連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No.106

水をつかみ、風をとらえて、より速く走りたい!

2014.12.17 UP

~第69回 長崎国体で活躍した、海洋クラブ出身のアスリートたち~

今年も、全国の海洋センター・クラブで練習に励んでいる青少年の皆さんが競泳やカヌー、ヨットの競技で活躍し続けています。9月から10月にかけて長崎県で開催された第69回国民体育大会でも50人の選手が6種目の競技に出場し、19人が入賞を果たしました。
今月の注目の人では、同国体カヌー・スプリント競技少年女子2種目を制覇した山梨県の渡邉えみ里さん(高校3年生)、ならびにセーリング競技成年女子SS級で3位入賞を遂げた大分県の後藤沙季さん(25歳)の2人の選手を取材しましたので、ご紹介します。

●B&G海洋センター・海洋クラブ選手の入賞者を紹介!
●第69回 国民体育大会に出場した海洋センター・クラブの選手(OB・OG含む)リスト

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第3話仲間がいれば、大きな壁も乗り越えられる!(ヨット選手 後藤沙季さん その1)

親子姉妹で入った海洋クラブ

小学2年生のときからヨットを始め、社会人になった現在でも国体などで活躍している後藤沙季さんと、B&G別府海洋クラブ代表の濵本徹夫さん


活動拠点の別府港北浜ヨットハーバーから一斉に海に出る海洋クラブの子供たち。かつては、後藤さんも仲間と一緒にこうして練習に励んでいました

 小学2年生のときに、お父さんの知り合いが企画したという花火大会に出掛けた後藤沙季さん。会場のヨットハーバーには海洋クラブの子供たちがたくさんいて、いつしか一緒になって遊んでいました。

 「この花火大会は、海洋クラブの子供たちを増やしたいと思って私が考えた勧誘のイベントでした(笑)。ですから、その場でお父さんに『沙季ちゃんは、仲良しなった皆と一緒にヨットに乗らないかな?』と誘いの言葉をかけてみましたが、『いやいや、ウチの子は怖がりだからヨットなんて乗らないよ!』と言われてしまいました」

 お父さんの知り合いとは、OP級ヨットの指導者で現在に至るまでB&G別府海洋クラブの代表を務めている濵本徹夫さんのことでした。後藤さんのお父さんも国体などで活躍していた地元出身のヨット選手だったので、濵本さんとは長い付き合いがありました。

 そんな友人の娘さんをクラブに誘って失敗に終わった濵本さんでしたが、その後も諦めずに海洋クラブのクリスマス会に後藤さんを招待。すると、後藤さんは仲間と楽しい時間を過ごして入会することを決めました。

 「ヨットのことを知らない子に、いきなり『一緒に海に出ようよ』といっても無理があります。ですから、まずは楽しい体験を通じてクラブに馴染んでもらうことが大切で、仲間同士の連帯が生まれたらヨットの練習も皆と一緒に切磋琢磨していけます」

 そんな濵本さんの努力が実って新たなメンバーが加わった海洋クラブ。後藤さんも、「学校とは違った友だちができたので、うれしく思いました」と振り返りました。

 また、そんな後藤さんの姿を見て、お父さんも一緒にクラブ活動に参加するようになりました。「怖がりだった沙季ちゃんがヨットに乗るようになったので、お父さんとしてはうれしかったのだと思います」と語る濵本さん。お父さんは、海に出てクラブの子供たちを指導するようになり、まだ幼稚園児だった後藤さんの妹、沙織さんも、お父さんが操船するコーチボートの上で沙季さんの練習を見守るようになりました。

皆と一緒に大会に出たい!

今回の取材で久しぶりに艇庫を訪れた後藤さん。すぐに子供たちに話しかけて、ヨットやクラブ活動の話題で盛り上がっていました

 親子姉妹でクラブに通うようになった後藤さん。小学2年生のときから毎週のように海に出るようになりましたが、ヨットに慣れるまでには少し時間がかかりました。

 「ヨットに乗り始めた頃は、風が吹けば波が怖いし父の指導も厳しかったので、練習はあまり楽しいとは思いませんでした。でも、クラブに行けば仲良しの子たちと会えるので、とにかくそれが楽しみで通い続けました」

 その結果、「気がついたら、皆に励まされながらヨットを乗りこなすようになっていました」と振り返る後藤さん。レースができるまで操船が上達すると、クラブの仲間といろいろな大会に出場していきました。

 「クルマで大会に遠征するときは、仲間とのおしゃべりがうるさくて車内に静かなときがありませんでしたね」と、笑いながら当時の様子を語る濵本さん。気の合う仲間の輪が力になって、クラブは大会に出るたびに成績を上げていきました。

OP級ヨットに乗るジュニア時代の後藤さんの雄姿。JPN3033(国籍を示す公認ナンバー)が誇らしい!


 「そんな活動を続けていくなかで、沙季は小学6年生のときに1つの壁を乗り越えることができました。

 この年は、クラブの仲間たちが春から夏の大会を通じて早々と秋の全日本選手権大会の出場資格を獲得していたのですが、沙季だけはなかなか出場を決めることができませんでした。

 そこで、沙季は仲間に支えられながら皆と一緒に全日本に行きたいという一心で懸命に練習を重ねるようになり、とうとう最後のチャンスとなった大会で良い成績を収めて全日本への切符を手にすることができたのです」

 このときの努力によって、後藤さんの才能が開花したと語る濵本さん。実際、中学生になってからの後藤さんは次々に大きな大会で持てる力を発揮していきました。

待っていた世界の壁

子供たちの国際交流を目的に、2004年に開催された福岡・上海・釜山ジュニア親善OPレースでトップを競う後藤さん(手前)。中学時代からさまざまな国際大会を経験していきました
 
 

 「沙季は、風の振れ具合を感じ取るセンスが抜群に優れています。小学6年生のときに、切磋琢磨しながら自分で見つけた才能でした」

 中学生になった後藤さんは、風を読む優れたセンスを駆使しながら次々に大きな大会で活躍し、2年生の進級を前にして日本ジュニア代表に選抜。2003年にスペインで開催されたOP級世界選手権大会に出場し、その際には同国の日本大使館に招かれて激励を受けました。

 また、続く2004年にも日本ジュニア代表としてエクアドルで開催されたOP級世界選手権大会に出場。女子の部で6位入賞の成績を収めることができました。

 「世界選手権大会に出場できてとてもうれかったのですが、世界中から集まった200艇ものOP級が一斉にスタートする迫力には押され気味でした」

 もともとスタートを苦手にしていた後藤さん。それだけに、たくさんの強豪が集まる大会のスタートで、まさに「世界の壁」を感じたそうですが、2年続けて頂点の大会に出場し、6位入賞も果たした経験は大きな自信になっていきました。(※続きます)