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  1. 健堅大親(きんきんぬひゃー)

    明の難破船を助け交流に貢献 健堅大親 きんきんぬひゃー

    沖縄県本部町
    マンガ家:マンガ makiart、原案 知念正昭
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    健堅大親(きんきんぬひゃー)は、初代中山王察度の頃(1350年~1395年、南北朝時代)琉球国本部間切(現沖縄県本部町)を治めた士族で、久米島の堂の大親(どうのひゃー)と一緒に久米島を訪れた際、暴風で船が難破し久米島に漂着した明国人に帰国する船を作る木材と良馬を与え無事に帰国させた事から、明国皇帝から琉球王国を通じてお礼の絹と石碑が贈られたとの記述が琉球王国の史書「球陽」に残されています。

  2. 安慶名良信(あげな りょうしん)

    戦後の沖縄に豚を贈ったハワイ移民 安慶名良信 あげな りょうしん

    沖縄県うるま市
    マンガ家:喜名常稀
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    沖縄県では戦前10万頭以上の豚が飼育されていましたが、戦禍でほとんどいなくなりました。昭和23年(1948年)沖縄出身のハワイ移民が、募金で購入した豚を貨物船に積み、米国西海岸から約1ヵ月の航海の末、勝連平敷屋(現うるま市勝連ホワイトビーチ)に届けました。届いた550頭の豚は県内市町村に公平に分配され、2年後には10万頭に増えて食糧事情は改善され、養豚業も復活し沖縄の豚食文化の礎となりました。

  3. 徳三宝(とく さんぽう)

    講道館四天王と呼ばれた柔道王 徳三宝 とく さんぽう

    鹿児島県天城町
    マンガ家:マンガ作画 ダムダム、制作統括 四元重美
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    徳三宝(とく さんぽう)は、明治20年(1887年)鹿児島県大島郡天城町に生まれ、明治39年(1906年)講道館に入門、恵まれた体格と猛稽古で、大正時代「講道館四天王」と称されました。早稲田大学、日本大学、拓殖大学などの柔道部師範、自設の研道館師範として弟子の教育にも努めました。昭和20年(1945年)3月10日東京大空襲の猛火の中、罹災者救助に奔走しましたが死去、講道館柔道九段に昇段しました。

  4. 中尾純利(なかお すみとし)

    日本初、国産機で世界一周した 中尾純利 なかお すみとし

    鹿児島県阿久根市
    マンガ家:原案 春野洋治郎、マンガ作画 青梨
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    中尾純利さん(なかお すみとし)は、明治36年(1903年)鹿児島県出水郡阿久根村(現阿久根市)に生まれ、大正10年(1921年)陸軍航空学校民間機操縦士受入れ第1期生として入校、三菱重工業のテストパイロットになりました。昭和14年(1939年)国産機「ニッポン号」で5大陸20か国を巡る世界一周親善飛行に成功。戦後昭和27年(1952年)東京国際空港初代空港長となリ民間航空の発展に貢献しました。

  5. 長沢鼎(ながさわ かなえ)

    ワイン事業で成功した薩摩隼人 長沢鼎 ながさわ かなえ

    鹿児島県いちき串木野市
    マンガ家:シナリオ制作 小谷さらさ、マンガ作画 森永智子
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    長沢鼎(ながさわ かなえ)は、幕末嘉永5年(1852年)薩摩国鹿児島城下(現鹿児島県鹿児島市)に生まれ、慶応元年(1865年)薩摩藩の英国留学で渡航、維新で多くの留学生が帰国する中、慶応3年(1867年)渡米し宗教団体で信仰生活を送りながらワイン醸造と葡萄栽培を学び、カリフォルニア州の教団農場を任されました。1900年長沢は教団農場を買取り、カリフォルニア州十大ワイナリーの一つに育て上げました。

  6. 出原次左衛門(いずはら じざえもん)

    大阪の住民を率いて鹿児島を開拓 出原次左衛門 いずはら じざえもん

    鹿児島県大崎町
    マンガ家:あさごはん
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    出原次左衛門(いずはら じざえもん)は、江戸前期5代将軍綱吉の頃摂津国(現大阪府北部と兵庫県南部)の郡奉行を務めていましたが、大阪を本拠とした豊臣家を慕い徳川幕府に不満を持つ住民が多くいたため、豊臣家と関係が深い薩摩藩主島津家を頼り、元禄元年(1686年)から4回にわたり摂津・河内・和泉の住民128名を率いて薩摩国荒佐野(現鹿児島県大崎町野方)へ移住し、荒地を開拓し大崎地区の礎となりました。

