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藩の年貢米を奪い村人を救った 一色次郎輝季 いっしきじろうてるすえ
茨城県五霞町マンガ家:監修 小野真嗣、原案 永田聡子、作画 わたなべまどか一色次郎輝季(いっしきじろうてるすえ)は、戦国時代末期下総国葛飾郡田宮荘(現埼玉県幸手市)の領主の子に生まれ、天正18年(1590年)松平康元に幸手城を攻め落とされ、葛飾郡川妻村(現茨城県五霞町)に落ち延びました。江戸初期元和6年(1620年)飢饉に苦しむ川妻村のため、輝季は松平康元が立藩した関宿藩から年貢米を奪い、村人に分け与えました。翌年輝季は処刑されましたが、村人は恩を忘れず供養しました。
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北海道の開拓民となったお殿様 伊達邦成 だて くにしげ
宮城県亘理町マンガ家:マンガ 学校法人菅原学園 専門学校デジタルアーツ仙台、監修 亘理伊達家文書調査研究会伊達邦成(だて くにしげ)は、幕末天保12年(1841年)に生まれた仙台藩亘理伊達氏の領主で、戊辰戦争敗戦により領地を失い、明治3年(1870年)から全9回計約2,800人の家臣団を率いて北海道胆振国有珠郡(現伊達市)に入植しました。開拓地の耕作に馬を使う等農業の効率化を図り、仙台の工芸品生産技術や藍染め等の新しい産業を持ち込むなど、亘理伊達家の取り組みは、北海道開拓の優れた見本となりました。
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女子教育・幼児教育の先駆者 タマシン・アレン Thomasine Allen
岩手県久慈市マンガ家:作画 あねがわ、原案 目黒安子タマシン・アレンさんは、1890年米国に生まれ、大正4年(1915年)25歳で来日、東京・仙台・盛岡等で女子教育や乳母子の保健活動を行い、昭和13年(1938年)久慈市に久慈幼稚園を開園しますが、太平洋戦争開戦で米国に強制送還されました。アレンさんは、終戦後の昭和22年再来日して社会活動を再開、昭和27年学校法人頌美学園を設立し幼小中の一貫教育体制を作り、昭和45年アレン短期大学を設立しました。
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大和尚になったわんぱく小僧 楢山大典 ならやま だいてん
青森県南部町マンガ家:マンガ 河野亜麻子、シナリオ 高山元延楢山大典さん(ならやま だいてん)は、大正3年(1914年)青森県斗川村(現三戸町)に生まれ、昭和13年(1938年)曹洞宗の名刹法光寺(青森県三戸郡南部町)37世住職となり、国内最大級の木造三重塔「承陽塔」等の伽藍を整備、得度・立職・伝法の弟子45名を育てました。曹洞宗では教学部長、宗務総長等の要職を歴任。教育関係でも愛知学院大学、東北福祉大学、駒澤大学、駒澤大学高等学校の理事長を務めました。
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北海道に寒地稲作を広めた 中山久蔵 なかやま きゅうぞう
北海道北広島市マンガ家:原作 ミカミイズミ、作画 堀内さくら中山久蔵(なかやま きゅうぞう)は、江戸後期文政11年(1828年)河内国春日村(現大阪府太子町)に生まれ、明治4年(1871年)北海道開拓を志し札幌郡月寒村島松(現北広島市島松)に入植。明治6年(1873年)道南より北では初となる寒冷地米「赤毛」の栽培に成功。開拓移民に種もみを無償で配布し、北海道「寒地稲作の祖」として知られています。赤毛は、ゆめぴりかなどの道内寒冷地米の源流となっています。
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アマチュア天文家として活躍した 木原秀雄 きはら ひでお
北海道名寄市マンガ家:八ツ目青児木原秀雄(きはらひでお)さんは、明治44年(1911年)東京府東京市(現東京都中央区)に生まれ、昭和15年(1940年)名寄尋常高等小学校(現名寄市立名寄小学校)、昭和17年(1042年)旧制名寄中学校(現道立名寄高等学校)の教員となりました。木原さんはアマチュア天文家として多くの功績を挙げ、昭和48年(1973年)私設天文台を開台、市民への天文普及に努め、後のなよろ市立天文台の礎となりました。
