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  • # 愛・献身
の検索結果:36件
  1. 岩瀬弥助(いわせ やすけ)

    私立図書館「岩瀬文庫」を開館 岩瀬弥助 いわせ やすけ

    愛知県西尾市
    マンガ家:ねここんぶ
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    岩瀬弥助(いわせ やすけ)は、幕末慶応3年(1867年)三河国西尾藩(現愛知県西尾市)の商家に生まれ、事業を発展させ一代で莫大な資産を築き、西尾鉄道の敷設などで地域経済に寄与すると共に、西尾町長就任、学校や病院の建設資金の寄付などで町づくりや地域の教育・文化に貢献しました。特に、明治41年(1908年)開館の私立図書館「岩瀬文庫」は、市民の支えで危機を乗り越え、現在も西尾市に引き継がれています。

  2. 田沢実入(たざわ みのり)

    大河津分水建設で、水害防止・米作発展 田沢実入 たざわ みのり

    新潟県新潟市
    マンガ家:構成 原義雅、監修 浮須修栄・樋口勲、マンガ シカクメガネ
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    田沢実入(たざわ みのり)は、江戸時代後期嘉永5年(1852年)越後国古川村(現新潟県新潟市)に生まれ、早くから江戸幕府に大河津分水建設の請願を繰り返した父与一郎と親子2代にわたり、大河津分水建設に尽力しました。実入は父以上の熱意で取組み、大正11年(1922年)70歳の時「東洋一の大工事」と言われた大河津分水が完成し、信濃川下流域の水害は激減し、新潟平野は日本有数の豊かな米どころになりました。

  3. 鈴木文台(すずき ぶんたい)

    私塾を開き地域の人材を育てた 鈴木文台 すずき ぶんたい

    新潟県燕市
    マンガ家:児玉直樹
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    鈴木文台(すずき ぶんたい)は、江戸時代後期寛政8年(1796年)越後国粟生津村(現新潟県燕市)に生まれ、名僧良寛とも親交を持ちました。文台は、様々な学者の講義を聴き江戸にも遊学しますが、師事せずに多くの書物を読み自身で研究する「無師独学」を進め、天保4年(1833年)38歳で粟生津村に私塾「長善館」を開きました。長善館は、明治45年(1912年)まで3代79年間も続き、多くの人材を育てました。

  4. 髙宮常太郎(たかみや つねたろう)

    徳良湖を作り、花笠音頭が生まれた 髙宮常太郎 たかみや つねたろう

    山形県尾花沢市
    マンガ家:原作 あべ美佳、マンガ 瀧宏一・東北芸術工科大学漫画研究同好会
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    髙宮常太郎さん(たかみや つねたろう)は、明治19年山形県尾花沢村(現尾花沢市)に生まれ、大正8年農業用水確保の人造湖「徳良湖」の築堤を始め、大正10年その完成により荒地が水田や畑に開拓されました。
    また、築堤工事の作業歌から全国に知られる「花笠音頭、花笠踊り」が生まれました。
    その後も髙宮さんは、尾花沢鉄道開業、尾花沢貨物自動車㈱設立、旧尾花沢町長、山形県議会議員などで地域に貢献しました。

  5. 佐藤昌介(さとう しょうすけ)

    北の大地を拓いた花巻の先人 佐藤昌介 さとう しょうすけ

    岩手県花巻市
    マンガ家:マンガ そのだつくし、監修 佐藤昌介顕彰会
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    佐藤昌介(さとう しょうすけ)は、幕末安政3年(1856年)陸奥国盛岡藩花巻村(現岩手県花巻市)に生まれ、明治4年(1871年)14歳で上京し、大学南校・東京外国語学校などで学び、明治9年(1876年)新設された「札幌農学校」の一期生としてウィリアム・スミス・クラーク博士の教育・徳育を受けました。アメリカ留学後日本初の農学博士となり、札幌農学校を北海道帝国大学へと昇格させ、初代総長となりました。

  6. 延塚卯右衛門(のぶつか うえもん)

    飢饉の農民を助け、切腹した筋奉行 延塚卯右衛門 のぶつか うえもん

    福岡県築上町
    マンガ家:渋田武春
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    延塚卯右衛門(のぶつか うえもん)は、江戸時代中期天明2年(1782年)豊前国京都郡(現福岡県苅田町)に生まれ、天保3年(1832年)51歳で小倉藩築城郡筋奉行として豊前国築城郡(現福岡県築上町)に着任しました。翌天保4年から「天保の大飢饉」が続き、天保7年延塚奉行は藩から農民に貸し付けた根付料の返済を独断で免除し、その責を取って切腹しました。180年以上経った現在も追善供養祭が行われています。

  7. 片岡信子(かたおか のぶこ)

