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  • # あさごはん
の検索結果:3件
  1. 出原次左衛門(いずはら じざえもん)

    大阪の住民を率いて鹿児島を開拓 出原次左衛門 いずはら じざえもん

    鹿児島県大崎町
    マンガ家:あさごはん
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    出原次左衛門(いずはら じざえもん)は、江戸前期5代将軍綱吉の頃摂津国(現大阪府北部と兵庫県南部)の郡奉行を務めていましたが、大阪を本拠とした豊臣家を慕い徳川幕府に不満を持つ住民が多くいたため、豊臣家と関係が深い薩摩藩主島津家を頼り、元禄元年(1686年)から4回にわたり摂津・河内・和泉の住民128名を率いて薩摩国荒佐野(現鹿児島県大崎町野方)へ移住し、荒地を開拓し大崎地区の礎となりました。

  2. 黒瀬巳之助、片平一、黒瀬常吉(くろせみのすけ、かたひらはじめ、くろせつねきち)

    焼酎の生産量・質を向上させた杜氏 黒瀬巳之助、片平一、黒瀬常吉 くろせみのすけ、かたひらはじめ、くろせつねきち

    鹿児島県南さつま市
    マンガ家:春野洋治郎、ダムダム、あさごはん、万の瀬辰巳
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    明治31年(1898年)自家用焼酎製造が禁止され、酒蔵に高度で専門的な製造技術が求められるようになりました。鹿児島県南さつま市笠沙町黒瀬地区の3人の若者「黒瀬杜氏三人衆」は、黄麹仕込みが主流だった鹿児島に、温暖な鹿児島の気候でももろみ生産が安定する「沖縄の泡盛で使われる黒麹菌」を取り入れて焼酎の生産量・質を向上させ、「焼酎杜氏集団」としてその技術を日本各地に伝え、現在の焼酎造りの礎を築きました。

  3. 飯尾裕幸(いいお ひろゆき)

    離島振興に19年間尽力した町長 飯尾裕幸 いいお ひろゆき

    鹿児島県長島町
    マンガ家:あさごはん
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    飯尾裕幸さん(いいお ひろゆき)は、大正2年(1913年)鹿児島県出水郡東長島村(現長島町)に生まれ、小学5年生で引越し、昭和46年(1971年)59歳で東町(現長島町)に帰郷しました。昭和49年本土とつなぐ島民念願の黒之瀬戸大橋が完成しますが、同時に離島補助金もなくなりました。この危機に際し、飯尾さんは昭和50年から平成6年までの19年間町長を務め、地域の産業振興・インフラ整備に尽力しました。