特集「大航海」

 夏休み「船」に乗った人はいますか?
 池の貸しボート、釣り船で魚釣り、湖の観光船、カヌー体験など、船に乗って気分が盛り上がり、「海賊王に俺はなる!」と叫んだ人も多いでしょう。
 今回の特集は、「大航海」をテーマに
1.地球半周3ヵ月の航海で子ども800人を救った 茅原基治(岡山県笠岡市)
2.帆船で太平洋・大西洋を横断しローマ法王に謁見 支倉常長(宮城県川崎町)
3.米国から沖縄まで生きた豚を届けたハワイ移民 安慶名良信(沖縄県うるま市)
4.明の難破船を助け無事に帰国させた 健堅大親(沖縄県本部町)
の4作品をご紹介します。
  1. 茅原基治(かやはら もとじ)

    地球半周の航海で800人を救った 茅原基治 かやはら もとじ

    岡山県笠岡市
    マンガ家:南一平
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    4.43
    読み込み中...

    茅原基治(かやはら もとじ)は、明治18年(1885年)岡山県小田郡甲弩村(現笠岡市)生まれ。大正9年(1920年)アメリカ赤十字社の依頼により勝田汽船から陽明丸の船長に任命され、ロシア革命の内戦で帰郷できなくなったロシアの子ども約800人を救出。ウラジオストク→室蘭→サンフランシスコ→パナマ運河→ニューヨーク→フランス→フィンランドと3ヵ月間地球半周の航海の末、家族のもとへ送り届けました。

  2. 支倉常長(はせくら つねなが)

    400年前、ローマ教皇に謁見 支倉常長 はせくら つねなが

    宮城県川崎町
    マンガ家:マンガ 「Haruka.」、監修 佐々木徹、シナリオ 粟野繁
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    4.46
    読み込み中...

    支倉常長(はせくら つねなが)は、安土桃山時代元亀元年(1570年)出羽国立石村(現山形県米沢市)の支倉家に生まれ、8歳頃陸奥国支倉村(現宮城県川崎町)の支倉本家の養子となり、伊達政宗に仕えました。江戸時代前期慶長18年(1613年)政宗の命を受け、仙台藩が建造した西洋式帆船で太平洋を渡りメキシコ、さらに大西洋を渡りスペインに航海し、スペイン国王やローマ法王に謁見し貿易協定締結を目指しました。

  3. 安慶名良信(あげな りょうしん)

    戦後の沖縄に豚を贈ったハワイ移民 安慶名良信 あげな りょうしん

    沖縄県うるま市
    マンガ家:喜名常稀
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    4.07
    読み込み中...

    沖縄県では戦前10万頭以上の豚が飼育されていましたが、戦禍でほとんどいなくなりました。昭和23年(1948年)沖縄出身のハワイ移民が、募金で購入した豚を貨物船に積み、米国西海岸から約1ヵ月の航海の末、勝連平敷屋(現うるま市勝連ホワイトビーチ)に届けました。届いた550頭の豚は県内市町村に公平に分配され、2年後には10万頭に増えて食糧事情は改善され、養豚業も復活し沖縄の豚食文化の礎となりました。

  4. 健堅大親(きんきんぬひゃー)

    明の難破船を助け交流に貢献 健堅大親 きんきんぬひゃー

    沖縄県本部町
    マンガ家:マンガ makiart、原案 知念正昭
    1つ星2つ星3つ星4つ星5つ星
    4.31
    読み込み中...

    健堅大親(きんきんぬひゃー)は、初代中山王察度の頃(1350年~1395年、南北朝時代)琉球国本部間切(現沖縄県本部町)を治めた士族で、久米島の堂の大親(どうのひゃー)と一緒に久米島を訪れた際、暴風で船が難破し久米島に漂着した明国人に帰国する船を作る木材と良馬を与え無事に帰国させた事から、明国皇帝から琉球王国を通じてお礼の絹と石碑が贈られたとの記述が琉球王国の史書「球陽」に残されています。