    息子2人を財界人に育てた賢婦 片岡信子 かたおか のぶこ

    高知県津野町
    マンガ家:原作 吉村領、マンガ 正木秀尚
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    片岡信子(かたおか のぶこ)は、幕末天保2年(1831年)土佐国佐川郷(現高知県高岡郡佐川町)に生まれ、嘉永6年(1853年)土佐国半山郷(現高知県高岡郡津野町)の郷士片岡孫五郎と結婚、志士として奔走する夫を助け、慶応3年(1867年)大政奉還を目前に夫が病死した後も、貧しい中で直輝(大阪ガス初代社長、南海電鉄社長、阪神電鉄社長)、直温(日本生命社長、大蔵大臣)兄弟を育てた賢婦として知られます。

    ※このマンガは著作権制限により公開できないため、本文が読みたい方は津野町教育委員会までお問い合わせください。

  8. 井谷正命、井谷正吉(いたに まさみち、いたに まさよし)

    地域の発展に尽くした父子の軌跡 井谷正命、井谷正吉 いたに まさみち、いたに まさよし

    愛媛県鬼北町
    マンガ家:南野しま
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    井谷正命(いたに まさみち)は、江戸時代末期慶応4年(1868年)伊予国日向谷村(現愛媛県鬼北町)に生まれ、初代日吉村長、北宇和郡会議長、愛媛県会議員を歴任し、南予の道路開発に献身、私財を投じて日吉実業学校を設立した。
    井谷正吉さん(いたに まさよし)は、明治29年(1896年)井谷正命の長男に生まれ、大正から昭和初期に農民運動で活動、戦後は日本社会党の衆議院議員を4期務め地域発展に尽くした。

  9. 茅原基治(かやはら もとじ)

    地球半周の航海で800人を救った 茅原基治 かやはら もとじ

    岡山県笠岡市
    マンガ家:南一平
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    茅原基治(かやはら もとじ)は、明治18年(1885年)岡山県小田郡甲弩村(現笠岡市)生まれ。大正9年(1920年)アメリカ赤十字社の依頼により勝田汽船から陽明丸の船長に任命され、ロシア革命の内戦で帰郷できなくなったロシアの子ども約800人を救出。ウラジオストク→室蘭→サンフランシスコ→パナマ運河→ニューヨーク→フランス→フィンランドと3ヵ月間地球半周の航海の末、家族のもとへ送り届けました。

  10. 和気清麻呂・和気広虫(わけのきよまろ、わけのひろむし)

    平安京を作った弟、人を救った姉 和気清麻呂・和気広虫 わけのきよまろ、わけのひろむし

    岡山県和気町
    マンガ家:南一平
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    和気清麻呂(わけのきよまろ)は、天平5年(733年)美作国藤野郡(現岡山県和気町)に生まれ、桓武天皇に仕え治水事業や長岡京遷都に力を発揮し、794年平安京遷都では新しい都づくりの責任者となり、1,200年以上続く「京の都」の基礎を築きました。
    和気広虫(わけのひろむし)は、清麻呂の姉で天平2年(730年)に生まれ、藤原仲麻呂の乱で死罪を得た375人の減刑を孝謙上皇に許され、孤児を養育しました。

  11. 知里幸恵(ちり ゆきえ)

    アイヌ叙事詩を文字で後世に伝えた 知里幸恵 ちり ゆきえ

    北海道東川町
    マンガ家:原作 菅原浩志、作画 なかはらかぜ
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    知里幸恵(ちり ゆきえ)は、明治36年(1903年)北海道ヌプルペッ(登別川)沿い(現登別市)に生まれ、言語学者金田一京助から「民族の歴史であると同時に文学でもあり、また宝典でもあり、聖書でもあった叙事詩 ユカㇻの価値」を聴き、同化政策で失われていく「ユカㇻ」を後世に伝えるため、文字のないアイヌ語をローマ字で表記し日本語訳を付した「アイヌ神謡集」を著し、大正12年(1923年)に刊行されました。

  12. 高橋進太郎、村山格一郎(たかはし しんたろう、むらやま かくいちろう)

    南洋パラオと東北を繋ぐ開拓記 高橋進太郎、村山格一郎 たかはし しんたろう、むらやま かくいちろう

    宮城県蔵王町
    マンガ家:原作 松浦まどか、作画 朝戸ころも
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    宮城県蔵王町の北原尾(きたはらお)地区は、太平洋戦争後の1946年パラオからの引き揚げ者の入植地として開拓が始まりました。元南洋庁拓殖部長高橋進太郎さん、同部村山格一郎さん達の尽力と、32戸の入植者が努力した結果、酪農で成功しました。2001年パラオ共和国トミー・レメンゲサウ大統領の蔵王町訪問を機に、子どもたち相互の訪問事業、東京オリンピックパラオ選手団ホストタウンなどの国際交流が続いています。