真相BGメン
水に縁のないまちで始まった海洋センターの48年の歩み(前編)
2025.07.16 UP
「新しくなっても、どこか落ち着く感じがありますね。やっぱりこの空気感なんですよ」
府中駅南側に新しくオープンした海洋センターの温水プールで、にこやかにそう話すのは、府中市B&G海洋センターの指導員、大越利夫さん。子どものころから海洋センターに通い続けてきた彼の人生は、水の記憶とともにあった。
2025年6月、府中市における生涯学習・スポーツ活動の拠点として親しまれてきた海洋センターが、JR府中駅南側に移設され、リニューアルオープンした。
旧海洋センターは1977年の開設以来、48年間にわたり多くの市民に利用されてきたが、施設の老朽化によりその役割を終え、新たな施設が地域の期待を受けて、新たな一歩を踏み出した。
移設された温水プール
ー目次ー
■地域に親しまれる「海洋センター」
■「この町にプール?」からのスタート
■気づけば毎日、プールに通ってた
■不安だらけの船出。でも、仲間がいた
■愛着はあったけど、限界だった
地域に親しまれる「海洋センター」
各地の海洋センターは、青少年の健全育成と幼児から高齢者までの健康づくりを目的に、1976年以降、全国に整備された。自治体のニーズや立地に応じて、艇庫・プール・体育館を組み合わせて設置し、2000年までの25年間で全国に480ヵ所に整備された。
中山間地域など海に面していない場所にも整備され、都市部に偏ることなく、誰もが水や自然に親しめる環境が整えられた。その後、供用開始から3年間の運用を経て、各自治体へ無償譲渡を行った。市町村合併や施設の統廃合を経ながらも、現在、全国で456ヵ所の海洋センターが稼働している。
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艇庫
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プール
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体育館
「この町にプール?」からのスタート
広島県府中市B&G海洋センターは、第1期建設の施設として1977年に開所。艇庫と屋内温水プールを備えた海洋センターとしてスタートした。
当時はまだ海洋センターの存在が広く知られておらず、府中市が内陸部にあることもあって、「水に馴染みのない地域にプールをつくってどうするのか」「こんな狭い川でカヌーができるのか」といった疑問や懐疑的な声も少なくなかった。
開設当初の府中市海洋センター
それでも、施設が稼働し始めると、「内陸でも一年中泳げて楽しい」と喜ぶ声が徐々に広がり、次第に否定的な声は消えていった。
こうした歩みを支えたのは、地道に活動を続けた施設スタッフたちの努力だった。水泳教室はしだいに地域に定着し、やがて利用者たちが結成する「府中スイミングクラブ(FSC)」が全国大会にも出場するようになり、「内陸の町で水の活動を楽しむ」ことが、地域の暮らしの一部として根づいていった。
こうして少しずつ地域に根づいていった、府中市B&G海洋センター。子どものころからこの場所で過ごしてきた大越利夫さん。現在も海洋センターの指導員として働く大越さん(以下、大越)に、当時の思い出を語ってもらった。
大越さん
気づけば毎日、プールに通ってた
― 大越さん、子どもの頃の海洋センターはどのような場所でしたか?
大越:海洋センターは地域の子どもたちにとって、水に親しむ貴重な場所でした。府中には海はありませんが、水にふれる体験はここでできました。泳ぎを覚えるだけでなく、挑戦する気持ちを育ててくれる場でもあったと思います。
―海洋センターとの出会いは、いつ頃だったんですか?
大越:小学校に上がったタイミングで、姉と一緒にプールに通い始めたのがきっかけですね。最初は泳げなかったんですが、当時の指導員の先生たちが本当に温かくて。気づいたら、毎日のようにプールに通っていました。
―海洋センターがすっかり生活の一部になっていたんですね。その後も水泳は続けたんですか?
大越:はい。中学・高校では水泳部に入って活動していました。夏場は部活と府中スイミングクラブの練習で海洋センターを利用していました。冬場になると学校のプールは閉まっちゃうので、オフシーズンは海洋センター泳げるのが有難かったですね。
―練習だけでなく、指導する側としても関わっていたそうですね。
大越:そうなんです。高校時代は部活のほかに、府中スイミングクラブでも泳いでいましたし、海洋センターで子どもたちのお世話をするアルバイトもしていました。教える側の楽しさも少しずつ感じるようになったのは、この頃ですね。
―高校卒業後はどうされたんですか?
