プロパーでごめん
海洋センター・クラブ課の進藤です。
ちなみにタイトルはノリで深い意味はありません。元ネタは2~3年前にバズった、音楽ユニットHoneyWorksさんの「可愛くてごめん」です。Youtubeを見てたら、たまさか歌ってましたので。
ちなみにこの曲、再生数はなんと1.6億回再生!ショート動画にも頻繁に使われ、単純計算で日本人が1度は聞いたことがある勘定。今でもカヴァされたり、あざと可愛くリスナーを煽る目的で歌われるので、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?
可愛くてごめん / HoneyWorks
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事の始まりは笹川記念会館から
私の入社はまだ笹川記念会館に事務所があった頃です。入社から3週間で3か月間の沖縄訓練へ赴き、帰ってきた際には深川に移転していていたので、そこでの記憶はボートレース関係団体合同で行われていた同期との新人研修と、B&G財団初代笹川良一会長の訓示です。
街中に有名人がいるとよく人だかりができますね。深川にあった東京海洋センターにも稀に有名人が来られたり、指導員の研修会で著名人を招いたりするのですが、実は、良一会長にお会いした後はなぜかそういう著名人に対する興味は、すっと皆無になりました、それ位インパクトのある会長でした。
昔、山陰の空港で、ご活動を終えた宮様と同じ飛行機になったことがありましたが、気持ちが少し昂ったのはその時ぐらいです、
戸締り用心 火の用心 完全版(月曜~日曜)
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「子どもはたくさんつくりなさい」
内部研修での何日目か、研修室になっていた会議室に、秘書の方をお供にその方は現れました。当時は週一頻度で決裁のためにお越しになっていたようです。勿論本物は初めて見ました。
新人に何か一言をとの急場だったのか、内輪の事務所だったからか物々しい感は薄かったように思います。もしかしたら何か大切なことを仰ってて、私がすっぽり忘れているのかもしれません、定かではありませんが。
ただ、私が訓示で覚えているのは一言、好々爺然として発せられた言葉
「子どもはたくさんつくりなさい」
です。今だとノンデリですし、当時でも新人職員への訓示にしてはかなりぶっ飛んだ内容、です(だから覚えているのでしょうけれど)。ただ小賢しい話より、その時の自分には、ビビッとロックに響いた一言でした。ウン!カッコイイ♪会長って、一瞬でファンになってしまいました。
子ども「を」と言わず、子ども「は」と仰った部分も素敵に感じた感性で、私達の新人生活、人生だけでなく、普遍的な事柄で受け取る側の自由度が高い気がします。B&Gプランを快調に進めていた時代でしたので、海洋センターやクラブを指して、またはそこで活動する子供たちを慈しんで、そういう表現にしたのかもしれません。
後付けで意味深に考えれば、世界平和、子どもがたくさん住める環境、地域の見守り、少子化の問題、地域文化の継承…、様々な受け止めができる、とても深い一言になりました。
山谷ありと晩年
AIによると、プロパーは”一般的に新卒で入社した、いわゆる「生え抜き」の社員を指す言葉。英語の「proper」(本来の、正式な)が語源となった和製英語…云々で、一般的には ①高い帰属意識 ②強固な人脈 ③保守的な考え方 が特徴らしいです。
ボートレースはその後、売上減の時代を迎え、良一会長の逝去を経て社会から財団の存在意義を真に問われた時期もありました。執行役員2名の同時退任、直営である東京センター閉鎖と沖縄センターの譲渡、従業員100名の退職、平成の市町村大合併、そして東日本大震災。人生も仕事も一筋縄な訳もなく、それなりの泣き笑いも経験させていただきました。勢いに任せて提出した退職願いもドラマのように担当役員が一晩机に留め置いて下さったりと、そうしたおかげで今日まで財団で仕事を続けることができています。
北海道の片田舎から上京した私は、寒冷地仕様の口下手。入社当時はどちらかというとオラついた刹那的な価値観でありましたが、アクも愛情も強烈な上司センパイと全国の指導者諸兄に揉まれながら、懐の深い会社に育てられ今の自分があります。
取り柄のない自分が嫁も家も子供も賄って貰ったお返しはできるか?その前にとりあえず周囲からは「仕事に穴をあけるな」「会社の迷惑になる前に卒業してくれ」とは言われそうである。
プロパーなのにごめん、良一会長