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近代日本を代表する詩人、童謡作家 北原白秋 きたはら はくしゅう
熊本県南関町マンガ家:原案 橋本博、作画 ハシダ北原白秋(きたはら はくしゅう)は、明治18年(1885年)母の実家がある熊本県玉名郡関外目村(現南関町)に生まれ、福岡県山門郡沖端村(現福岡県柳川市)に暮らしながら、度々母の実家を訪れ叔父に読書の楽しさを教わりました。白秋は、中学時代から詩歌作りに熱中し、明治37年(1904年)早稲田大学に入学すると詩人として頭角を現し、詩歌集・小説・翻訳・童謡や校歌流行歌の作詞など創作活動で活躍しました。
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たまごパックの生みの親 加茂守 かも まもる
兵庫県猪名川町マンガ家:青柳恵太加茂守さん(かも まもる)は、昭和9年(1934年)兵庫県中谷村(現猪名川町)に生まれ、昭和38年(1963年)新素材として注目されだしたプラスチック製品の販売を始めました。加茂さんは、製品を販売するだけでなく、取引先の要望に応えて商品開発をしました。割れ易い卵を守り、大量陳列を可能にした「たまごパック」も、昭和42年頃(1967年)多くの人のアドバイスや身近なものからヒントを得て発明しました。
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菰野藩3代を支えた織田のお姫様 八重姫 やえひめ
三重県菰野町マンガ家:監修 藤田達夫、マンガ 服部千里八重姫(やえひめ)は、安土桃山時代天正16年(1588年)織田信長の次男織田信雄の娘として生まれ、伊勢国菰野藩(現三重県菰野町)の初代藩主土方雄氏の正室となりました。
雄氏が京都で暮らし藩主不在となった菰野藩を2代「雄高」3代「雄豊」と、3代に渡り支えた八重姫の内助の功は大きい。領民たちの憩いの場を設けるため、河川の堤に桜や楓を植えさせたと言われており、今でもその名残の河川堤防が残っている。
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砺波平野を水田開拓、伊賀の守となった 利波臣志留志 となみのおみしるし
富山県砺波市マンガ家:前田徹利波臣志留志(となみのおみしるし)は、奈良時代の越中国(現富山県)の地方豪族で、「墾田永年私財法」に合わせ、砺波平野の東側(現砺波市庄東地区)を広大な水田に開拓しました。天平19年(747年)聖武天皇が、奈良東大寺大仏を造立する際、志留志は米3,000石を寄進して大仏造立の支えとなり、朝廷から外従五位下に叙せられました。後に、従五位上・越中員外介、伊賀守へと無位から異例の立身出世を果たしました。
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弓の名手の女武将 板額御前 はんがくごぜん
新潟県胎内市マンガ家:マンガ 中川佳南・田宮佑子・高橋渚、板額会板額御前(はんがくごぜん)は、平安時代末期の12世紀後半越後国奥山荘(現新潟県胎内市)を治める城一族に生まれた女武将です。鎌倉時代前期正治3年(1201年)京都で城長茂が鎌倉幕府打倒に挙兵(建仁の乱)すると、城氏の本国越後国蒲原の鳥坂城(新潟県胎内市)も呼応しました。板額御前は、幕府討伐軍を弓で迎え撃ち、「吾妻鏡」に「弓の腕は百発百中、面貌宜しき」と記され、後に歌舞伎や浮世絵の題材となりました。
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日本初の国産カレー粉を作った 山崎峯次郎 やまざき みねじろう
埼玉県松伏町マンガ家:箱宮ケイ山崎峯次郎さん(やまざき みねじろう)は、明治36年(1903年)埼玉県北葛飾郡金杉村(現松伏町)に生まれ、大正9年(1920年)17歳で上京、当時輸入品しかなかったカレー粉の製造方法を研究し、大正12年浅草にエスビー食品の前身「日賀志屋」を創業して日本で初めてカレー粉の国内製造販売を行いました。その後の戦争などの苦難も乗り越え、日本人の国民食「カレーライス」の発展、スパイスの普及に努めました。