大越:大阪の専門学校に進学しました。最初は、卒業したら一般企業に就職するつもりだったんですよ。でも、卒業が近づいてきたときに、「やっぱり水泳に関わって生きていきたいな」って強く思うようになって。
―そのとき思い浮かんだのが、海洋センターだったんですね。
大越:そうです。子どものころからずっと通っていた場所です。いつかあの時の先生たちのように、自分も教える立場になりたいと、ずっと思っていました。
不安だらけの船出。でも、仲間がいた
―海洋センターに就職されたのは、いつ頃だったのでしょうか?
大越:就職が決まったのは1998年です。その年に、
「センター・インストラクター養成研修」に参加して、指導の基礎を学びました。
―指導者養成研修を受けてみて、どうでしたか?
大越:いやぁ、正直言って、最初はすごく不安でしたよ。ヨットなんてまったくの未経験でしたし、自分にできるのかどうか、本当に心配でした。でも、いざ研修が始まってみると、全国から集まった仲間たちに恵まれて、とにかく毎日が刺激的で。みんな背景も年齢も違うんですけど、すぐに打ち解けることができました。
研修の内容も実践的で、ヨットやカヌーといったマリン活動の技術だけでなく、安全管理や指導法まで幅広く学べたのが大きかったですね。現場での動き方の基本を、ここで一から教えてもらった感じです。
―今でも当時の仲間とのつながりはありますか?
大越:ありますよ!
研修が終わってからも、みんなそれぞれ地元に戻って活動していますけど、今でも定期的に連絡を取り合っています。近況を報告し合ったり、困ったことがあれば何でも相談できるんです。
地域も立場も違いますが、養成研修を一緒に乗り越えた仲間って、やっぱり特別なんですよね。県内の同期とは、ときどき現場で再会することもあって、顔を合わせればすぐに当時の雰囲気に戻れる。全国に同じ思いを持って頑張っている仲間がいるって、本当に心強いですし、自分にとって大きな支えになっています。
―研修後、地元に戻られてからの活動について教えてください。
大越:地元に戻ってからは、温水プールという施設の特長を生かして、幼児から高齢者まで幅広い世代を対象にした教室を展開しました。特に水泳教室では、子どもたちがJOCジュニアオリンピックカップにも毎年出場してくれて、県大会や全国大会でも好成績を残してくれるようになりました。
子どもたちが全国大会で活躍
―まさに地域のスイミングリーダーですね。
大越:いえいえ(笑)。でも、子どもたちの成長や頑張る姿を見ると、「この仕事を選んでよかったな」と感じますね。
愛着はあったけど、限界だった
―長く親しまれてきた海洋センターですが、施設の老朽化も大きな課題だったと聞きました。
大越:そうですね。時代の流れとともに、どうしても施設は古くなっていきました。2009年に「地域海洋センター修繕助成」を活用して、大規模な改修を行い、バリアフリー化も進めたんです。それでも限界はあって。
―どのような状況だったんですか?
大越:築40年を過ぎたあたりから、天井や配管、設備の劣化が目に見えて進みました。正直なところ、本当にギリギリの状態で、だましだまし使っていた時期もあったんです。
―そんな中で、移転の話が出てきたと。
大越:はい。もちろん、長く使ってきた施設には愛着もありました。でも、やっぱり一番に考えなきゃいけないのは、子どもたちをはじめ利用者の安全です。だから、移転の話が具体的になったときは、正直ほっとした部分もありましたね。
府中市は、駅南側に新しい屋内温水プールの建設を決定。海洋センターの機能もこの場所に移されることになった。
こうして長年地域に親しまれてきた海洋センターは、新たな場所で再出発を迎えることになった。場所は変わっても、大越さんの熱意は今も変わらない。
後編では、学校との連携や艇庫での活動、今後の地域とのかかわり方、そして未来に向けた取り組みについて深掘りする。