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  1. 黒瀬巳之助、片平一、黒瀬常吉(くろせみのすけ、かたひらはじめ、くろせつねきち)

    焼酎の生産量・質を向上させた杜氏 黒瀬巳之助、片平一、黒瀬常吉 くろせみのすけ、かたひらはじめ、くろせつねきち

    鹿児島県南さつま市
    マンガ家:春野洋治郎、ダムダム、あさごはん、万の瀬辰巳
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    明治31年(1898年)自家用焼酎製造が禁止され、酒蔵に高度で専門的な製造技術が求められるようになりました。鹿児島県南さつま市笠沙町黒瀬地区の3人の若者「黒瀬杜氏三人衆」は、黄麹仕込みが主流だった鹿児島に、温暖な鹿児島の気候でももろみ生産が安定する「沖縄の泡盛で使われる黒麹菌」を取り入れて焼酎の生産量・質を向上させ、「焼酎杜氏集団」としてその技術を日本各地に伝え、現在の焼酎造りの礎を築きました。

  2. 北原白秋(きたはら はくしゅう)

    近代日本を代表する詩人、童謡作家 北原白秋 きたはら はくしゅう

    熊本県南関町
    マンガ家:原案 橋本博、作画 ハシダ
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    北原白秋(きたはら はくしゅう)は、明治18年(1885年)母の実家がある熊本県玉名郡関外目村(現南関町)に生まれ、福岡県山門郡沖端村(現福岡県柳川市)に暮らしながら、度々母の実家を訪れ叔父に読書の楽しさを教わりました。白秋は、中学時代から詩歌作りに熱中し、明治37年(1904年)早稲田大学に入学すると詩人として頭角を現し、詩歌集・小説・翻訳・童謡や校歌流行歌の作詞など創作活動で活躍しました。

  3. 吉田健作、吉田増蔵(よしだ けんさく、よしだ ますぞう)

    製麻業を興した兄、昭和を考案した弟 吉田健作、吉田増蔵 よしだ けんさく、よしだ ますぞう

    福岡県みやこ町
    マンガ家:向山廉平
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    吉田兄弟は、豊前国京都郡上田村(現福岡県みやこ町)の出身です。兄健作(けんさく)は、江戸後期嘉永5年(1852年)に生まれ、内務省に入りフランスで製麻技術を学び、帰国後近代的な製麻工場を国内3ヵ所に建設し殖産興業に寄与しました。弟増蔵(ますぞう)は、幕末慶応2年(1866年)に生まれ、宮内省図書寮に務め、その長であった森鴎外に才能を評価され、「大正」に次ぐ元号考案に携わり「昭和」を考案しました。

  4. 森甚五兵衛(もり じんごべえ)

    阿波水軍を率いた侍 森甚五兵衛 もり じんごべえ

    徳島県阿南市
    マンガ家:原作 草壁知里、マンガ ぐんたお
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    森甚五兵衛(もり じんごべえ)は、戦国時代・江戸時代に阿波水軍を率いた森家当主が代々襲名した名前です。天正13年(1585年)2代目当主村春が阿波国土佐泊から阿波国椿泊(現徳島県阿南市)に本拠を移し城を構えました。マンガでは、(1566年)安土桃山時代文禄元年(1592年)秀吉の朝鮮出兵、江戸時代初期慶長14年(1614年)大坂の陣で戦功を挙げた4代目当主村重の功績と地域の歴史を紹介しています。

  5. 白石禎美(しらいし ていみ)

    塙町を築いた最初の町長 白石禎美 しらいし ていみ

    福島県塙町
    マンガ家:ico. 最上陽幸
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    白石禎美さん(しらいし ていみ)は、明治13年(1880年)福島県東白川郡笹原村(現塙町)に生まれ、金融業、林業、電力会社などを起こして産業発展に務めると共に、福島県議会議員・初代塙町長を務め政治でも活躍しました。また、自分の土地や資金を提供して、鉄道敷設(現JR水郡線)・道路整備(現国道118号)・病院(現塙厚生病院)・高等学校(塙工業高校)などの誘致・開設に尽力し、地域の発展に貢献しました。

  6. 井戸泰(いど ゆたか)

    病原体研究でノーベル賞候補 井戸泰 いど ゆたか

    岡山県奈義町
    マンガ家:あさののい
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    井戸泰(いど ゆたか)は、明治14年(1881年)岡山県勝田郡北吉野村(現奈義町)に生まれ、高校在学中に父を病気で亡くしますが、明治37年京都帝国大学福岡医科大学(現九州大学)に入学、大正4年(1915年)原因不明の病として恐れられたワイル病の病原体を発見し第6回帝国学士院恩賜賞を受賞、ノーベル賞の候補にもなりました。大正8年(1919年)研究していたスペイン風邪に感染し37歳で死去しました。

