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  1. 井上堰水(いのうえ えんすい)

    「地域で学び育つ」教育を実践 井上堰水 いのうえ えんすい

    京都府南丹市
    マンガ家:監修 田中智子、マンガ 松本勇気
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    井上堰水(いのうえ えんすい)は、幕末天保13年(1842年)丹波国船枝村(現京都府南丹市)に生まれ、元治元年(1864年)私塾発蒙館を開き、明治5年(1872)に新修校(旧新庄小学校)の初代校長となり、その後、船井郡立園部高等小学校・船井郡立高等女学校(現園部高等学校)の初代校長を歴任しました。学校田や学校林での授業など独自の「地域で学び育つ」教育方法を取り入れ、地域の人材育成に尽くしました。

  2. 八重姫(やえひめ)

    菰野藩3代を支えた織田のお姫様 八重姫 やえひめ

    三重県菰野町
    マンガ家:監修 藤田達夫、マンガ 服部千里
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    八重姫(やえひめ)は、安土桃山時代天正16年(1588年)織田信長の次男織田信雄の娘として生まれ、伊勢国菰野藩(現三重県菰野町)の初代藩主土方雄氏の正室となりました。
    雄氏が京都で暮らし藩主不在となった菰野藩を2代「雄高」3代「雄豊」と、3代に渡り支えた八重姫の内助の功は大きい。領民たちの憩いの場を設けるため、河川の堤に桜や楓を植えさせたと言われており、今でもその名残の河川堤防が残っている。

  3. ヤマトタケル、オトタチバナヒメ()

    古代日本の伝説的英雄と妃 ヤマトタケル、オトタチバナヒメ

    三重県亀山市
    マンガ家:小林はな
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    ヤマトタケルは、奈良時代に編纂された「古事記(712年)、日本書紀(720年)」に伝わる古代日本の伝説的英雄で、熊襲征討・東国征討を行い、能煩野(三重県亀山市)で亡くなり日本武尊能褒野墓に葬られたと伝わります。
    オトタチバナヒメは、忍山神社(三重県亀山市)に生まれ、ヤマトタケルの妃となり、東国征討に同行して走水の海(東京湾浦賀水道)を舟で渡る際、荒れる海を鎮めるために入水した故事で知られます。

  4. 岩瀬弥助(いわせ やすけ)

    私立図書館「岩瀬文庫」を開館 岩瀬弥助 いわせ やすけ

    愛知県西尾市
    マンガ家:ねここんぶ
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    岩瀬弥助(いわせ やすけ)は、幕末慶応3年(1867年)三河国西尾藩(現愛知県西尾市)の商家に生まれ、事業を発展させ一代で莫大な資産を築き、西尾鉄道の敷設などで地域経済に寄与すると共に、西尾町長就任、学校や病院の建設資金の寄付などで町づくりや地域の教育・文化に貢献しました。特に、明治41年(1908年)開館の私立図書館「岩瀬文庫」は、市民の支えで危機を乗り越え、現在も西尾市に引き継がれています。

  5. 斎藤新五利治(さいとう しんごとしはる)

    織田信長に仕え、天下統一に貢献 斎藤新五利治 さいとう しんごとしはる

    岐阜県富加町
    マンガ家:渡辺浩行
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    斎藤新五利治(さいとう しんごとしはる)は、戦国時代天文10年(1541年)頃美濃国(現岐阜県)の戦国大名斎藤道三の末子として生まれたと伝わります。織田信長の家臣になり、兄義龍が父道三を殺して奪った美濃攻略戦で活躍し加治田城(岐阜県富加町)の城主となりました。その後も信長の側近として各地を転戦し、上杉征伐で大きな功績をあげる等信長の天下統一に貢献しましたが、本能寺の変で信長と運命を共にしました。

  6. 山本芳翠(やまもと ほうすい)

    日本洋画界の先駆者 山本芳翠 やまもと ほうすい

    岐阜県恵那市
    マンガ家:マンガ 松原裕美、原案・監修 伊藤勝彦
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    山本芳翠(やまもと ほうすい)は、嘉永3年(1850年)美濃国恵那郡明智村(現岐阜県恵那市)に生まれ、慶応元年(1865年)15歳で画家を目指し京都で南宋画を学びました。明治元年(1868年)横浜で見た洋風画に衝撃を受け、工部美術学校で本格的な油彩を学び、明治11年(1878年)渡仏しパリ美術学校入学、パリ画壇で活動しました。明治20年(1887年)帰国し、日本洋画界の先駆者として活躍しました。

