スペシャル 夢をつなげ!B&Gアスリート
No.005:高野 芹奈選手(リオデジャネイロオリンピック セーリング競技49erFX級出場) 国内セーリング競技史上最年少、最短のキャリアで五輪に出場!
2017.03.06 UP
2017.03.06 UP
第1話:友達の誘いが人生の転機
小学生から水泳を習い、中学3年生まで水泳部に所属していた高野芹奈選手。水泳に一区切りつけようと、違う競技にも目を向け始めた14歳の秋、クラスメイトで同じ水泳部だった田中美紗樹さんに誘われ、初めてヨットを体験しました。
この時、「ヨットやってみたら?」と誘った田中さんは、ヨットが好きなお父さんの影響で小さい頃からB&G兵庫ジュニア海洋クラブに所属。既に多くの大会に出場していました。
初めてヨットを体験した時を振り返り、「エンジンも無く風だけで海上を走ることに衝撃を受けました。その魅力に惹かれて、その日すぐに、この競技を極めたい!と思いました。ちょっとクレイジーですよね(笑)」と笑顔で語る高野選手。とてもお茶目な性格ながら、強い意志が持ち味です。
その後、高野選手は、田中さんの所属するB&G兵庫ジュニア海洋クラブに入ってヨットの操船を習得。中学校卒業後も田中さんと同じ高校に進学しヨット部に入部しました。 部活で練習したのは高校の競技種目である全長4,03mの「FJ級」と4,2mの「420級」。共に2人乗りのヨットです。
乗員の1人は「スキッパー」、もう一方は「クルー」と呼ばれ、それぞれ異なる役割を果たします。スキッパーは、艇のかじ取りとメインセール(中心の帆)の操作。クルーは、ジブセール(前方の帆)を操りながら、艇の縁に足をかけて大きく体を海へ乗り出すなど、全身を使って艇のバランスを取りながら、周囲の状況や進路の判断等も担います。
ヨットを初めて間もない頃の高野選手(左)と田中選手(右)
破竹の勢いで積み重ねた実績
高野選手が高校に入り2ヵ月が過ぎた時、ヨットを始めて8ヵ月にして、スキッパーの田中さんとペアを組んでFJ級の近畿大会に出場しました。
「既に多くの大会で活躍していた田中さんの力に引っ張られ、指示通りに動くことができたことが勝因です」と語る高野選手。高校1年生ながらも見事優勝を飾り、全国の舞台であるインターハイへの切符を手にすることができました。
「高校1年生の頃は、田中さんのお父さんに基礎知識を教えていただきながら、ひたすら個人練習に励みました」
初めてヨットに乗った時の「この競技を極めたい!」という強い意志から、日々努力を積み重ねた高野選手。そんな彼女にセーリングの才能を見出した田中さんのお父さんが「世界に通用するセーラーになるためには、しっかりとした指導者と環境の元で練習すべきだ」と考えました。
そこで、和歌山県ならば世界で戦った選手がコーチになってくれる、ナショナルトレーニングセンターがあり環境も整っているということから、練習拠点を兵庫県から和歌山県に移しました。
田中さんのお父さんが考えたとおり、その後、高野選手は高校2年生で日本ジュニアオリンピックカップに420級で優勝。日本ユースランキング1位となりました。また、シニアも出場する420級世界選手権にも出場してジュニアチャンピオンとなり、高校生として史上最高位である総合3位に輝きました。
恋愛映画のようなペアとの出逢い
F1カーレースが好きなお父さんの影響からか、スピードの出る乗り物が好きだった高野選手。芹奈という名も、F1レーサーのアイルトン・セナに由来しています。
「リオオリンピックから競技種目に加わった、最高速度50km/hにも達する49erFX級に興味を持ち始めました。同じ和歌山のハーバーで活動していた宮川選手も49erFX級でオリンピック出場を目標にしていたことから、『この人とペアを組みたい…』とお互いに想うようになりました」
どちらから誘うわけでもなくペアになったと高野選手は語ります。
まるで、「実は好きでした」「私も…」という恋愛映画のようですね。
2016年9月。2人は本格的にオリンピックを目指すために49erFX級の練習をスタート。6ヵ月後の2016年3月には、中東のアブダビで開催されたアジア選手権に出場することができましたが、ここで2人は大変な不運に見舞われてしまいます。
※第2話(3月13日掲載予定)
クルーを担う高野選手(右)とスキッパーの宮川選手
(文・鈴木 慶)
高野選手ゆかりの
B&G兵庫ジュニア海洋クラブ(兵庫県芦屋市)
土日祝を中心に、兵庫県立海洋体育館(兵庫県芦屋市)で年中ヨットの練習を行っています。卒業生は、インターハイや国体、オリンピックナショナルチームで活躍しており、高野選手も、同クラブで約1年半練習に励みました。