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  • # 春野洋治郎
の検索結果:2件
  1. 中尾純利(なかお すみとし)

    日本初、国産機で世界一周した 中尾純利 なかお すみとし

    鹿児島県阿久根市
    マンガ家:原案 春野洋治郎、マンガ作画 青梨
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    中尾純利さん(なかお すみとし)は、明治36年(1903年)鹿児島県出水郡阿久根村(現阿久根市)に生まれ、大正10年(1921年)陸軍航空学校民間機操縦士受入れ第1期生として入校、三菱重工業のテストパイロットになりました。昭和14年(1939年)国産機「ニッポン号」で5大陸20か国を巡る世界一周親善飛行に成功。戦後昭和27年(1952年)東京国際空港初代空港長となリ民間航空の発展に貢献しました。

  2. 黒瀬巳之助、片平一、黒瀬常吉(くろせみのすけ、かたひらはじめ、くろせつねきち)

    焼酎の生産量・質を向上させた杜氏 黒瀬巳之助、片平一、黒瀬常吉 くろせみのすけ、かたひらはじめ、くろせつねきち

    鹿児島県南さつま市
    マンガ家:春野洋治郎、ダムダム、あさごはん、万の瀬辰巳
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    明治31年(1898年)自家用焼酎製造が禁止され、酒蔵に高度で専門的な製造技術が求められるようになりました。鹿児島県南さつま市笠沙町黒瀬地区の3人の若者「黒瀬杜氏三人衆」は、黄麹仕込みが主流だった鹿児島に、温暖な鹿児島の気候でももろみ生産が安定する「沖縄の泡盛で使われる黒麹菌」を取り入れて焼酎の生産量・質を向上させ、「焼酎杜氏集団」としてその技術を日本各地に伝え、現在の焼酎造りの礎を築きました。