スペシャル 夢をつなげ!B&Gアスリート

No.010:青野 鷹哉選手(セーリング競技 シーホッパー級 東京国体 出場) B&G松山海洋クラブ出身 2つの異名を持つヨット少年が障害者アスリートとして再起する!
2017.07.18 UP

プロフィール 青野 鷹哉(あおの たかや)
1995年6月生まれ、愛媛県松山市出身。
小学4年生から本格的にOP級ヨットの練習を始めたB&G松山海洋クラブの第一期生。同年から中学2年生まで、OP級ヨット全日本選手権大会や県外レースに出場し、小学6年生では、「平成19年度B&G四国ブロックマリンスポーツ交流大会」のOPヨット上級者の部で優勝。B&G小笠原クルーズに招待された。
高校進学後は、ヨット部に所属せずに、2013年東京国体6位、光ウィークレガッタ優勝を果たすなど、様々な功績を残す。
しかし18歳の時、沖縄で頸髄損傷の事故に遭い、2年間リハビリに専念。
2018年、広島で開催される「2018年ハンザクラスワールド広島」において、日本で初めて導入された障害者用のリバティクラスに挑戦する。

前編:二つの異名を持つヨット少年

青野鷹哉さんは、愛媛県松山市堀江海岸を練習拠点として、セーリング(ヨット)競技を行うB&G松山海洋クラブの一期生。当時は、2つの異名を持ったヨット少年として、地元ではちょっとした有名人。大学1年生の夏、沖縄での事故を機に、車いす生活となった青野さんは、現在、障がい者セーラーとして、2018年広島県で開かれるヨット大会「ハンザワールド」を目指します。

- 幼少期から海が好きで、小学4年生から愛媛県松山市の「B&G松山海洋クラブ」でOP級ヨットを始めたそうですが、いつ頃からヨットを始めたのでしょうか? -

「小学2年生の時、初めてヨットの体験会に参加しました。最初は海で遊ぶことが目的だったので、通う頻度は年に1回くらい。競技として本格的にヨットを始めたのは"B&G松山海洋クラブ"の発足時で、小学4年生の頃でした」

- 青野さんは他にも水泳やそろばんを習っていたそうですが、数あるマリンスポーツの中で、なぜヨットを習おうと思ったのですか? -

「B&G松山海洋クラブの発足時、学校でチラシが配られたことで、まず興味を持ちました。その後海洋クラブを訪れた時、大学生たちが優しくヨットの乗り方を教えてくれたことで、ヨットをやってみようと思ったんです」

「あと、団体スポーツが得意ではなかったというのも理由の一つです。仲の良い友達のほとんどがサッカーを習っていて、私もサッカーに誘われましたが、頑なに行きたくないと言い張っていました。あまり団体で動くのが得意ではなかったので(笑)」

「ヨットをやっている人って、変わり者が多くて、団体スポーツに向かない人が多いんですよ。自立した人が多いっていうイメージですかね」

ヨットを始めた頃の青野さん


"歌う少年"

小学4年生から本格的にヨットの練習を始めた青野さん。直後から県外のレースや全日本大会にも出場するようになり、すぐに頭角を現し始めました。そんな青野さんの当時の異名は"歌う少年"でした。

- ヨット以外でも別のタレント性があったそうですが -

「僕、歌を歌うのが好きだったんです。学校でも、みんなで歌う中の独唱を任されるぐらい歌が得意で、歌謡曲ではなく音楽の授業で使う曲をよく歌っていました。それで、ヨットの練習中やレース中にも歌を歌っていたら、同じレースに出場していた他の選手が『なんか海の上なのに歌が聞こえる。変な奴がいるぞ』って言いだしたみたいで。自分で言うのもなんですが、僕、ソプラノ声で歌がめちゃくちゃうまかったんですね(笑)」

「それで "歌う少年"という異名が付いて、大会で入賞しなくても、地元ではちょっとした有名人でした(笑)」

小学5年生で別府市のヨット大会に出場。この時から"歌う少年"として知られるようになりました


そんな"歌う少年"青野さんにヨットの魅力を教えてもらいました。

- 青野さんにとって、ヨットの魅力はズバリ何ですか? -

「僕はレース中に風を読む力よりも、事前に戦略を考えたり、ルールを使ってより有利なポジションを取るのが得意なようです。特に、スタート地点は、合図があるまで、狭い範囲に50艇近くのヨットが集まる、レースの中でも1番過密な地点なんです。そこをうまいこと自分だけ有利なポジションを取って、真っ先にスタートを切れるように考えることが楽しかったです」

「ほかにも、ヨットの大会は全国各地の海で開催されるので、その大会に出場するために、様々な所に行けることや、そこで色々な友達を作れることもヨットの魅力のひとつですね」

"練習チャンピオン"

- 当時の練習方法や松山海洋クラブで印象に残っていることは何ですか? -

「練習内容は、どこの海洋クラブでも一緒だと思います。ブイを打ちスタートやレースの練習、また走り合わせ等の練習がメインで、あまり特別な練習はしなかったです。発足したばかりの海洋クラブだったので、コーチが、他のヨットクラブから聞いた練習方法をそのまま持って帰ってくるようなやり方でした」

- 海洋クラブ発足当初は、コーチ陣もOPヨット未経験者。練習方法に四苦八苦していたそうですね -

「コーチは、土日を潰して僕たちにヨットを教えてくれました。だから平日は働いて、土日はヨット。無償で教えていただき、たくさんお世話になりました」

「そんなコーチは、僕のことを"練習チャンピオン"と呼んでいました。練習では勝てるのに、大会では結果が出せないことから、そう呼んでいたそうです(笑)」

「練習の時は速く走れるのですが、大会になるといつも最後に焦って調子を崩してしまうんです。受験やテストとか、ヨット以外では全く緊張しないのですが。コーチには、『お前はヨットの練習は必要ないから、寺に行け』と言われたりもしました」

小学6年生で出場した唐津市(佐賀県)の大会。1人だけ全日本大会枠が取れず、すねる青野さん(前列左から2人目)


その後、青野くんは、地元の中学校に進学し、幼少の頃から水泳を習っていたことから、水泳部に入部。中学2年生の時、OPヨットを卒業し、シーホッパーに艇種を換え、様々な大会に出場していきます。

※後編に続きます

(文・鈴木 慶

後編:"練習チャンピオン"からの脱却と予期せぬ事故

B&G松山海洋クラブは、愛媛県松山市堀江海岸を拠点とし、セーリング(ヨット)競技を行なっています。子供から大人まで、みんなでクラブを運営し、風の吹く日も吹かない日も楽しく過ごします。