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ペルーにアンデス文明博物館を開館 天野芳太郎 あまの よしたろう
秋田県男鹿市マンガ家:坂田もち江天野芳太郎さん(あまの よしたろう)は、明治31年(1898年)秋田県脇本村(現男鹿市)に生まれ、昭和3年(1928年)南米に渡り、パナマ、ペルー、などで事業を行うと共に古代アンデス文明の遺跡を調査しました。昭和16年(1941年)第二次世界大戦勃発により、南米の財産を失い日本に帰国しますが、終戦後また南米に渡りペルーで事業を成功させると遺跡調査を行い、収集した遺物を展示する博物館を開きました。
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400年前、ローマ教皇に謁見 支倉常長 はせくら つねなが
宮城県川崎町マンガ家:マンガ 「Haruka.」、監修 佐々木徹、シナリオ 粟野繁支倉常長(はせくら つねなが)は、安土桃山時代元亀元年(1570年)出羽国立石村(現山形県米沢市)の支倉家に生まれ、8歳頃陸奥国支倉村(現宮城県川崎町)の支倉本家の養子となり、伊達政宗に仕えました。江戸時代前期慶長18年(1613年)政宗の命を受け、仙台藩が建造した西洋式帆船で太平洋を渡りメキシコ、さらに大西洋を渡りスペインに航海し、スペイン国王やローマ法王に謁見し貿易協定締結を目指しました。
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離島振興に19年間尽力した町長 飯尾裕幸 いいお ひろゆき
鹿児島県長島町マンガ家:あさごはん飯尾裕幸さん(いいお ひろゆき)は、大正2年(1913年)鹿児島県出水郡東長島村(現長島町)に生まれ、小学5年生で引越し、昭和46年(1971年)59歳で東町(現長島町)に帰郷しました。昭和49年本土とつなぐ島民念願の黒之瀬戸大橋が完成しますが、同時に離島補助金もなくなりました。この危機に際し、飯尾さんは昭和50年から平成6年までの19年間町長を務め、地域の産業振興・インフラ整備に尽力しました。
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独自の哲学「条理学」を構築 三浦梅園 みうら ばいえん
大分県国東市マンガ家:アキヨシカズタカ三浦梅園(みうら ばいえん)は、江戸時代中期享保8年(1723年)豊後国杵築藩(現大分県国東市)に生まれ、富永村(現国東市)に「梅園塾」を開き、独自の学問体系「条理学」を打ち立て、玄語・贅語・敢語の「梅園三語」を著した、思想家・自然哲学者です。窮民救済制度「慈悲無尽」や村人を救った逸話から「豊後聖人」とも呼ばれました。明治30年代(1900年頃)、内藤湖南が再評価し、全国的に有名になりました。
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マンガ家・画家・文化人として活躍 那須良輔 なす りょうすけ
熊本県湯前町マンガ家:原作 橋本博、作画 タネオマコト那須良輔さん(なす りょうすけ)は、大正2年(1913年)熊本県球磨郡湯前村(現湯前町)に生まれ、昭和7年(1932年)洋画家を目指して上京し太平洋美術学校に入学。内職のつもりで描いたマンガが採用されて、昭和8年児童マンガ家としてデビュー。人気マンガ家となり、そこから優れたデッサン力で政治家の特徴を捉えた似顔絵の政治風刺マンガ、釣りや自然を題材とした風景画・随筆などに活動範囲を広げ活躍しました。
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地球半周の航海で800人を救った 茅原基治 かやはら もとじ
岡山県笠岡市マンガ家:南一平茅原基治(かやはら もとじ)は、明治18年(1885年)岡山県小田郡甲弩村(現笠岡市)生まれ。大正9年(1920年)アメリカ赤十字社の依頼により勝田汽船から陽明丸の船長に任命され、ロシア革命の内戦で帰郷できなくなったロシアの子ども約800人を救出。ウラジオストク→室蘭→サンフランシスコ→パナマ運河→ニューヨーク→フランス→フィンランドと3ヵ月間地球半周の航海の末、家族のもとへ送り届けました。
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