  7. 箕作阮甫(みつくり げんぽ)

    洋書翻訳や外交交渉で活躍した 箕作阮甫 みつくり げんぽ

    岡山県津山市
    マンガ家:南一平
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    箕作阮甫(みつくり げんぽ)は、寛政11年(1799年)美作国津山西新町(現岡山県津山市)に生まれ、幼くして父を亡くし苦労しながら学問に励み、21歳で津山藩医となりました。
    25歳で江戸に出て医学とオランダ語を学び、特に翻訳で才能を発揮して医学だけでなく語学・地理学・兵学など広い分野の“洋学”を研究し、さらには幕末の外交交渉や、東京大学の創立過程などで活躍し、日本の近代化への道筋を示しました。

  8. 平櫛田中(ひらくし でんちゅう)

    107歳の生涯を木彫に捧げた 平櫛田中 ひらくし でんちゅう

    岡山県井原市
    マンガ家:南一平
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    平櫛田中(ひらくし でんちゅう)さんは、明治5年(1872年)岡山県後月郡西江原村(現井原市)に生まれ、21歳で大阪の人形師に弟子入りし伝統的な木彫技術を学んだ後、岡倉天心に教えを受けました。昭和19年東京美術学校(現東京芸術大学)教授就任、昭和54年(1979年)107歳で生涯を終えるまで活躍した彫刻家です。六代目尾上菊五郎をモデルに22年かけて完成した「鏡獅子」は傑作として知られています。

  9. 永瀬清子(ながせ きよこ)

    「現代詩の母」と呼ばれる詩人 永瀬清子 ながせ きよこ

    岡山県赤磐市
    マンガ家:マンガ 藤井敬士、シナリオ 和田静夫
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    永瀬清子さん(ながせ きよこ)は、明治39年(1906年)岡山県赤磐郡豊田村(現赤磐市)に生まれ、17歳の頃に詩人を志し、昭和5年(1930年)24歳で第1詩集を刊行、生涯現役を貫き「現代詩の母」と呼ばれています。
    また、現在の岡山県詩人協会を設立し後進の育成に努め、岡山家庭裁判所調停委員、世界連邦都市岡山県協議会事務局などで社会活動も行いました。

  10. 辻晉堂(つじ しんどう)

    炎を宿した彫刻家 辻晉堂 つじ しんどう

    鳥取県伯耆町
    マンガ家:寺西竜也
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    辻晉堂さん(つじしんどう)は、明治43年(1910年)鳥取県日野郡二部村(現伯耆町)に生まれ、昭和10年(1935年)第22回院展で受賞し、木彫作家として高い評価を受けました。戦後昭和24年(1949年)京都市立美術大学教授に就任、セメント・石膏・ブロンズなどを使った抽象彫刻の制作を始め、昭和30年代からは陶土を使い登り窯で焼成する「陶彫」による抽象作品に独自の世界を拓き国際的な評価を得ました。

  11. 鶴澤友路(つるさわ ともじ)

    人間国宝「義太夫節三味線」 鶴澤友路 つるさわ ともじ

    兵庫県南あわじ市
    マンガ家:原案 濱岡きみ子、監修 久堀裕朗、マンガ 青木達哉
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    鶴沢友路さん(つるさわ ともじ)は、大正2年(1913年)兵庫県福良町(現南あわじ市)に生まれ、4歳から三味線を習い、厳しい修行の末、「女流義太夫」の第一人者として国内だけでなく海外でも活動し、平成10年(1998年)重要無形文化財「義太夫節三味線」保持者(人間国宝)となりました。また後継者育成に励み、103歳で亡くなるまで淡路島内の小中高生をはじめ千人以上の弟子たちに惜しみなく芸を伝えました。

  12. 加茂守(かも まもる)

    たまごパックの生みの親 加茂守 かも まもる

    兵庫県猪名川町
    マンガ家:青柳恵太
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    加茂守さん(かも まもる)は、昭和9年(1934年)兵庫県中谷村(現猪名川町)に生まれ、昭和38年(1963年)新素材として注目されだしたプラスチック製品の販売を始めました。加茂さんは、製品を販売するだけでなく、取引先の要望に応えて商品開発をしました。割れ易い卵を守り、大量陳列を可能にした「たまごパック」も、昭和42年頃(1967年)多くの人のアドバイスや身近なものからヒントを得て発明しました。