スペシャル 夢をつなげ!B&Gアスリート

No.016:浦田 理恵選手(2012年ロンドンパラリンピック ゴールボール 金メダリスト)障害者と健常者交流のきっかけに!ゴールボールをB&G海洋センターで
2018.02.14 UP

プロフィール 浦田 理恵(うらた りえ)
1977年7月生まれ、熊本県南関(なんかん)町出身のゴールボール(※1)選手。
20歳を過ぎ急激に視力低下し、網膜色素変性(※2)症と判明。左目の視力はなく、右目も視野が95%欠損しており、強いコントラストのものしか判別できない。
現在は、2020年東京パラリンピックでの金メダル奪還を目指し、日々練習に励んでいる。
パラリンピック3大会出場(北京・ロンドン・リオデジャネイロ)、2012年ロンドン大会で金メダル獲得。
2016年リオデジャネイロパラリンピック主将。 2010年アジア選手権金メダル、日本選手権大会2005年から全5回優勝。

(映像:日本財団パラリンピックサポートセンター)

前編:金メダルをプレッシャーに感じないプレーができるように

20歳を過ぎ急激に視力が低下し、鍼灸師・マッサージ師の免許の学校に入所しているとき、2004年アテネパラリンピックがあり、目が見えなくても球技ができることに衝撃を受け、ゴールボールを始めた浦田選手。子供のころから運動経験がない浦田選手が、2012年ロンドンパラリンピックで金メダルを獲得するまでの軌跡と、その後、普段の生活などについて伺いました。

- B&G海洋センターを使っていたそうですが、当時の思い出を教えてください。 -

 子供のころ利用していました。私は子供のころは文化系で、あまり外で運動をせず、絵を描いたり、ピアノを弾いたりなどが多かったです。
 ただ友達とワイワイ遊ぶのはすごく好きだったので、南関町のB&G海洋センターのプールで友達と一緒に水遊びをしたり、体育館で子供会などのイベントがあったので、小学校から中学校ぐらいまではよく利用していました。
 B&G海洋センターは、南関町の子たちはみんな使っていたと思います。

- ゴールボールを始めたきっかけを教えてください。 -

 私はゴールボールに出会うまでスポーツに興味がなく、パラリンピック競技についても全く知らなかったです。
 ゴールボールを知ったのは、20歳を過ぎて網膜色素変性症を患い目が悪くなり、鍼灸師・マッサージ師の免許を取るため国立福岡視力障害センターに入所しているときです。

 

 その学校の卒業生や練習している人たちが2004年アテネパラリンピックに出場し、銅メダルを獲得した試合を、テレビの実況や友人の説明を頼りに観て、パラリンピックの競技だと初めて知りました。「目が見えないのに球技ができるなんてすごい」と衝撃を受けました。「見えなくてもあんなことができるんだ」、「私もあんなふうになりたい」、「世界の舞台に行ってみたい」という気持ちになり、始めました。

- ゴールボールを始めて、どのような練習をしていましたか。 -

 私はゴールボールを始めるまで運動経験もほとんどなく、最初は体の使い方がよく分からなかったんです。
 例えばコーチに「ボールを投げるときはソフトボールを投げるようにアンダースローだよ」と言われても、ソフトボールが下から投げることを、ゴールボールを始めてから知りました。それぐらい周りの様々な競技にも興味がなかったので、言われることと、やることをイメージすることがなかなかできませんでした。

 そのため、コーチに私の体や手を持ってもらい、一緒に動作をしてもらったり、ディフェンスをする姿勢を習うときは、先輩がディフェンス姿勢をとっているところを一カ所一カ所触らせてもらい、足の高さや骨盤の位置などを触って確認して、自分の頭の中で一回イメージします。そして実際にやってみて、それをコーチが見て修正をかけていく流れの繰り返しです。

 見て学ぶことができないので、細かい動きを理解して自分のものにしていくことに、大変時間がかかりました。

- 2004年からゴールボールを始めて、2012年ロンドンパラリンピックで金メダル。8年で世界一になったんですね。 -

 私が入部したゴールボールチームは、日本選手権大会で優勝するような強いチームで、その日本代表選手の中で私も一緒に練習していました。また、体育の先生がゴールボール日本代表のヘッドコーチということもあり、放課後は体育館で毎日ゴールボールの練習ができたので、強くなるための環境には恵まれていたと思います。

- 金メダルに輝いてから、身近な周りの反応や反響はどうでしたか。 -

ロンドンパラリンピックで金メダルを受賞したチームの皆さんと

ロンドンパラリンピックで金メダルを獲得(左から3人目)

 ロンドンパラリンピックで金メダルを獲るまでの、負けっぱなしの時期からずっと応援してくれていた人たちがたくさんいたので、良いご報告ができたことは恩返しの一つにもなりました。また、結果を出すことでたくさんの人にゴールボールを見てもらい、その楽しさを知ってもらえたと思います。

 ゴールボールはまだまだ認知度が決して高い競技ではありませんが、選手たちからしてみれば、周りからの応援はとてもモチベーションが上がりますし、試合を良い方向へ動かす流れにもつながります。だから結果を出すことは応援してもらえるきっかけとして、一番分かりやすいものでもあります。そういう意味ではロンドンパラリンピックの金メダルというのは、今後につながる大きいきっかけになったと感じました。

