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  • # 熱血
の検索結果:61件
  1. 岡田宗山(おかだ そうざん)

    農業用水唐桶溜を作った 岡田宗山 おかだ そうざん

    栃木県芳賀町
    マンガ家:編集 田中誠一、作画 久保田ゆうと
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    岡田宗山(おかだ そうざん)は、江戸時代前期の下野国東水沼村(現栃木県芳賀町)の名主で、水不足に苦しんでいた農民のため、鬼怒川からの導水に成功した板戸用水からの分水に長年尽力し、宝永3年(1706年)岡堀1230間(2.2キロメートル)掘抜(隧道)300間(540メートル)開削等の難工事を完成させ、鬼怒川から唐桶溜への導水が実現しました。これらの事業に宗山は多額の私財を投じ、農民達は総出で労力を提供しました。

  2. 足利島子(あしかが しまこ)

    名門足利家を後世につないだ 足利島子 あしかが しまこ

    栃木県さくら市
    マンガ家:吉原澪
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    足利島子(あしかが しまこ)は、戦国時代永禄11年(1568年)上総国(現千葉県)に生まれ、天正16年(1588年)下野国塩谷郡喜連川(現栃木県さくら市喜連川)の領主塩谷義上に嫁ぎましたが、豊臣秀吉の「宇都宮仕置」で喜連川塩谷氏は滅亡しました。
    島子が秀吉に断絶の危機にあった「古河・小弓公方」足利氏の存続を願い出た結果、武家の名門足利氏の末裔島子に喜連川が与えられ喜連川氏は長く存続しました。

  3. 一色次郎輝季(いっしきじろうてるすえ)

    藩の年貢米を奪い村人を救った 一色次郎輝季 いっしきじろうてるすえ

    茨城県五霞町
    マンガ家:監修 小野真嗣、原案 永田聡子、作画 わたなべまどか
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    一色次郎輝季(いっしきじろうてるすえ)は、戦国時代末期下総国葛飾郡田宮荘(現埼玉県幸手市)の領主の子に生まれ、天正18年(1590年)松平康元に幸手城を攻め落とされ、葛飾郡川妻村(現茨城県五霞町)に落ち延びました。江戸初期元和6年(1620年)飢饉に苦しむ川妻村のため、輝季は松平康元が立藩した関宿藩から年貢米を奪い、村人に分け与えました。翌年輝季は処刑されましたが、村人は恩を忘れず供養しました。

  4. 土門拳(どもん けん)

    リアリズム写真の巨匠 土門拳 どもん けん

    山形県酒田市
    マンガ家:高橋美緒
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    土門拳さん(どもん けん)は、明治42年(1909年)山形県酒田町(現酒田市)に生まれ、「ヒロシマ」・「筑豊のこどもたち」等リアリズムにこだわった写真集や、「古寺巡礼」・「文楽」等日本の伝統文化を撮影した写真集で、日本の美と日本人の心を追及した写真家です。昭和58年(1983年)酒田市は土門作品約13万5千点の寄贈を受け、作品を収蔵 展示する日本初の写真専門美術館「土門拳記念館」を開館しました。

  5. 伊達邦成(だて くにしげ)

    北海道の開拓民となったお殿様 伊達邦成 だて くにしげ

    宮城県亘理町
    マンガ家:マンガ 学校法人菅原学園 専門学校デジタルアーツ仙台、監修 亘理伊達家文書調査研究会
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    伊達邦成(だて くにしげ)は、幕末天保12年(1841年)に生まれた仙台藩亘理伊達氏の領主で、戊辰戦争敗戦により領地を失い、明治3年(1870年)から全9回計約2,800人の家臣団を率いて北海道胆振国有珠郡(現伊達市)に入植しました。開拓地の耕作に馬を使う等農業の効率化を図り、仙台の工芸品生産技術や藍染め等の新しい産業を持ち込むなど、亘理伊達家の取り組みは、北海道開拓の優れた見本となりました。

  6. タマシン・アレン(Thomasine Allen)

    女子教育・幼児教育の先駆者 タマシン・アレン Thomasine Allen

    岩手県久慈市
    マンガ家:作画 あねがわ、原案 目黒安子
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    タマシン・アレンさんは、1890年米国に生まれ、大正4年(1915年)25歳で来日、東京・仙台・盛岡等で女子教育や乳母子の保健活動を行い、昭和13年(1938年)久慈市に久慈幼稚園を開園しますが、太平洋戦争開戦で米国に強制送還されました。アレンさんは、終戦後の昭和22年再来日して社会活動を再開、昭和27年学校法人頌美学園を設立し幼小中の一貫教育体制を作り、昭和45年アレン短期大学を設立しました。

