スペシャル 夢をつなげ!B&Gアスリート

No.001:江原 騎士選手(リオデジャネイロオリンピック競泳男子4×200mフリーリレー銅メダリスト) 努力すれば、どんな壁でも乗り越えられる!
2016.11.24 UP

江原選手が合宿などでお世話になった、南アルプス市白根B&G海洋センターで取材させていただきました

プロフィール 江原 騎士(えはら ないと)
1993年7月生まれ、山梨県甲府市出身。幼い頃からスイミングクラブや地元の海洋センターで水泳に親しみ、高校2年生のときにインターハイ100m自由形で優勝。山梨学院大学進学後、2015年夏季ユニバーシアード4×200mフリーリレー3位。2016年、大卒後に自衛隊体育学校へ入隊し、同年夏に開催されたリオデジャネイロオリンピック競泳男子4×200mフリーリレーで3位入賞を果たした。

第2話:あくなき挑戦

練習に来るな!

高校2年生のとき、決勝進出を目標に臨んだインターハイ(全国高等学校総合体育大会)100m自由形で見事に優勝を果たした江原騎士選手。競泳のなかでも花形種目で勝ったため、一気に話題を集めましたが、帰郷した後には試練が待っていました。

「インターハイの後も江原は熱心に練習していましたが、高校3年生のある日、たったの1回だけでしたが、無断で練習を休んだことがあったのです。友だちと昼食を食べにいって、そのまま成り行きで夕方まで過ごしてしまったのでした」

そう振り返る清水コーチ。翌日、江原選手は謝りに来ましたが、清水コーチから出た言葉は、「今後、2週間は練習に来るな!」という厳しい通達でした。

「江原は人柄が良くて誰からも慕われるタイプなので、友だちに誘われて断れ切れなかったのでしょう。でも、一度が二度と続くようでは良くないし、ここで許してしまうと、『江原は特別な選手だから許されたんだ』と周囲が見てしまうので、思い切って決断しました」

清水コーチ自身も辛い思いで放った言葉でしたが、この謹慎のおかげで江原選手は大切なことを知りました。

「コーチに『来るな』と言われ、そこまで本気で僕のことを考えてくれていることに気がつきました。また、2週間練習を休んだことで、僕が毎日泳ぐことができるのもクラブの月謝を払ってくれる両親のおかげであることを痛感し、これまで支えてきてくれたことに感謝するとともに、練習に戻ったらしっかり努力していこうと心に決めました」

高校時代に競泳の才能が大きく開花した江原選手。
国体でも県の代表として活躍し、優勝も遂げました


地元からオリンピックをめざしたい!

その後は充実した活動を続けた江原選手。高校の卒業が近づくと、水泳で知られるほとんどすべての大学から推薦入学の話が舞い込みましたが、清水コーチと相談して最終的に決めたのは地元の山梨学院大学でした。

「最初は強豪大学に行って全国から集まるライバルと切磋琢磨したいと思い、高校時代から合宿に参加させていただいていた在京の大学もありました。しかし、『オリンピックを目指すのであれば地元の代表として頑張ってもらいたい』と清水コーチから励まされ、また、山梨学院大学には女子のオリンピアンを何人も育てている神田忠彦監督がいらして、『県内から男子のオリンピアンが出ていないから、ぜひ地元の水泳の発展のために来てほしい』と熱心に誘ってくださいました」

高校時代から日本代表チームに選ばれて海外遠征に挑んでいました。写真はシンガポールの大会に出場したときのスナップです(中央が江原選手)


神田監督が率いる山梨学院大学水泳部は、萩原智子選手や鈴木聡美選手など女子のオリンピック選手を何人も輩出していましたが、男子は未だ出ていませんでした。校内に練習プールは短水路しかありませんでしたが、「同じ距離を泳ぐにしても、短水路ならターンの練習が倍できる」という神田監督の教えを受けて江原選手の才能が開花していきました。

その結果、大学4年生のときに出場した2015年夏季ユニバーシアード4×200mフリーリレーで銅メダルを獲得。続いて開催された世界水泳では、怪我で故障した荻野公介選手に代わって4×200mフリーリレーに急きょ出場し、同種目のリオオリンピック国枠出場権の獲得に貢献することができました。
※第3話に続く

江原選手は、中1の頃に山梨県内5カ所にある海洋センターを運営し、強豪選手を育成するフィッツスポーツクラブに入りました。南アルプス市白根B&G海洋センターは水泳の検定、甲州市塩山B&G海洋センターと山梨市牧丘B&G海洋センターは、合宿で使用していたそうです。