- # 阿崎桃子
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学校を開き、人材を育てた 中島撫山 なかじま ぶざん
埼玉県久喜市マンガ家:監修 村山𠮷廣、マンガ 阿崎桃子中島撫山(なかじまぶざん)は、文政12年(1829年)江戸に生まれ、安政5年(1858年)私塾「演孔堂」を開き、明治維新を経て久喜本町(現埼玉県久喜市)に移り、明治3年(1870年)に私塾「演孔堂」を再開、学制公布に伴い明治6年(1873年)に私立学校「幸魂教舎」を開校し、地域の教育に尽力して多くの人材を育てました。
また孫の「中島敦」は、撫山が晩年暮らした久喜新町宅で幼少期を過ごしました。
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