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塙町を築いた最初の町長 白石禎美 しらいし ていみ
福島県塙町マンガ家:ico. 最上陽幸白石禎美さん(しらいし ていみ)は、明治13年(1880年)福島県東白川郡笹原村(現塙町)に生まれ、金融業、林業、電力会社などを起こして産業発展に務めると共に、福島県議会議員・初代塙町長を務め政治でも活躍しました。また、自分の土地や資金を提供して、鉄道敷設(現JR水郡線)・道路整備(現国道118号)・病院(現塙厚生病院)・高等学校(塙工業高校)などの誘致・開設に尽力し、地域の発展に貢献しました。
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病原体研究でノーベル賞候補 井戸泰 いど ゆたか
岡山県奈義町マンガ家:あさののい井戸泰(いど ゆたか)は、明治14年(1881年)岡山県勝田郡北吉野村(現奈義町)に生まれ、高校在学中に父を病気で亡くしますが、明治37年京都帝国大学福岡医科大学(現九州大学)に入学、大正4年(1915年)原因不明の病として恐れられたワイル病の病原体を発見し第6回帝国学士院恩賜賞を受賞、ノーベル賞の候補にもなりました。大正8年(1919年)研究していたスペイン風邪に感染し37歳で死去しました。
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「現代詩の母」と呼ばれる詩人 永瀬清子 ながせ きよこ
岡山県赤磐市マンガ家:マンガ 藤井敬士、シナリオ 和田静夫永瀬清子さん(ながせ きよこ)は、明治39年(1906年)岡山県赤磐郡豊田村(現赤磐市)に生まれ、17歳の頃に詩人を志し、昭和5年(1930年)24歳で第1詩集を刊行、生涯現役を貫き「現代詩の母」と呼ばれています。
また、現在の岡山県詩人協会を設立し後進の育成に努め、岡山家庭裁判所調停委員、世界連邦都市岡山県協議会事務局などで社会活動も行いました。- # 現代(35)
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人間国宝「義太夫節三味線」 鶴澤友路 つるさわ ともじ
兵庫県南あわじ市マンガ家:原案 濱岡きみ子、監修 久堀裕朗、マンガ 青木達哉鶴沢友路さん(つるさわ ともじ)は、大正2年(1913年)兵庫県福良町(現南あわじ市)に生まれ、4歳から三味線を習い、厳しい修行の末、「女流義太夫」の第一人者として国内だけでなく海外でも活動し、平成10年(1998年)重要無形文化財「義太夫節三味線」保持者(人間国宝)となりました。また後継者育成に励み、103歳で亡くなるまで淡路島内の小中高生をはじめ千人以上の弟子たちに惜しみなく芸を伝えました。
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「地域で学び育つ」教育を実践 井上堰水 いのうえ えんすい
京都府南丹市マンガ家:監修 田中智子、マンガ 松本勇気井上堰水(いのうえ えんすい)は、幕末天保13年(1842年)丹波国船枝村(現京都府南丹市)に生まれ、元治元年(1864年)私塾発蒙館を開き、明治5年(1872)に新修校(旧新庄小学校)の初代校長となり、その後、船井郡立園部高等小学校・船井郡立高等女学校(現園部高等学校)の初代校長を歴任しました。学校田や学校林での授業など独自の「地域で学び育つ」教育方法を取り入れ、地域の人材育成に尽くしました。
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古代日本の伝説的英雄と妃 ヤマトタケル、オトタチバナヒメ
三重県亀山市マンガ家:小林はなヤマトタケルは、奈良時代に編纂された「古事記(712年)、日本書紀(720年)」に伝わる古代日本の伝説的英雄で、熊襲征討・東国征討を行い、能煩野(三重県亀山市)で亡くなり日本武尊能褒野墓に葬られたと伝わります。
オトタチバナヒメは、忍山神社(三重県亀山市)に生まれ、ヤマトタケルの妃となり、東国征討に同行して走水の海(東京湾浦賀水道)を舟で渡る際、荒れる海を鎮めるために入水した故事で知られます。- # 古代(4)
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