スペシャル 夢をつなげ!B&Gアスリート

No.007:岡田 奎樹 選手(セーリング競技 2016年470級ジュニア世界選手権 優勝) 練習も勉強も真剣に取り組んで、人間的な成長を目指そう!
2017.04.03 UP

プロフィール 岡田 奎樹(おかだ けいじゅ)
1995年生まれ、福岡県出身。
5歳からセーリング競技を始め、小学校3年生の時に出場した全日本OP級選手権大会にて小学校の部 優勝。以来、OP級世界選手権、国体、インターハイの各大会で優勝を飾るなど、セーリング界の若手選手をけん引する存在として注目を集める。
2014年度から早稲田大学スポーツ科学部へ進学し、体育会ヨット部に所属。2016年7月にドイツで開催された「470級ジュニア世界選手権」において、日本大学の木村直矢選手とのペアで、日本人初の同クラス優勝を飾った。ポジションはスキッパー(二人乗りセーリング種目・舵取り役)。
2017年1月、JOC(日本オリンピック委員会)による「2017-2018年ネクストシンボルアスリート」に選出され、2020年オリンピック東京大会に向けての活躍が期待される。

前編:ポジティブ思考で勝利を狙う!九州に生まれた「ヨットの申し子」

岡田奎樹選手は現在、所属する早稲田大学ヨット部の活動をメインに、横浜市にある「八景島マリーナ」を拠点にした競技生活を続けています。

小学生時代に全日本OP級選手権(OP級とは:全長2.31m、幅1.13mの、国際セーリング連盟が承認する最小クラス。年齢制限15歳まで)で優勝して以来、中学・高校時代も含めて、セーリング競技の世界で常に優秀な成績を残してきた岡田選手。高校を卒業するにあたっては、大学に進学するか、またはオリンピックを目指して競技の道へ進むかの選択に悩んだそうです。

スキッパー(舵とメインセール操作)を担う岡田選手(左から2人目)

そんな時、ご両親から「ヨット一本やりではなく、社会に適応する能力も育んで、しっかりした大人になってほしい」と諭され、考え抜いた結果として、大学に進み、ヨット以外のこともしっかり学ぼうと決めたそうです。

この4月に大学4年生となった岡田選手に、これまでの競技生活の軌跡と、2020年オリンピック東京大会に向けたご自身の展望を聞きました。

楽しさ・継続・工夫、「ヨットの虫」を支える3つの無意識

競技人口が多いとは言えないセーリング競技ですが、岡田選手が始めたきっかけは、やはりと言うべきか、お父さんからの影響だったそうです。

セーリング愛好者のお父さんが、"久しぶりに海に出よう"と友人に誘われ、たまたま付いていったのが幼稚園の年長(当時5歳)だった岡田選手。決して強制されたのではなく、「どう、やってみる?」という軽い誘いでしたが、運動好きの岡田選手はあっという間にヨットにのめり込んでいったそうです。

その時の記憶を岡田選手はこう語ります。

「子供の頃の自分にとって、ヨットという大きな道具を扱って、海という広くスケールの大きな場所に出ていくことがとても魅力的で、カッコ良く思えたんです」

「サッカーなど他のスポーツも面白そうだと思うこともありましたが、とにかくヨットが好きで続けました」

「季節を問わず、お盆や正月休みも親をせかして練習に行きました。年間で軽く100日以上はヨットに乗っていたと思います」

低年齢の子供が、ただ好きという感情だけで一年の半分近くをスポーツに費やすのは、言うほど容易ではないでしょう。
当時の岡田選手を突き動かしたものは、一体何だったのでしょうか?

