スペシャル 夢をつなげ!B&Gアスリート

No.002:小堀 勇氣選手(リオデジャネイロオリンピック競泳男子4×200mフリーリレー銅メダリスト) 母の言葉を励みに、メダルを取ることができました!
2016.12.22 UP

取材当日には、リオオリンピックで獲得した銅メダルを持参していただきました

プロフィール 小堀 勇氣(こぼり ゆうき)
1993年11月生まれ。石川県能美市出身。4歳で水泳を始め、小学4年生のときにジュニアオリンピック50mバタフライ2位入賞。小学6年生のときには同大会自由形50m、100m、200mの3種目で優勝。中学時代に世界ジュニア選手権800mフリーリレー3位入賞。高校時代には17歳で日本代表チーム選出。大学生時代にロンドンオリンピック800mフリーリレー日本代表となり、続くリオオリンピックでは同種目で3位入賞を達成。現在、ミズノ株式会社CS事業部スポーツプロモーション部 水泳競技課 所属。

第3話:子供の頃の夢が、自分を支える力になる

練習が楽しくて仕方がない!

リオデジャネイロオリンピック日本代表を決める選考会の決勝レースで、「最後は気持ちで行くしかない」と己を鼓舞して臨んだ小堀選手。その甲斐あって見事に800mフリーリレーのメンバーに選出され、その後は、オリンピック本番までの約4か月間、リレーをともに戦う仲間とともに充実した練習をこなしていきました。

「このメンバーと一緒になら自分以上の力が出せるんじゃないかと感じて、4カ月の間に徹底的に自分を追い込む練習ができました。リレーの引き継ぎ練習でも、通常ならタイミングを合わせる練習しかしませんが、このときは4人で話し合いながら、どんな姿勢、角度で飛び込むべきか、飛び込んだ際に手をどう動かしたらよいのかといったことまで追求しました」

リレーの仲間とともに、オリンピックに向かって最後のハードな練習を続けた小堀選手。その一方で、時折、ご両親と電話で話す際は、「(練習)が楽しい、楽しい」と語っていたそうです。

「実際には苦しい練習だったので自分としては楽しいという実感はなかったのですが、両親と電話で話すときだけは、夢に向かって最後の練習に励む自分がうれしくて仕方がなかったのだと思います(笑)」

リオオリンピックに向けてハードな練習を重ねた小堀選手。苦しくても夢に向かって進むうれしさがありました(写真:ミズノ株式会社)


勝手に体が動いた決勝レース

充実した練習を経てリオデジャネイロに乗り込んだ小堀選手。「やり残したことはない」という境地でいたため、決勝レースで江原選手の後を引き継いたときは、とても冷静に泳ぐことができました。

「決勝の舞台に立ったときに緊張はなく、あえて言えば夢のなかにいる状態でした。江原選手の後に続いて飛び込んでからも、普段なら周囲の選手が追いついてくると焦ったりもするのですが、このときだけは不思議にも周囲が気にならず、まったく焦りませんでした。また、いつもならラストのターンをしてからドルフィンキックはまったく打たないのですが、このとは勝手に体が動いて何度もキックしていました。ですから、いまになってこのときの泳ぎを振り返ると、いわゆるゾーン(自分のやるべきことに集中して雑念が入らない状態)に入りかけていたのではないかと思います」

メダルを取りたい一心で練習を続け、「やり残したことはない」と思ってオリンピックに臨んだ小堀選手でしたから、こうした努力の積み重ねが知らずのうちに精神的な支えになっていたのかも知れません。「最後の最後で自分に力を与えてくれたのは、これまで徹底的に練習してきた自分だったと思います」と、小堀選手は語ります。

今年の日本選手権水泳競技大会で電光掲示板に目を向ける小堀選手。オリンピック本番ではゾーンに入るほど集中力が高まりました(写真:ミズノ株式会社)


頑張る子供たちを応援しよう!

銅メダルが確定した瞬間、涙は出なかったものの、実に幸せな気持ちがこみ上げたという小堀選手。表彰式でも、ご両親から「あんな笑顔見たことがない」と言われるほど満面の笑みを浮かべました。

「メダルを狙って死に物狂いで練習に励んできても、わずかの差で取り逃がしてしまう選手もいるわけですから、そのなかで結果を出すことができた私は幸せ者です。努力してきたことが報われたのですから、例えようもない喜びでした」

表彰式のあった夜、選手村の宿舎に戻ってから、うれしくて夜中までメダルを眺めていたという小堀選手。同部屋の江原選手から、「キモイから早く寝てくれ!」と言われてしまったそうです。

「思えば、私は小学4年生のときに『僕って、オリンピックでメダル取れるの?』と母に尋ねたことがありました。その際、母は、『そうねえ、金メダルはいろいろな条件が重ならないと取れないけど、普通に頑張っていたら銀や銅は取れるんじゃないの』と言ってくれました」

日本選手権水泳競技大会で日本代表の座を手にした小堀選手。3人の仲間とともにリオデジャネイロで獲得したフリーリレーの銅メダルは、実に52年ぶりの快挙でした(写真:ミズノ株式会社)


そんなお母さんの言葉を受け、気負いなく練習に励むことができたという小堀選手。このとき、「オリンピックでメダルを取るなんて無理じゃないの」などと言われていたら、「そうか、僕じゃ無理なんだ」と思ってしまったはずだと語ります。

「私がそうだったから言えるのですが、子供が描く夢に対して大人が「それは難しい」などと否定的なことを言ったらおしまいです。『やればできるんだ』と言って励ますことが大切で、その強い思いが子供の頃から根づいていれば、大人に成長していくなかで辛いことがあっても乗り越えていけるはずだと思います」

それゆえ小堀選手は、「大人の皆さんには、いろいろなかたちで頑張る子供たちを応援していただきたい」、そして頑張る子供たちには、「自分が思い描いた夢は、けして諦めないでほしい」と語ります。ご自身もまた、2020年の東京オリンピックに向けて新たな夢を追い求めていくそうなので、ぜひ今後の活躍に期待を寄せたいと思います。
※完了

現在、ミズノ株式会社に所属して水泳の普及活動などに励んでいる小堀選手。「2020年の東京オリンピックは、選手として年齢的に一番良い時期を迎えるので頑張りたい!」と語っていました


次回《夢をつなげ! B&Gアスリート》No.003:渡辺一平選手

志賀町は能登半島の西側に位置し、海洋センターの周辺は増穂浦海岸や厳門・ヤセの断崖等の観光地があことから、夏場は大勢の観光客で賑わいます。
小堀選手は幼少の頃、石川県の強化合宿や帰郷の折に、富来海洋センターで練習をしていました。
平成27年3月にリニューアルオープンし、町の健康づくりの拠点として活用されています。