇の皇子「懐良親王」を旗頭に迎え、足利尊氏を中心とする北朝勢力と20年以上争い、延文4年(1359年)「筑後川の戦い」に勝利して、九州を南朝に統一しました。

  12. 古賀稔彦(こが としひこ)

    柔道金メダリスト、平成の三四郎 古賀稔彦 こが としひこ

    佐賀県みやき町
    マンガ家:作画 毛利優子・古川渚、原案 フクチマキコ
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    古賀稔彦さん(こが としひこ)は、昭和42年(1967年)佐賀県三養基郡北茂安町(現みやき町)に生まれ、中学1年で上京し柔道私塾講道学舎に入門。高校時代から国内外の大会で活躍。平成2年(1990年)全日本柔道選手権大会で重量級選手に「柔よく剛を制す」柔道精神を体現しての準優勝、1992年バルセロナ五輪金メダル、1996年アトランタ五輪銀メダルなど「平成の三四郎」と称される強さと人気を誇りました。