「私が当時通っていたB&G別府海洋クラブには、OP級の現役の日本代表選手が何人もいました。その先輩たちを"すごい""自分も目指したい"と思う気持ち、さらに言えば"勝負欲"です。"先輩たちに勝ちたい"という気持ちが、いつの間にか自分の中に育っていました」

同クラブでは、毎回、クラブ員同士で競うレースを行い、成績上位者には次回の練習で「性能の良い艇」を使わせるという慣習があったそうです。

「本当にたまたまでしたが、良い艇に乗れた時に、これだ!と感動しました。それがポジティブに勝ちを狙っていくという、僕のポジティブ思考の原点なような気がします」

別府と福岡の海で腕を磨いた少年時代

"勝ちたい"とは誰しもが思うこと。しかしそれだけにとどまらず、小学生当時から岡田選手は"勝つため"のある工夫を習慣として行っていたそうです。

「人のセーリング技術を見て研究し、良い点は吸収して真似をしていました。やみくもに練習していてもダメだという感覚をその頃から持っていて、父親の撮影してくれた映像や、自分のヨットに取り付けたビデオを見て、成功・失敗をチェックするなど、研究することが好きでした」

勝利の喜びが原動力に

好きこそものの上手なれ、持ち前の研究熱心と、ポジティブな気持ちで練習を積み重ねていった結果、岡田選手は早くも小学3年生の時に、OP級の九州大会で優勝を飾ります(小学生の部)。

これが、記念すべき競技大会の初優勝となりました。

「とにかく嬉しかったですね。それしか覚えていませんが、その時の喜びの感情は、今でもはっきりと記憶に残っています。僕が持つ勝利へのこだわりは、そこが原点なのかも知れません」

学年が上がるとともに順調に上達を重ねてきた岡田選手は、小学校5年生で念願だったOP級の日本代表に選出されました。

そこからは、海外勢を相手にした国際レースへと戦いの場は移っていきます。

「父の転勤で引っ越した先で所属した、B&G福岡ジュニアヨットクラブでも、実力がぐんぐん伸びていくのを実感しました。自分より少し上の実力の先輩や、同レベルのライバルがいて、とにかく毎日の練習が楽しかったことが良い方に作用したと思います。でも、勝ち負けや上達のことよりも、ただただ、練習していること自体を楽しんでいました」

小学校高学年から中学時代のことを、岡田選手はそう振り返ります。

そして、中学3年生で出場したOP級世界選手権では、ついに「3位」の表彰台をつかみました。

中学3年の時、OP級世界選手権で3位を獲得(写真右)

唐津西高校で出会った「世界最高峰」の厳しさ

高校からは佐賀県の唐津西高校へ進学されたそうですが、それまで良い成績を出していたのに、佐賀へと移った理由は何だったのでしょうか?

「今から思うと気恥ずかしいのですが、当時の僕には"世界でも上に行ける"と思いあがった部分がありました。OP級の世界選手権では3位になりましたが、実は優勝するつもりでいました(笑)」

「優勝に届かなかった時に初めて、世界で戦っていくためにはどうしたら良いのだろうか? 親のコーチングではこれ以上は上にいけない"ならどうする?"と考え、世界一になるためのコーチを探したときに、唐津西高校の重由美子コーチに教えを請おうと思ったのです」

重由美子さんと言えば、オリンピック アトランタ大会(1996年)に女子470級で出場(重/木下組)し、日本人初となる銀メダルを獲得した日本セーリング界の押しも押されもせぬビッグネームです。

OP級で成績を残していたとはいえ、重コーチにとっては、高校一年生の岡田選手はまだ駆け出しでしかありません。高校に入学した岡田選手は、その厳しい指導に面食らったそうです。

「OP級の頃とは比較にならない厳しい指導でした。重コーチは多くを語らなかったし、手取り足取りといった細かい指導もなかったです。でも、部員一人ひとりに対して練習メニューを考えてくれていました」

「今になって色々と分かってきた部分もありますが、当時は叱られる意味を理解できず、"やらされてる感"ばかりが際立っていました。今でこそ"当然やらなければならない"と思うことでも、当時はとにかく未熟でしたから、教えてくれるのを待っていても、何も得られないということにさえ気づいていませんでした」

唐津西高校時代にダブルハンド(二人乗り)種目へ変更(写真右)