  7. 松村謙三(まつむら けんぞう)

    農林大臣として戦後の農地改革 松村謙三 まつむら けんぞう

    富山県南砺市
    マンガ家:デザイン・構成 大野賀世、マンガ 森みちこ、監修 松村記念会館
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    松村謙三さん(まつむら けんぞう)は、明治16年(1883年)富山県福光町(現南砺市)に生まれ、町議会議員・県議会議員を務め、昭和3年(1928年)第16回衆議院議員総選挙(第1回普通選挙)で、衆議院議員となりました。太平洋戦争が終結した昭和20年(1945年)戦後の食糧不足の中、農林大臣に就任し、地主制から小作農を開放し自作農とする農地改革を行い、農民の生活向上と食糧生産の増大を果たしました。

  8. 利波臣志留志(となみのおみしるし)

    砺波平野を水田開拓、伊賀の守となった 利波臣志留志 となみのおみしるし

    富山県砺波市
    マンガ家:前田徹
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    利波臣志留志(となみのおみしるし)は、奈良時代の越中国(現富山県)の地方豪族で、「墾田永年私財法」に合わせ、砺波平野の東側(現砺波市庄東地区)を広大な水田に開拓しました。天平19年(747年)聖武天皇が、奈良東大寺大仏を造立する際、志留志は米3,000石を寄進して大仏造立の支えとなり、朝廷から外従五位下に叙せられました。後に、従五位上・越中員外介、伊賀守へと無位から異例の立身出世を果たしました。

  9. 田沢実入(たざわ みのり)

    大河津分水建設で、水害防止・米作発展 田沢実入 たざわ みのり

    新潟県新潟市
    マンガ家:構成 原義雅、監修 浮須修栄・樋口勲、マンガ シカクメガネ
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    田沢実入(たざわ みのり)は、江戸時代後期嘉永5年(1852年)越後国古川村(現新潟県新潟市)に生まれ、早くから江戸幕府に大河津分水建設の請願を繰り返した父与一郎と親子2代にわたり、大河津分水建設に尽力しました。実入は父以上の熱意で取組み、大正11年(1922年)70歳の時「東洋一の大工事」と言われた大河津分水が完成し、信濃川下流域の水害は激減し、新潟平野は日本有数の豊かな米どころになりました。

  10. 鈴木文台(すずき ぶんたい)

    私塾を開き地域の人材を育てた 鈴木文台 すずき ぶんたい

    新潟県燕市
    マンガ家:児玉直樹
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    鈴木文台(すずき ぶんたい)は、江戸時代後期寛政8年(1796年)越後国粟生津村(現新潟県燕市)に生まれ、名僧良寛とも親交を持ちました。文台は、様々な学者の講義を聴き江戸にも遊学しますが、師事せずに多くの書物を読み自身で研究する「無師独学」を進め、天保4年(1833年)38歳で粟生津村に私塾「長善館」を開きました。長善館は、明治45年(1912年)まで3代79年間も続き、多くの人材を育てました。

  11. 板額御前(はんがくごぜん)

    弓の名手の女武将 板額御前 はんがくごぜん

    新潟県胎内市
    マンガ家:マンガ 中川佳南・田宮佑子・高橋渚、板額会
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    板額御前(はんがくごぜん)は、平安時代末期の12世紀後半越後国奥山荘(現新潟県胎内市)を治める城一族に生まれた女武将です。鎌倉時代前期正治3年(1201年)京都で城長茂が鎌倉幕府打倒に挙兵(建仁の乱)すると、城氏の本国越後国蒲原の鳥坂城(新潟県胎内市)も呼応しました。板額御前は、幕府討伐軍を弓で迎え撃ち、「吾妻鏡」に「弓の腕は百発百中、面貌宜しき」と記され、後に歌舞伎や浮世絵の題材となりました。

  12. 源範頼(みなもとののりより)

    頼朝・義経の兄弟、鎌倉幕府で活躍 源範頼 みなもとののりより

    埼玉県吉見町
    マンガ家:北川玲子
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    源範頼(みなもとののりより)は、平安時代末期久安6年(1150年)遠江国(現静岡県)で源義朝の6男として生まれた、頼朝の異母弟・義経の異母兄です。平治元年(1159年)平治の乱で義朝が平清盛に敗れると、範頼は武蔵国吉見岩殿山に身を寄せました。治承4年(1180年)頼朝が挙兵すると、範頼も合流し木曽義仲・平氏討伐に功績を挙げ、武蔵国吉見(現埼玉県比企郡吉見町)を領して吉見御所と尊称されました。