  7. 原田正純(はらだ まさずみ)

    水俣病や公害問題に取組んだ医師 原田正純 はらだ まさずみ

    鹿児島県さつま町
    マンガ家:みずもとみほ
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    原田正純さん(はらだ まさずみ)は、昭和9年(1934年)長崎県で生まれ熊本で暮らしていましたが、空襲で母を亡くし父の実家の鹿児島県宮之城町(現さつま町)で幼少期を過ごしました。のちに熊本大学医学部に進み昭和36年(1961年)水俣病の調査を始めました。原田医師は、患者の立場から診断と研究を行い、被害者救済と原因究明のため尽力しました。その後も各地の環境公害被害について調査し世界に訴えました。

  8. 後藤楢根(ごとう ならね)

    童話の普及と後進作家育成に貢献 後藤楢根 ごとう ならね

    大分県由布市
    マンガ家:原作 二宮寿、作画 一尾和史
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    後藤楢根さん(ごとう ならね)は、明治41年(1908年)大分県挟間町(現由布市挟間町)に生まれ、昭和2年(1927年)大分師範学校在学中に月刊「童謡詩人」を発行、その後小学校教師として童謡運動を行い、昭和13年上京して新聞社に勤務しながら多くの童話童謡を出版しました。終戦の翌年昭和21年に日本童話会を設立、機関誌「童話」から佐藤さとる、那須正幹などの後進が育ち、童話の普及と発展に貢献しました。

  9. 出光佐三(いでみつ さぞう)

    日本の石油産業と故郷に貢献した 出光佐三 いでみつ さぞう

    福岡県宗像市
    マンガ家:飯田晴子
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    出光佐三さん(いでみつ さぞう)は、明治18年(1885年)福岡県宗像郡赤間村(現宗像市赤間)に生まれ、幼少期から病と闘いながら成長し、明治44年(1911年)福岡県門司市(現北九州市門司区)に石油などを扱う出光商会を設立。戦前戦後にわたり日本の石油産業に貢献しました。生涯最後の仕事として「宗像神社再建」にも取り組み、世界遺産登録の礎を築きました。

  10. 雲龍久吉(うんりゅう ひさきち)

    雲龍型で名を残した第十代横綱 雲龍久吉 うんりゅう ひさきち

    福岡県柳川市
    マンガ家:渋田武春
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    雲龍久吉(うんりゅう ひさきち)は、江戸後期文政5年(1822年)筑後国山門郡大和村(現福岡県柳川市大和町)に生まれ、12歳頃に両親・祖父母を亡くし、力仕事をして幼い弟妹を養いました。身体が大きく力の強い久吉は、弘化3年(1846年)23歳で江戸相撲追手風部屋に入門、順調に出世し、安政5年(1858年)大関昇進、文久元年(1861年)第十代横綱になり土俵入りの「雲龍型」は現代に伝えられています。

  11. 丹下健三(たんげ けんぞう)

    世界のタンゲと呼ばれた建築家 丹下健三 たんげ けんぞう

    愛媛県今治市
    マンガ家:原案・監修 豊川斎赫、マンガ 愛馬広秋
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    丹下健三さん(たんげ けんぞう)は、大正2年(1913年)大阪府堺市に生まれ、生後間もなく中国に渡り、大正9年(1920年)父の出身地である愛媛県今治市に帰国、昭和10年(1935年)東京帝国大学(現東京大学)工学部建築科に入学、同大学院卒業後から昭和49年(1974年)まで、東京大学で教鞭をとり「丹下研究室」を主宰。その建築・都市計画は、世界的に高い評価を得て「世界のタンゲ」と呼ばれています。

  12. 谷崎義男(鱗海)(たにざき よしお(りんかい))

    博士になった丁稚どん 谷崎義男(鱗海) たにざき よしお(りんかい)

    徳島県那賀町
    マンガ家:原作 原田一美、マンガ 花都ゆう
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    谷崎義男さん(たにざき よしお)は、1907年(明治40年)徳島県相生村(現那賀町)に生まれ、子供の頃からアユ釣り名人と知られましたが、釣りばかりしているため12歳で徳島市に丁稚奉公に出されました。奉公先で「勉強の楽しさ、ありがたさ」を痛感し、独立開業後も勉強を続け、難関の「高等文官試験」に合格。更に生涯をかけてアユの生態調査に尽力、1966年(昭和41年)京都大学から理学博士を授与されました。