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- 中島撫山
中島撫山(なかじまぶざん)は、文政12年(1829年)江戸に生まれ、安政5年(1858年)私塾「演孔堂」を開き、明治維新を経て久喜本町(現埼玉県久喜市)に移り、明治3年(1870年)に私塾「演孔堂」を再開、学制公布に伴い明治6年(1873年)に私立学校「幸魂教舎」を開校し、地域の教育に尽力して多くの人材を育てました。
また孫の「中島敦」は、撫山が晩年暮らした久喜新町宅で幼少期を過ごしました。
ふるさと紹介
埼玉県久喜市
都心まで50キロメートル圏内、関東平野のほぼ中央、埼玉県の東北部に位置する総人口15万人の久喜市。平成22年に、久喜市、菖蒲町、栗橋町及び鷲宮町の合併によって誕生しました。久喜地区では「久喜提灯祭り」、菖蒲地区では「ラベンダー畑」、栗橋地区では「巨大魚ハクレンのジャンプ」、鷲宮地区では「鷲宮催馬楽神楽」が有名です。豊かな自然環境がありながら都心へのアクセスも良いため、市民から親しまれ、愛されています。
「撫山先生終焉之地」碑(久喜市指定文化財・歴史資料)
「撫山先生終焉之地」碑は、久喜中央二丁目の個人敷地内にあります。撫山は、明治42年にこの地に転居して、亡くなるまでの1年半程度をここで過ごした。また、撫山の孫小説家中島敦が幼年時代を過ごしました。
偉人マンガの閲覧
冊子は、完売し在庫はありません。冊子は、市立図書館4館や、久喜市公文書館などで閲覧できます。
また、久喜市立図書館HPから久喜市電子図書館にアクセスすると、市立図書館の登録の有無にかかわらず、どなたでも偉人マンガを閲覧できます。
中島撫山関係資料のデジタル公開
久喜市立図書館HPから久喜市デジタルアーカイブにアクセスすると、「幕末から明治に活躍した皇漢学者・中島撫山の残した資料ー中島撫山関係資料ー」で、所蔵している中島撫山関係資料を公開しています。
「撫山中島先生之墓」(久喜市指定文化財・歴史資料)
「撫山中島先生之墓」は、市内の本町一丁目の光明寺の敷地内にあります。撫山は亡くなったのち、この寺に埋葬されました。墓域内には、撫山の異母弟で南画家の中島杉陰や、逆縁となった長男靖の墓などもあります。
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