当時をそう振り返る岡田選手ですが、日々の練習自体は楽しかったそうです。

さらに、唐津西高校での日々は、岡田選手のセーリングの見方に大きな影響を与えました。

「高校では、重コーチに色々な種類のヨットに乗せてもらいました。420級やFJ級、29er級やモス級など、とにかく色々です」(※すべてセーリング競技の艇種)

「コーチがどんな意図でそうされたのか、正直まだ良く理解できている訳ではありません。ただ、ヨットという乗り物に共通する要素と、それぞれ個別の種類のヨットが持つ特性があるということを理解できたと思っています。その経験が、ヨットの性能・特性を理解し、活かしながらレースをする、速くヨットを走らせるという「理解と実践」に繋がったと、今では考えています」

また、中学時代に志望していたシングルハンド(一人乗り)から、身長・体重の関係でダブルハンド(二人乗り)へと種目を変更していったのもこの頃だったそうです。

さらなる飛躍を求めて早稲田大学ヨット部へ

重コーチのもとで厳しい練習に明け暮れ、国体やインターハイでの上位進出も果たした岡田選手ですが、大学進学にあたって、九州を離れる決意をします。

「高校の3年間でセーリングの基礎をしっかりと学び、次の段階へ進みたいと思いました」

「これから世界を目指すにあたって、同じ男子の種目で、現在の国際レースの現状を見てきた人に教わり、自分の能力をより厳しく高めていきたいと思ったのです。その時に聞いたのが、オリンピックロンドン大会のコーチだった小松監督と、選手で出場した原田さんが"早稲田大学のヨット部を指導する"という話でした」

「世界を目指して外に出たいという気持ちももちろんありましたが、それ以上に大学在学中の4年間は、両親との約束もあり、人間的な成長も果たしたいと考えました。大学ヨット界でも名門で、監督・コーチにも恵まれ、部にも勢いがある、そんな環境に魅力を感じ、上級生になったら引っ張っていくという気持ちで、早稲田大学への進学を決めました」

2017年の今、4年生になるにあたってその選択の結果を問うと、岡田選手は胸を張って答えてくれました。

「今は主将を任せてもらっています。これまでの3年間で技量はもちろん上がりましたが、人間的に成長できたという自負があります。帰郷した際に重コーチにもその点を指摘していただき、3年前の選択が間違っていなかったと、強く実感しています」

佐賀県代表として国体優勝するなど、活動の場は幅広い(写真右)

一方で、競技スポーツで勝つためには、個人の能力をより高めることが当然ながら重要です。
キャプテンという大役を務めながら、岡田選手はどうやって自分自身のレベルアップを図っていくのでしょうか。その点を質問しました。

「主将としてチームを率い、全体をレベルアップさせるためには、スキル・知識を伸ばす方法を提供する必要があると思います。それをチームのそれぞれへ提供した上で、効果の確認や評価を行うことが、僕自身の"土台づくり"に必ず役立つと考えています」

「正直、ライバルの海外遠征を見てうらやましい気持ちもありますが、大学生の間はきっちりと、与えられた責務を果たしながら、自分自身も成長したいと考えています」

ぶれることなく未来を見据える、岡田選手の挑戦はまだ始まったばかりです。

(文・持田 雅誠

岡田選手ゆかりの海洋クラブ

セーリングに適した「別府湾・北浜ヨットハーバー」を活動拠点に、熱心な指導者と保護者の協力体制のもとで、活発に活動が行われています。
7月には、インクルーシブなスポーツ参加の場として、「障害者と健常者のヨット大会」が開催されます。

九州最大の都市 福岡の中心部にある市立ヨットハーバーを拠点に、九州セーリング界の一大拠点として賑わっています。
国際交流を目的に、韓国釜山や中国上海との交流大会を開催するなど幅広い活動が魅力です。


日本のトップセーラーとして活躍した松山和興氏が、心血を注いで作り上げた佐賀県ヨットハーバーを拠点に、「玄海セーリングクラブ」と一体となって活動。
オリンピック セーリング競技で日本で初めてメダルを手にした重由美子氏を擁し、ヨットを通じた青少年の育成活動を推進しています。