スペシャル 夢をつなげ!B&Gアスリート

No.002:小堀 勇氣選手(リオデジャネイロオリンピック競泳男子4×200mフリーリレー銅メダリスト) 母の言葉を励みに、メダルを取ることができました!
2016.12.15 UP

取材当日には、リオオリンピックで獲得した銅メダルを持参していただきました

プロフィール 小堀 勇氣(こぼり ゆうき)
1993年11月生まれ。石川県能美市出身。4歳で水泳を始め、小学4年生のときにジュニアオリンピック50mバタフライ2位入賞。小学6年生のときには同大会自由形50m、100m、200mの3種目で優勝。中学時代に世界ジュニア選手権800mフリーリレー3位入賞。高校時代には17歳で日本代表チーム選出。大学生時代にロンドンオリンピック800mフリーリレー日本代表となり、続くリオオリンピックでは同種目で3位入賞を達成。現在、ミズノ株式会社CS事業部スポーツプロモーション部 水泳競技課 所属。

第2話:ロンドン、そしてリオへの道

水泳だけが人生じゃない!

スポーツ選手であれば誰もが憧れる、オリンピックの舞台に立った小堀選手。ところが、世界の頂点をめざすレースは厳しく、予選敗退という残念な結果を受け入れなくてはなりませんでした。

「ロンドンでは、幼い頃から知っている萩野選手が400m個人メドレーで銅メダルを獲得したほか、多くの日本代表がメダルを獲得したので、取り残されたような寂しさを感じました」

「オリンピックに出たとしてもメダルを取らなかったら意味がない」、「結果を出すことができないのなら、参加しないほうがいい」。そんな思いに駆られた小堀選手。帰国してからも、メダリストが出るテレビは見ることを避け、祝勝パレードにも出掛けませんでした。

大学時代の小堀選手。身長を生かしたスケールの大きな泳ぎが注目を集めました


「帰国直後はすっかり落ち込んでしまい、次のオリンピックに向けて頑張ろうと思っても、4年も待たねばならないと考えてしまって、まったくヤル気が出ませんでした」という小堀選手。そんな内向きの気持ちを再び持ち上げてくれたのが、平井伯昌コーチでした。

「日本に帰ってからモチベーションが上がらないまま練習を重ねていた私でしたが、ロンドンオリンピックの2年後、2014年4月から平井先生に師事したことが大きなターニングポイントになりました。それまで私は水泳だけに励んで、水泳のことだけを考えてきましたが、平井先生に師事するようになってからは、『水泳をする年月も大事にしてほしいが、人生はもっと長い。水泳を通して、いかに人間として成長していくか、そこに競技を行う意味がある』といったことを理解できるようになっていったのです」

その教えは直接言葉で伝えられたものはほとんどでなく、平井コーチの指導を受けながら以心伝心で理解していったそうです。「水泳だけをしていたらだめなんだ」と思うようになった小堀選手は、思い切って日常的な行動を変えていきました。

ジュニア時代からバラフライでも優れた成績を収めてきた小堀選手でしたが、平井コーチに師事するようになってからは自由形に専念しました


偶然に集まった4人の仲間

「それまでは、オフの日には体を休めることに専念して部屋にこもっていることが多かったのですが、積極的に外に出るようにしていきました。いろいろな体験が自分の水泳に生きていくのではないかと考えたからです」

ピアノの演奏会に行ってみたり、四季の自然を楽しむ場所に行ってみたりと、水泳とは異なる世界に足を踏み入れていった小堀選手。水泳仲間以外の、学校の友人などとも積極的に交流を重ねていきました

「こうした行動の変化が影響したのかどうかは分かりませんが、平井先生に師事してから臨んだ2014年アジア大会800mフリーリレーで金メダルを取ることができ、2016年になってからは、さらに目に見えて良い結果が出せるようになっていきました」

オリンピックイヤーの2016年が明けると、800mフリーリレーのメンバーに誰がなるのか周囲で話題になるようになり、そのなかで2月に行われたコナミオープンという大会で同年齢のライバル、江原騎士選手が好タイムをマーク。その活躍を会場で見ていた小堀選手のお母さんが、「同い年の江原君がすばらしいタイムを出したのだから、あなたも頑張らないと。江原君と一緒にオリンピックに行くことができたら、メダルを取ることができるかもしれないね」と背中を押してくれました。

「各選手が200mを1分46秒台で泳げばメダル圏内でしたが、この大会の200自由形では1位の荻野選手が1分46秒14、2位の江原選手も1分46秒66を出していたのです(ともに大会新)。私の自己ベストは1分47秒00でしたが、『なんとかしてリレーの仲間に入りたい』、そして母の言ったとおり『みんなで力を合わせてメダルを取りたい』と思って意欲が高まっていきました」

その2カ月後に実施されたオリンピック選考会レース。準決勝の後に小堀選手を萩野選手がシャワーに誘い、2人でシャワー室に行くと、そこには偶然にも松田選手が先にシャワーを浴びていました。

「お前、明日の決勝は頑張れよ」と松田選手が声を掛けてくれたので小堀選手がうなずいていると、今度は江原選手がやって来たので、「リオでは、このメンバーで組みたいね」と皆が口を揃えてくれました。

「ほぼ確実に3人はメンバーになるはずだから、あとは自分が明日の決勝で結果を出すのみだ。もう、最後の最後は気持ちで行くしかない」と己を鼓舞した小堀選手でした。
※第3話に続きます(12月22日(木)掲載予定)

リオオリンピックの日本代表が決まる今年の日本選手権水泳競技大会でスタート台に臨む小堀選手。最後は気持ちで行くしかないと、自分を鼓舞しました(写真:ミズノ株式会社)


志賀町は能登半島の西側に位置し、海洋センターの周辺は増穂浦海岸や厳門・ヤセの断崖等の観光地があことから、夏場は大勢の観光客で賑わいます。
小堀選手は幼少の頃、石川県の強化合宿や帰郷の折に、富来海洋センターで練習をしていました。
平成27年3月にリニューアルオープンし、町の健康づくりの拠点として活用されています。