1年の計は元旦にあり!?
みなさん、こんにちは。
総務部の中島です。
今年もあと1週間ほどですね。
振り返ると、元日が昨日のことのように感じるほど、あっという間の1年でした。
各地で大雪となった冬、暑くて長い夏、そして短い秋。いろいろな出来事とともに、極端な気候で大変だった1年を思い出します。
そんな1年の始まりの日、私はこんな目標を立てました。
「娘に音楽やスポーツを教える」
私には小学1年生と保育園(4歳)の2人の娘がいます。
これまで自分が培った経験や知識を活かして、できる限り時間を作って子どもたちに音楽やスポーツを教えたいと思い、目標を立てました。
特に長女はピアノが少しずつ上達してきており、私自身も音楽を専門に学んだことがあるので、定期的にピアノを教えてあげようと考えたわけです。
親父のピアノレッスン
親父のピアノレッスン、当初は順調でした。
娘も親から教えられるのが新鮮なのか、やる気満々。
でも、徐々に停滞期に突入します。娘に覇気がないのです。
楽器の演奏で特に技術的な練習は、どうしても単調になりがち。でも、すらすら弾けるようになってきたら、そのうち元気になるだろうなどと高をくくっていました。
そんなことが続いていたある日、B&G指導員の先輩にその話をしてみると、「お前、間違ってるよ」と一喝。長らくサッカー指導をしているその方から、音楽とジャンルは違えど「子どもの気持ちを考えているのか?」という指摘を受けました。

振り返ってみると確かに「こうあるべき」という型にはめるようなレッスンになっていたような気が。。。そして、やる気がないように見えると叱っている自分がいる。。。
これって駄目ピアノ教師の典型じゃないか!!と、ようやく気付く親父。。。。(残念)
その後、ピアノを弾くというより、お互いに話をすることに重きを置いてレッスンすると、娘の本当の気持ちに気づきます。
「パパが何を言っているのか分からない・・・」

おいおい親父よ、そもそも出発点が間違っているじゃないか。
覇気がないのではなく、分からないというサインだったのか。。。
人に教えるということ
今思えば、冒頭に記載した「音楽を教える」という目標や「ピアノを教えてあげよう」という考え自体、自己中心的で、自分の中に「教える側」「教わる側」という上下意識があることが分かります。
B&G指導員の先輩が諭してくれたように、一方的に教えるのでははなく、学んでいる事の魅力を伝え、本人の意欲を掻き立てることが本当は大切なのだと、娘から教えてもらいました。
1年前に「音楽を教える」とした目標は、今では「音楽の楽しさを伝える」に変わっています。そして、人に技術や知識を魅力的に伝えるためには、自分自身がもっと勉強する必要があると感じる毎日です。
色々ありましたが、1年を通してピアノに向き合った娘は数日後に小さなコンクールに出場します。結果はともかく、人前で表現する経験を通じて、音楽の楽しさや楽器を弾くことの面白さを感じ、自分なりの何かを音楽の中に見つけてもらえればと思っています。

2026年を目の前に1年ぶりのリレートークを書きながら、来年はどんな年にしようかと思いを巡らし始めています。
みなさん、よいお年をお迎えください。