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地域の発展に尽くした父子の軌跡 井谷正命、井谷正吉 いたに まさみち、いたに まさよし
愛媛県鬼北町マンガ家:南野しま井谷正命(いたに まさみち)は、江戸時代末期慶応4年(1868年)伊予国日向谷村(現愛媛県鬼北町)に生まれ、初代日吉村長、北宇和郡会議長、愛媛県会議員を歴任し、南予の道路開発に献身、私財を投じて日吉実業学校を設立した。
井谷正吉さん(いたに まさよし)は、明治29年(1896年)井谷正命の長男に生まれ、大正から昭和初期に農民運動で活動、戦後は日本社会党の衆議院議員を4期務め地域発展に尽くした。 -
地球半周の航海で800人を救った 茅原基治 かやはら もとじ
岡山県笠岡市マンガ家:南一平茅原基治(かやはら もとじ)は、明治18年(1885年)岡山県小田郡甲弩村(現笠岡市)生まれ。大正9年(1920年)アメリカ赤十字社の依頼により勝田汽船から陽明丸の船長に任命され、ロシア革命の内戦で帰郷できなくなったロシアの子ども約800人を救出。ウラジオストク→室蘭→サンフランシスコ→パナマ運河→ニューヨーク→フランス→フィンランドと3ヵ月間地球半周の航海の末、家族のもとへ送り届けました。
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ふるさとを愛した日本画家 中原芳煙 なかはら ほうえん
島根県美郷町マンガ家:監修 神英雄、シナリオ 伊藤ユキ子、マンガ 小村博明中原芳煙(なかはら ほうえん)は、明治8年(1875年)島根県都賀行村(現美郷町)に生まれ、幼少期から身近な動植物の絵を描きながら育ち、東京美術学校(現東京藝術大学)に進みました。同校日本画科を首席で卒業した後、宮内省で正倉院の御物整理を担当したり、審美書院で古今諸派の技法を習得したりすることで画技を磨き、「鹿の絵」など故郷の風景をちりばめた写実的で優しいタッチの動植物画が高く評価されています。
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アイヌ叙事詩を文字で後世に伝えた 知里幸恵 ちり ゆきえ
北海道東川町マンガ家:原作 菅原浩志、作画 なかはらかぜ知里幸恵(ちり ゆきえ)は、明治36年(1903年)北海道ヌプルペッ(登別川)沿い(現登別市)に生まれ、言語学者金田一京助から「民族の歴史であると同時に文学でもあり、また宝典でもあり、聖書でもあった叙事詩 ユカㇻの価値」を聴き、同化政策で失われていく「ユカㇻ」を後世に伝えるため、文字のないアイヌ語をローマ字で表記し日本語訳を付した「アイヌ神謡集」を著し、大正12年(1923年)に刊行されました。
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中津川が生んだ日本画の巨匠 前田青邨 まえだ せいそん
岐阜県中津川市マンガ家:島崎朝子前田青邨さん(まえだ せいそん)は、明治18年(1885年)中山道の宿場町中津川村(現中津川市)に生まれ、幼少期から絵の才能を現し16歳で上京して伝統的な日本絵画を学び、歴史画から肖像画・花鳥画など幅広く描き、広く海外にも知られました。また、晩年は法隆寺金堂壁画再現事業・高松塚古墳壁画模写事業など文化財保護にも貢献しました。92歳で亡くなるまで画を描き続け、文化勲章を受章した日本画の巨匠です。
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学校を開き、人材を育てた 中島撫山 なかじま ぶざん
埼玉県久喜市マンガ家:監修 村山𠮷廣、マンガ 阿崎桃子中島撫山(なかじまぶざん)は、文政12年(1829年)江戸に生まれ、安政5年(1858年)私塾「演孔堂」を開き、明治維新を経て久喜本町(現埼玉県久喜市)に移り、明治3年(1870年)に私塾「演孔堂」を再開、学制公布に伴い明治6年(1873年)に私立学校「幸魂教舎」を開校し、地域の教育に尽力して多くの人材を育てました。
また孫の「中島敦」は、撫山が晩年暮らした久喜新町宅で幼少期を過ごしました。 -
西洋音楽の伝道師 小松耕輔 こまつ こうすけ
秋田県由利本荘市マンガ家:原作 小林義人、マンガ 速水ゆかこ小松耕輔さん(こまつ こうすけ)は、明治17年(1884年)秋田県由利郡舘合村(現由利本荘市)に生まれ、パリ国立音楽院に学び作曲家として活躍する他、国民音楽協会設立、日本初の合唱コンクール開催など音楽の普及に尽力、音楽教育家としても、学習院大学、お茶の水女子大学、日本大学などで教鞭をとり音楽教育に貢献しました。また作曲家の著作権擁護にも努め、現在の一般社団法人日本音楽著作権協会の礎を築きました。
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南洋パラオと東北を繋ぐ開拓記 高橋進太郎、村山格一郎 たかはし しんたろう、むらやま かくいちろう
宮城県蔵王町マンガ家:原作 松浦まどか、作画 朝戸ころも宮城県蔵王町の北原尾(きたはらお)地区は、太平洋戦争後の1946年パラオからの引き揚げ者の入植地として開拓が始まりました。元南洋庁拓殖部長高橋進太郎さん、同部村山格一郎さん達の尽力と、32戸の入植者が努力した結果、酪農で成功しました。2001年パラオ共和国トミー・レメンゲサウ大統領の蔵王町訪問を機に、子どもたち相互の訪問事業、東京オリンピックパラオ選手団ホストタウンなどの国際交流が続いています。
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女満別空港はじまりのパイロット 根岸錦蔵 ねぎし きんぞう
北海道大空町マンガ家:岩原裕二根岸錦蔵さん(ねぎし きんぞう)は、明治35年(1902年)東京府(現東京都)に生まれ、日本航空界創成期に活躍したパイロットです。
昭和10年冷害に苦しむ北海道女満別村(現大空町)に、村民1,300人の協力を得て、気象観測の基礎となる流氷観測用の滑走路を完成させ、現在の「女満別空港」に続く飛行場を開きました。
流氷観測で得られたデータは、北海道の天気予知に役立ち、農業漁業の発展を支えました。- # 現代(35)
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