- シビアですが、スポーツは結果を出さなければいけないものですよね。2016年リオパラリンピックのとき、キャプテンに任命されて、「結果を出さなければいけない」というプレッシャーはありましたか。 -

 ロンドンで最高の結果で、周りから次も結果を求められることは分かっていました。自分ではプレッシャーを気にしないつもりでいましたが、意外なところで重圧がありました。特に感じたのは2014、15年です。もちろんキャプテンの責務もありましたが、なかなか勝てない時期があって、「なんとか勝たなければいけない」と思い、自分自身のプレーが硬くなっていました。

リオパラリンピックで仲間と喜ぶ浦田選手

リオパラリンピックで仲間と喜ぶ(左正面)

 2016年リオパラリンピックへの切符も、ここで負けたら終わりのところでアジア枠を取りました。「前回金メダルのチームが出場できないなんてあり得ない」という考えが自分の中にもありましたし、「絶対パラリンピックへの切符を取らなければいけない」というプレッシャーもありました。

 それを克服するため、様々なメンタルトレーニングも取り入れ、結果がすべてじゃないと思えるようになりました。結果以外で「なんのために自分は競技をやっているのだろう」と改めて考える機会ができたので、そこからは自分の中でプレッシャーは感じずプレーすることができるようになっています。
 メンタルトレーニングのおかげもあって、心身ともに今が一番ベストコンディションだと思います!

- 「なぜゴールボールをやっているのか」という疑問に、ご自身はどう答えますか。 -

 「自分は、何のために自分は競技をやっているのだろう」と考えたときに、金メダルを獲ることだけが、目的ではないことに気付きました。ゴールボールで結果を出すことは自分が成長するための手段の一つでしかなく、目指すものを取るために色々なアプローチをすることの方が大事なのです。

 ゴールボールで負けそうになった気持ちから自分を奮い起こす力というのは、生きていく上で大切だと思います。複雑な人間関係があったり、仕事でミスしたり、そういう時の自己奮起にも通ずるものがあります。結果は、頑張るモチベーションを上げる一つで、そこの過程をいかにより良くしていくかが、大切だということに気づきました。

- 大まかな1日のスケジュールを教えてください。 -

 私は現在、障害者スポーツ選手雇用センター「シーズアスリート」に所属しており、講演会や体幹トレーニングの講師などの業務と競技活動を両立しています。

 基本的には月・水・金の午後は体育館を使用してコート練習、火・木がウェイトトレーニングやインターバルトレーニング、走り込みなどの体づくりに重きを置いたトレーニングをしています。また、土日は合宿や遠征が入ったりもします。

障害者スポーツ選手雇用センター「シーズアスリート」の皆さんと

シーズアスリートのメンバーとの集合写真(右手前)

- 休日の過ごし方、リラックス方法をお聞かせください。 -

 私はマッサージ師でもありますが、逆にマッサージを受けることも大好きで、休みのときなどは自分のケアも含めて色々なマッサージを受けにいきます。

 あとは仕事や練習で、普段合宿や遠征などで外出が多く、家にいる時間を堪能する機会が少ないので、休みの日は一歩も家から出ないで家の掃除をしたり、撮りためたドラマなどをまとめて見たりしています。

休みの日は家でまったり

休みの日は家でまったり

- 最近のお楽しみは何ですか。 -

 食べることが好きで、おいしいハンバーグ屋さんとかよく行きますね。前は甘い物が大好きで、チョコレートやドーナツなどを食べていましたが、あるとき栄養指導の先生から「浦田さんさ、勝つ気あるの?」と言われてしまってから、我慢しています。

女子会で大好きなつくねを食べる

女子会で大好きなつくねを食べる

【※1】ゴールボールとは(日本パラリンピック委員会などより抜粋)

視覚障がいの選手たちが行う対戦型のチームスポーツ。コートはバレーボールと同じ大きさ。ボールはバスケットボールとほぼ同じ大きさだが、重さは約2倍以上の1.25Kg。
1チーム3名で、攻撃側は鈴の入ったボールを相手ゴール(高さ 1.3m、幅9m)に向かって投球し、守備側は全身を使ってボールをセービングする。
選手たちはボールから鳴る鈴の音や相手選手の足音、動く際に生じる床のわずかな振動などを頼りに、攻撃と守備を攻守を交互に入れ替えて得点を競う。試合は前後半12分 ずつの計24分、ハーフタイムは3分で行われる。
選手は視力の程度に関係なく、アイシェード(目隠し)を装着してプレーする。もともとは、第二次世界大戦で視力に障害を受けた軍人のリハビリテーションプログラムとして考案された。


【※2】網膜色素変性とは(日本眼科学会より抜粋)

眼の中で光を感じる組織である網膜に異常がみられる遺伝性の病気で、日本では人口10万人に対し18.7人の患者がいると推定されている。夜盲(暗いところでものが見えにくい)、視野狭窄(視野が狭い)、視力低下が特徴的な症状である。

※後編に続きます

(文:田中 大幾

後編:「音を見る力」とゴールボールの魅力

南関町B&G海洋センターの外観

海洋センターは、大津山自然公園に隣接しており公園内には自然歩道、グランドが整備してあり、自然の中の町民の憩いの場となっております。また、公園内に溜池があり、自然の中で春先から秋口までカヌーに乗ることができます。