スペシャル 夢をつなげ!B&Gアスリート

No.020:内田 弦大選手(日本学生トライアスロン選手権2016、2017大会で優勝2連覇)高島市高島B&G海洋センター出身!
お笑い芸人「みやぞん」激似?!トライアスロン学生チャンピオン

2018.05.22 UP

内田弦大選手 高島市高島B&G海洋センター出身!日本学生トライアスロン選手権2016、2017大会で優勝2連覇

プロフィール

内田 弦大(うちだ げんた)

滋賀県高島市出身のトライアスロン選手。
1997年3月生まれの関西大学4年生。AS京都(トライアスロンチーム)に所属。

幼少期から東洋大学の中村海渡選手と共に、滋賀県高島市高島B&G海洋センターで水泳を習い、中学では競泳の自由形で全国中学校水泳競技大会(全中)に出場。高校からは陸上競技の中長距離走に転向し全国高等学校総合体育大会(インターハイ)に出場した。

大学からトライアスロンを始め、現在は日本学生トライアスロン選手権で2年連続優勝を飾り、学生チャンピオンとして君臨。

2020年東京オリンピック出場を目標に、日々トレーニングに励んでいる。

トライアスロンとは…

年齢や体力、性別を問わず、自分のペースでトレーニングできることからジュニア世代からシニア世代まで幅広く、競技スポーツとしてだけでなく、生涯スポーツとしても愛好者は年々増加している。

ITU(国際トライアスロン連合)ではトライアスロンの距離を、以下のように規定している。

ディスタンス(総合距離) スイム バイク ラン
スーパースプリント(12.875) 0.375 10 2.5
スプリント(25.75) 0.75 20 5
オリンピック(51.5) 1.5 40 10
ロング(67~226.2) 2~4 50~180 10~42.2

単位:キロメートル
引用:公益社団法人日本トライアスロン連合(JTU)

前編:地獄の水泳教室で培った体力

- 水泳を始めた経緯を教えてください -

 私は、体が弱くて喘息を持っていたので、親に体を丈夫にするため水泳を勧められました。お兄ちゃんも水泳をやっていたこともあり、私も高島B&G海洋センターで始めました。小学校6年間は通っていた「選手コース」がかなりきつかったので、あまりB&Gに行きたくありませんでした。(笑)

 でも、中学生になってから考え方が少し変わり、もっと上を目指したいという上昇志向になりました。
 当時の目標は、全国大会に個人で出場すること。ジュニアオリンピックにはリレーで何回か出場できたのですが、なかなか個人では出場まで漕ぎつけなかったんです。だから、中学校最後の夏に200メートル個人自由形で全中に出場できた時は本当にうれしかったです。

水泳を始めた頃の子供時代の内田選手。

水泳を始めた頃(写真中央)

- 海洋センターでの思い出は何ですか -

 海洋センターでは、どちらかというと辛い思い出が多いです。(笑)
 筋力トレーニングやストレッチも高島市高島B&G海洋センターのトレーニングルームで行っていたのですが、そのあとプールサイドに向かうまでの数分がすごく憂鬱で、「今日の練習メニューは何だろう…」と、みんなで話し合って怯えていたことを思い出します。

 それでも他の選手も頑張っていたので、やっぱり大変な練習をこなしてきた分、チームとしても強くなりました。特にリレーがすごく強く、一致団結して良い結果を出せたときは達成感も大きくて皆で喜び合いました。

高島市高島B&G海洋センターのチームメンバー。左が内田選手、中央左が中村海渡選手

高島市高島B&G海洋センターのチームメンバー(左が内田選手、中央左が中村海渡選手)

 正直、練習の中で楽しいことはありませんでしたが、それ以外のところで皆と仲良くできていたことは良い思い出です。今は通う大学も、住んでいるところもバラバラですが、年末などで当時のメンバーが地元の高島市に帰ってきたときには、今でも一緒に遊んだりしています。水泳競技を離れても、つながっている仲間になりました。

- 当時B&G海洋センターで学んだことが今も活きていることはありますか -

 辛い練習に耐えられるようになりました。それが今、トライアスロンの練習にすごく活きているな、と感じています。

 トライアスロン競技は、練習が長くて辛いことが多いのですが、B&G海洋センターで習っていた辛い水泳の練習が今に活きていると実感しています。そこで培った根気があったから、今こうやってトライアスロンを続けていけているんだな、と思っています。

- なぜ中学生で競泳をやめたのですか -

 ずっと目標にしていた全中出場が達成できたことが、理由の一つです。それと同時に、その大会では予選敗退となって、全国と自分のレベル差を肌で感じました。

 今後、自分がどれだけ練習しても通用する世界ではないんじゃないか、先があっても知れている、と思ってしまい、水泳をやめようと思いました。ずっと目標にしていた全中の出場が達成できたこともあり、そこを区切りに水泳をやめることにしました。

- 中学卒業後は陸上競技に転向されているようですが、高校で陸上部に入部した経緯を教えてください -

高島高校の陸上部でも活躍!見事1位の表彰台に立つ

高島高校の陸上部でも活躍!

 中学生の頃、市の駅伝大会に出場したことがありました

 私が通っていた中学校に陸上部は無いのですが、市が開催する駅伝大会に出場してみたら結構走れたんです。そのあと、県の陸上大会に出場したり、駅伝で区間賞を受賞したりしました。多分、厳しい水泳の練習で心肺機能が鍛えられたんですね。(笑)

 そして、「陸上競技で入学しないか」という推薦をいただき、高島高校に入学することにしました。他の高校からは水泳で推薦をいただいたりもしたのですが、もう水泳はやらないと決めていたので。当時は、何の目標もなく、ただ、水泳から離れて新しいことを始めようと思っていた矢先の推薦だったので、ちょうど良いと思いました。

 中学生のときは、ほとんど勉強もせず、テスト週間に皆が部活を休んで勉強している中、僕は水泳に打ち込んでいました。なので、正直なところ、「推薦もらえてラッキー!」みたいな感じで、高島高校に入りました。現代文と数学が壊滅的に苦手だったんです。

- 高校生で陸上をやめた理由は何ですか -

 陸上を辞めた理由は、完全に燃え尽きです。
 高校2年生のとき、800メートル中距離走で県大会に出場して優勝することができました。その後、近畿大会に出場したのですが、インターハイに行けるのは6位以内。そこを目前にして敗退してしまい、インターハイには行けませんでした。

 それが凄く悔しくて、私の中で陸上競技への情熱に火が付きました。それまで目標もなく、ただ過ごしてきた陸上生活の中で、「絶対にインターハイに行ってやる!」という明確な目標ができました。そこからは猛練習に励み、途中で膝を傷めて半年間走れなかった時期もありましたが、最後の3年生の春の大会で結果を残すことができ、インターハイに出場できたんです。

 インターハイでは予選で敗退してしまい、そのあとも陸上競技を続けるか悩みました。これまで水泳や陸上競技中心の生活を続けてきたので、大学に入ってからは勉強と遊びに夢中になりたいという願望がありました。それで陸上競技をやめる決意をし、勉学に励んで関西大学に入学しました。

関西大学の入学式

関西大学の入学式

※後編に続きます

(文:鈴木 慶

後編:遊びに明け暮れる中で気付いたこと

高島市高島B&G海洋センターの写真

H15年12月にリニューアルオープンしました。