  7. 大槻玄沢・磐渓・文彦(おおつき げんたく・ばんけい・ふみひこ)

    親子孫三代の賢人 大槻玄沢・磐渓・文彦 おおつき げんたく・ばんけい・ふみひこ

    岩手県一関市
    マンガ家:そのだつくし
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    大槻玄沢(おおつき げんたく)は、江戸中期宝暦7年(1757年)陸奥国磐井郡中里(現岩手県一関市)に生まれ、「蘭学階梯」、「重訂解体新書」等を記しました。
    玄沢の子磐渓(ばんけい)は、江戸後期享和元年(1801年)に生まれ、奥羽越列藩同盟の結成に尽力しました。
    磐渓の子文彦(ふみひこ)は、江戸後期弘化4年(1847年)に生まれ、明治19年日本初の近代的国語辞書「言海」を完成させました。

  8. 楢山大典(ならやま だいてん)

    大和尚になったわんぱく小僧 楢山大典 ならやま だいてん

    青森県南部町
    マンガ家:マンガ 河野亜麻子、シナリオ 高山元延
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    楢山大典さん(ならやま だいてん)は、大正3年(1914年)青森県斗川村(現三戸町)に生まれ、昭和13年(1938年)曹洞宗の名刹法光寺(青森県三戸郡南部町)37世住職となり、国内最大級の木造三重塔「承陽塔」等の伽藍を整備、得度・立職・伝法の弟子45名を育てました。曹洞宗では教学部長、宗務総長等の要職を歴任。教育関係でも愛知学院大学、東北福祉大学、駒澤大学、駒澤大学高等学校の理事長を務めました。

  9. 中山久蔵(なかやま きゅうぞう)

    北海道に寒地稲作を広めた 中山久蔵 なかやま きゅうぞう

    北海道北広島市
    マンガ家:原作 ミカミイズミ、作画 堀内さくら
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    中山久蔵(なかやま きゅうぞう)は、江戸後期文政11年(1828年)河内国春日村(現大阪府太子町)に生まれ、明治4年(1871年)北海道開拓を志し札幌郡月寒村島松(現北広島市島松)に入植。明治6年(1873年)道南より北では初となる寒冷地米「赤毛」の栽培に成功。開拓移民に種もみを無償で配布し、北海道「寒地稲作の祖」として知られています。赤毛は、ゆめぴりかなどの道内寒冷地米の源流となっています。

  10. 木原秀雄(きはら ひでお)

    アマチュア天文家として活躍した 木原秀雄 きはら ひでお

    北海道名寄市
    マンガ家:八ツ目青児
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    木原秀雄(きはらひでお)さんは、明治44年(1911年)東京府東京市(現東京都中央区)に生まれ、昭和15年(1940年)名寄尋常高等小学校(現名寄市立名寄小学校)、昭和17年(1042年)旧制名寄中学校(現道立名寄高等学校)の教員となりました。木原さんはアマチュア天文家として多くの功績を挙げ、昭和48年(1973年)私設天文台を開台、市民への天文普及に努め、後のなよろ市立天文台の礎となりました。

  11. 吉田健作、吉田増蔵(よしだ けんさく、よしだ ますぞう)

    製麻業を興した兄、昭和を考案した弟 吉田健作、吉田増蔵 よしだ けんさく、よしだ ますぞう

    福岡県みやこ町
    マンガ家:向山廉平
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    吉田兄弟は、豊前国京都郡上田村(現福岡県みやこ町)の出身です。兄健作(けんさく)は、江戸後期嘉永5年(1852年)に生まれ、内務省に入りフランスで製麻技術を学び、帰国後近代的な製麻工場を国内3ヵ所に建設し殖産興業に寄与しました。弟増蔵(ますぞう)は、幕末慶応2年(1866年)に生まれ、宮内省図書寮に務め、その長であった森鴎外に才能を評価され、「大正」に次ぐ元号考案に携わり「昭和」を考案しました。

  12. 白石禎美(しらいし ていみ)

    塙町を築いた最初の町長 白石禎美 しらいし ていみ

    福島県塙町
    マンガ家:ico. 最上陽幸
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    白石禎美さん(しらいし ていみ)は、明治13年(1880年)福島県東白川郡笹原村(現塙町)に生まれ、金融業、林業、電力会社などを起こして産業発展に務めると共に、福島県議会議員・初代塙町長を務め政治でも活躍しました。また、自分の土地や資金を提供して、鉄道敷設(現JR水郡線)・道路整備(現国道118号)・病院(現塙厚生病院)・高等学校(塙工業高校)などの誘致・開設に尽力し、地域の発展に貢献しました。