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  • # 歴史・伝説
の検索結果:18件
  1. 支倉常長(はせくら つねなが)

    400年前、ローマ教皇に謁見 支倉常長 はせくら つねなが

    宮城県川崎町
    マンガ家:マンガ 「Haruka.」、監修 佐々木徹、シナリオ 粟野繁
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    支倉常長(はせくら つねなが)は、安土桃山時代元亀元年(1570年)出羽国立石村(現山形県米沢市)の支倉家に生まれ、8歳頃陸奥国支倉村(現宮城県川崎町)の支倉本家の養子となり、伊達政宗に仕えました。江戸時代前期慶長18年(1613年)政宗の命を受け、仙台藩が建造した西洋式帆船で太平洋を渡りメキシコ、さらに大西洋を渡りスペインに航海し、スペイン国王やローマ法王に謁見し貿易協定締結を目指しました。

  2. 菊池武光(きくち たけみつ)

    南朝懐良親王を支え、九州を平定した 菊池武光 きくち たけみつ

    熊本県菊池市
    マンガ家:崇城大学芸術学部デザイン学科マンガ表現コース、マンガ制作監修 村井健太郎
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    菊池武光(きくち たけみつ)は、鎌倉時代末期元応元年(1319年)肥後国菊池郡(現熊本県菊池市周辺)を本拠とする豪族菊池氏に生まれ、第15代当主になりました。武光は、南北朝前期延元元年(1336年)南朝の征西府将軍として九州に下向した後醍醐天皇の皇子「懐良親王」を旗頭に迎え、足利尊氏を中心とする北朝勢力と20年以上争い、延文4年(1359年)「筑後川の戦い」に勝利して、九州を南朝に統一しました。

  3. 和気清麻呂・和気広虫(わけのきよまろ、わけのひろむし)

    平安京を作った弟、人を救った姉 和気清麻呂・和気広虫 わけのきよまろ、わけのひろむし

    岡山県和気町
    マンガ家:南一平
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    和気清麻呂(わけのきよまろ)は、天平5年(733年)美作国藤野郡(現岡山県和気町)に生まれ、桓武天皇に仕え治水事業や長岡京遷都に力を発揮し、794年平安京遷都では新しい都づくりの責任者となり、1,200年以上続く「京の都」の基礎を築きました。
    和気広虫(わけのひろむし)は、清麻呂の姉で天平2年(730年)に生まれ、藤原仲麻呂の乱で死罪を得た375人の減刑を孝謙上皇に許され、孤児を養育しました。

  4. 畠山重忠(はたけやま しげただ)

    鎌倉武士の鏡と称えられた 畠山重忠 はたけやま しげただ

    埼玉県嵐山町
    マンガ家:シナリオ 植木弘、マンガ 田畑沙雪・KR杉山ジョー
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    畠山重忠(はたけやま しげただ)は、平安時代末期の長寛2年(1164年)桓武平氏の畠山家に生まれ、武蔵国菅谷(現埼玉県嵐山町)に館を構えました。重忠は、源頼朝に仕え、源平の戦い、木曽義仲追討、源義経を追って平泉の藤原氏と戦った奥州合戦などで戦功を挙げ、草創期の鎌倉幕府の有力御家人として活躍しました。武芸に秀でるだけでなく、公正で誠実な人柄、知略、教養に優れ「鎌倉武士の鏡」と讃えられました。

  5. 下毛野古麻呂(しもつけのこまろ)

    大宝律令をまとめ国家体制を作った 下毛野古麻呂 しもつけのこまろ

    栃木県下野市
    マンガ家:マンガ 朔田浩美・治島カロ、原作 山口耕一
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    下毛野古麻呂(しもつけのこまろ)は、飛鳥時代中期(650年頃)下野国河内郡(現栃木県下野市周辺)を本拠とする豪族下毛野氏に生まれ、都に出て持統・文武・元明3代の天皇に仕え参議・兵部卿・式部卿・大将軍などを歴任しました。特に、文武天皇の命を受け忍壁親王・藤原不比等・粟田真人と共に、大宝元年(701年)大宝律令をまとめ、天皇を中心とする中央集権的な政治制度、地方管制など古代日本の仕組みを作りました。

  6. 高橋進太郎、村山格一郎(たかはし しんたろう、むらやま かくいちろう)

    南洋パラオと東北を繋ぐ開拓記 高橋進太郎、村山格一郎 たかはし しんたろう、むらやま かくいちろう

    宮城県蔵王町
    マンガ家:原作 松浦まどか、作画 朝戸ころも
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    宮城県蔵王町の北原尾(きたはらお)地区は、太平洋戦争後の1946年パラオからの引き揚げ者の入植地として開拓が始まりました。元南洋庁拓殖部長高橋進太郎さん、同部村山格一郎さん達の尽力と、32戸の入植者が努力した結果、酪農で成功しました。2001年パラオ共和国トミー・レメンゲサウ大統領の蔵王町訪問を機に、子どもたち相互の訪問事業、東京オリンピックパラオ選手団ホストタウンなどの国際交流が続いています。