特集 3.11 東日本大震災10年 episode 2

岩手県奥州市ソフトテニスが結んだ被災した子どもたちへの支援
奥州市前沢B&G海洋センター

 

奥州市では、東日本大震災の本震よりも2011年4月の余震で多くの家屋被害が発生しました。奥州市前沢B&G海洋センターも少なからず被害を受けましたが、職員総出で修繕を実施。例年通りに6月からプールを開き、多くの利用者を受け入れました。

 

その後もセンターでは、ソフトテニスを通じて積極的に沿岸部で被災した子どもたちと交流を続けます。練習場所を失ったチームへのサポートや、「奇跡の一本松」の子孫の植樹など、2017年まで様々なイベントが実施し続けました。

 

震災から10年。当時の出来事を振り返るとともに、利用者を受け入れる姿勢をお届けします。

2011年のSPORTS NARO ソフトテニス講習会の様子

 

―― 震災から10年目を迎えるわけですが、地元の方々は特別な思いなどを抱かれていますか。

 

奥州市では沿岸部の方々に比べると直接の被害は少なかったので、10年という節目に強い意識はないかもしれません。3.11の本震と4月の余震による被害で更地にしてしまう家も多く見られましたが、最近ではそこに新たな住宅も建ち始めています。

 

―― 奥州市では3.11の本震よりも、4月の余震で家屋等に大きな被害が出た。海洋センターでの被害はありましたか。

 

センター外周での地盤沈下やプールの配水管の漏水といった被害がありました。また、プールサイドのタイルが滅茶苦茶になってしまい、1枚1枚手作業で直したことをよく覚えています。タイルは今も修繕したまま残っています。

 

地震によって浮いたり沈んでしまったりしたタイル

センター総出でタイルを修繕。現在も当時のタイルが使用されている

地震によって、センターの外周(階段の淵)が沈下してしまった

―― 復旧作業の甲斐もあり、6月には例年通りにプール開きができたそうですね。

 

はい。当時は放射線の影響を心配されて屋外での活動を控えられる方が多く、「屋内プールなら安心」ということで多くの方に利用していただきました。

 

―― 震災以降、海水浴や水辺への意識は変わりましたか。

 

震災以降は、海水浴から遠ざかる人が多かったように思います。私の周りでは、ここ2~3年でようやくまた海水浴へ行く人が増えてきました。ただ、それもお子さんがいる家庭に限りますし、日本海側の海水浴場へ向かうこともあるそうです。

 

―― ほかに変化したことはありますか。

 

当時、地元では「地震によって津波が来る」という認識があまり持たれていませんでした。沿岸部に住んでいた私の妹も、東京でニュースを見ていた下の妹から「津波が来るから避難して」と連絡が来て、ようやく危機感を覚えて避難したといいます。
震災によって、皆さんそれぞれのかたちで「『知っている』と『知らない』とでは大きな違いがある」と体験したので、子どもたちにもその経験を伝えていかなければいけないと考えています。とくに現在の小学生は、幼かったために震災当時の記憶がほとんどないので。

 

―― 奥州市前沢B&G海洋センターでは、沿岸部で被災された子どもたちを招いてイベントを実施されてきたそうですね。

 

2011年から2018年まであいだに計7回、「NPO法人前沢いきいきスポーツクラブ」主催でイベントを実施してきました。全国的にも有名なSPORTS NARO代表・皆呂充亮氏によるソフトテニス講習会に、沿岸部で被災された小中学生とその保護者さんを招待しています。
講師として当時の日本代表・小林幸司さんを招いたり、『料理の鉄人』にも出演された伊藤勝康シェフより差し入れを頂いたりと、様々な方に支えられてイベントを続けてきました。

 

2011年のソフトテニス講習会で、昼食を振る舞ってくれた伊藤シェフにお礼を言う様子

2012年のソフトテニス講習会での集合写真。皆呂さん・小林さん・気仙リバースの子どもたち

 

―― ほかにはどのようなイベントを催されたのでしょうか。

 

奥州市主催の「奥州万年の森 植樹祭」で、陸前高田市のソフトテニスクラブ「気仙リバース」とその保護者を招き植樹を行いました。2013年(第6回)では、気仙リバースの代表者から「奇跡の一本松」の子孫の苗木をわけていただき植樹しました。

 

第6回植樹祭にて、「奇跡の1本松」の子孫を植えているところ

第7回植樹祭にて、気仙リバースの子どもたちが植樹する様子

 

―― 気仙リバースとの交流が始まったきっかけは。

 

当センター所長の及川は陸前高田市で高校教師を勤めていたのですが、その当時の教え子が気仙リバースの代表をされていまして、そのご縁でお招きしました。

 

―― 学校にプールがないため、子どもたちを海洋センターのプールに招待されたそうですね。

 

気仙リバースの子どもたちはプールがない仮設の小学校に通っていたため、遠くの高台にある小学校まで行き、プールの授業をおこなっていたそうです。その話を聞いた及川所長が、プールへ招待しました。また、ソフトテニスの練習場所も失っていたため、その後も継続して地元のスポーツ少年団との交流試合や練習場所の提供などを続けました。
後に小学校にプールができ、地元にもテニスコートが作られたので、2017年の交流会が最後となっています。

 

2015年の沿岸支援交流会。プールで遊ぶ子どもたち

2017年に開かれた最後の交流会の様子

 

―― 改めて、震災10年を迎える2021年の目標を教えてください。

 

奥州市では今のところ新型コロナウイルスによるクラスターの発生を防げているので、県外から講師などをお呼びすることに対して特に敏感になっています。そのため、越県して人を呼ぶような大々的なイベントを開くことが難しく、やれることをやるのが今年の目標です。利用者の方々が訪れやすい環境を整えていきたいと思います。

 

 

取材協力:奥州市前沢B&G海洋センター 高橋浩也

 

 

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震災から10年、B&G財団はこれからも被災地に寄り添い、東北の各地とふるさとの海に笑顔が戻るよう、支援を続けてまいります。