絵画の「洋画・日本画」は、「技法や画材の違い」で、どちらの分野でも日本人画家が活躍しています。
今回の特集は、「洋画・日本画」をテーマに
1.日本美術を世界に紹介した東京美術学校設立者 岡倉天心(茨城県北茨城市)
2.法隆寺金堂壁画再現などで活躍、文化勲章受章の日本画家 前田青邨(岐阜県中津川市)
3.パリに留学、先駆者として日本洋画界の発展に貢献 山本芳翠(岐阜県恵那市)
4.正倉院御物など古今諸派の技法を習得した日本画家 中原芳煙(島根県美郷町)
の4作品をご紹介します。
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日本美術を世界に紹介した 岡倉天心 おかくら てんしん
茨城県北茨城市マンガ家:監修・原案 小泉晋弥、作画 産本まぐろ岡倉天心(おかくら てんしん)は、幕末文久2年(1863年)横浜に生まれ、明治22年(1889年)東京美術学校(現東京藝術大学美術学部)設立、日本美術院創設、ボストン美術館中国・日本美術部長就任等、日本の美術史学研究の開拓者であり、美術評論、美術家養成に貢献しました。天心は、明治38年(1905年)茨城県大津町(現北茨城市)の五浦海岸に自身の設計による邸宅と六角堂を建築し、活動の拠点としました。
- # 近代(36)
- # 芸術・文化(26)
- # 先駆者(43)
- # 名人・巨匠(27)
- # 世界で活躍(31)
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中津川が生んだ日本画の巨匠 前田青邨 まえだ せいそん
岐阜県中津川市マンガ家:島崎朝子前田青邨さん(まえだ せいそん)は、明治18年(1885年)中山道の宿場町中津川村(現中津川市)に生まれ、幼少期から絵の才能を現し16歳で上京して伝統的な日本絵画を学び、歴史画から肖像画・花鳥画など幅広く描き、広く海外にも知られました。また、晩年は法隆寺金堂壁画再現事業・高松塚古墳壁画模写事業など文化財保護にも貢献しました。92歳で亡くなるまで画を描き続け、文化勲章を受章した日本画の巨匠です。
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日本洋画界の先駆者 山本芳翠 やまもと ほうすい
岐阜県恵那市マンガ家:マンガ 松原裕美、原案・監修 伊藤勝彦山本芳翠(やまもと ほうすい)は、嘉永3年(1850年)美濃国恵那郡明智村(現岐阜県恵那市)に生まれ、慶応元年(1865年)15歳で画家を目指し京都で南宋画を学びました。明治元年(1868年)横浜で見た洋風画に衝撃を受け、工部美術学校で本格的な油彩を学び、明治11年(1878年)渡仏しパリ美術学校入学、パリ画壇で活動しました。明治20年(1887年)帰国し、日本洋画界の先駆者として活躍しました。
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- # 芸術・文化(26)
- # 先駆者(43)
- # 名人・巨匠(27)
- # 世界で活躍(31)
- # 熱血(61)
- # 面白い(48)
- # 伊藤勝彦(1)
- # 松原裕美(1)
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ふるさとを愛した日本画家 中原芳煙 なかはら ほうえん
島根県美郷町マンガ家:監修 神英雄、シナリオ 伊藤ユキ子、マンガ 小村博明中原芳煙(なかはら ほうえん)は、明治8年(1875年)島根県都賀行村(現美郷町)に生まれ、幼少期から身近な動植物の絵を描きながら育ち、東京美術学校(現東京藝術大学)に進みました。同校日本画科を首席で卒業した後、宮内省で正倉院の御物整理を担当したり、審美書院で古今諸派の技法を習得したりすることで画技を磨き、「鹿の絵」など故郷の風景をちりばめた写実的で優しいタッチの動植物画が高く評価されています。
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