連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 104

いつまでも、力いっぱいカヌーを漕ぎ続けたい!

2014.09.17 UP

~同じ海洋センターの水面から世界に羽ばたいた2人のカヌー選手~

琵琶湖と水路でつながる、滋賀県近江八幡市の小さな湖、西の湖。その湖畔に建設された近江八幡市安土B&G海洋センター艇庫は、一般住民を対象にしたカヌーの普及に利用されているほか、複数の地元高校カヌー部が合同で練習の拠点にしており、今日までに3人の日本代表選手を輩出しています。
その2人、八日市南高校から立命館大学を経て、社会人となった現在も世界の舞台に立ち続けている小梶孝行選手と、八幡商業高校時代から世界に挑み、現在は同志社大学に進んでインカレ制覇をめざしている坂田 真選手にお会いすることができましたので、これまでの振り返りや今後の抱負などについて語っていただきました。
※第1~2話:小梶選手 第3~4話:坂田選手 第5話:地元のカヌー指導者 饗塲忠佳氏の順で、ご紹介していきます。

プロフィール
● 近江八幡市安土B&G海洋センター

平成8年(1996年)開設。水路で琵琶湖に隣接する西の湖の湖畔に艇庫を設け、一般利用に加えて周辺地域の複数の高校カヌー部が練習拠点に活用。これまでに3人の日本代表選手が育っている(今回取材の小梶、坂田両選手。ならびに現在、日本体育大学在学中の中村由萌選手)。また、西の湖周辺のヨシ路は水郷めぐりの名勝として琵琶湖八景の一つに数えられており、カヌーツーリングやキャンプが楽しめる。

● 坂田 真(さかた まこと)第3~4話

平成4年(1992年)生まれ、滋賀県出身。滋賀県立八幡商業高校カヌー部で活躍し(カヤック選手)、3年生のときにジュニア日本代表としてスロバキアで開催された「ピースタニー国際レガッタ」に出場。同志社大学進学後、同校カヌー部に在籍しながら2年、3年生時に日本代表としてワールドカップに参戦。3年生時に第49回全日本学生選手権大会1000mペアで優勝。4年生になった今年は主将を務めながら練習や競技活動に励んでいる。

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第3話夢ではなかった世界の舞台(坂田選手 前編)

頑張れば報われる

兄、従妹と一緒にお風呂に入る幼少の坂田選手(中央)。元気いっぱいに育っていきました

 小学2年生のときからバスケットボールを始め、中学時代までさまざまな大会で活躍した坂田 真選手。ところが八幡商業高校に進学すると、残念なことにバスケットボール部はありませんでした。

 「バスケットボールを続けたいと思っていましたが、中学時代に痛めた膝に負担の少ないスポーツを選びたい気持ちもありました」

 2つの理由が重なってバスケットボールを諦めることにした坂田選手。膝への負担を考慮して跳躍運動のないスポーツを選んでいくと、カヌー部やボート部が目に入りました。

 「聞けば、カヌーもボートも小中学生の頃から始める人が少なく、ほとんどの人が高校から始めるというので、どちらを選ぶにしても多くの同期生と同じスタートラインに立つことができると思いました」

 なぜか母校のボート部は女子ばかりで、反対にカヌー部は男子ばかりだったため、必然的に後者を選んだと振り返る坂田選手。さっそく、練習拠点の近江八幡市B&G安土海洋センターに通いながら、5人の同期生と同じスタートラインに立って練習を始めていきましたが、細身のレーシング艇にすぐ乗れるようになった仲間もいれば、なかなか乗れない仲間もいました。

小中学時代にはバスケットボールに熱中。地元のチームに入って活躍し続けました

 「私もなかなか乗れないうちの1人だったので最初はヤキモキしましたが、自転車と一緒で乗り方を早く覚えようが少しぐらい遅くなろうが、どちらにしても覚えてしまえば後は一緒だと思って焦らずに練習を続けていきました」

 早くレーシング艇に乗れるようになった仲間を横に見ながら、「乗れるようになったら、必ず一番になってやる!」と自分に言い聞かせて練習に励んだという坂田選手。その負けず嫌いの性格が功を奏し、レーシング艇に乗れるようになると日ごとに腕を上げていきました。

 「たまたまカヌーが自分に合っていたのかも知れませんが、一生懸命に練習するほどに走りが良くなっていくので自信がついていきました。ですから、『成績は日頃の努力次第、頑張れば報われる』と思いながら練習に打ち込んでいきました」

絶望から生まれた期待感

今年、江八幡市B&G安土海洋センターで開催されたカヌー体験教室に招かれ、参加者に模範走行を披露する坂田選手。高校に入ったその年に県内チャンピオンになって頭角を表していきました

 練習するほどにタイムが伸びていくことに喜びを感じた坂田選手。その成果は大会に出場するたびに発揮され、デビューイヤーの高校1年生のときに500mカヤックシングルで県内チャンピオンの座を獲得。高校2年の3月に行われたジュニア海外派遣選手選考会では同じ種目で3位に入り、進級後の5月にスロバキアで開催された「ピースタニー国際レガッタ」への出場権を手にすることができました。

 「初めての国際大会に出場したときの第一印象は、U18(18歳以下)の大会なのに参加する海外選手が皆、大人顔負けの体格をしていて驚いたことでした。彼らは、カヌーを漕いでも日本の社会人よりもスピードやパワーが勝っていたので、『本当に同じ歳なのか?』と我が目を疑ってしまいました」

 坂田選手は1500m 、150mカヤックシングルに出場(洪水の影響でコースが変わり、急遽、本来の1000m 、200mから変更)。1500mで22位の成績を収め、150mではゴール位置を間違えて予選落ちとなりましたが、初めての国際大会で得た経験は大きなものとなりました。

 「長距離のレースでは体格差を感じましたが、短距離では思ったほどの差は感じませんでした。というのも、予選ではありましたが、150mではゴールさえ間違えなければ私がトップだったのです。体の大きさはどうしようもありませんが、日本人でもテクニックを磨いて筋力をつければ、海外勢との体格差を埋め合わすことができるのではないかと思いました」

 会場入りした際、体の大きな外国の選手を見て絶望を感じたという坂田選手。しかし、大会を終えてみれば、150mでトップを走ったことから、最初に抱いた絶望的な気持ちは「やればできる」という期待感に変わっていました。

 そのため、日本に戻るとテクニックを磨くためのフォーム改善に取り掛かりながら、積極的に筋力アップを追求。帰国後に行われたインターハイ(全国高等学校総合体育大会)200mカヤックシングルで優勝するとともに、500mでは準優勝を果たし、国体ではどちらの種目でも優勝を手にすることができました。

皆と一緒に勝ちたい!

カヌー体験教室と同じ水面でフォアの練習に励む地元の高校生。シングルで優秀な成績を収めた坂田選手も、仲間と一緒に勝つ夢を抱き続けていました

 「高校時代は、シングルで良い成績を収めることができ、ジュニア日本代表として国際大会に出場することもできました。しかし、団体戦(4人乗り)や総合成績(学校対抗)ではインターハイ優勝という目標を達成することができなかったので、部活の面では不完全燃焼の状態で終えることになりました」

 個人種目もさることながら、仲間と一緒に表彰台のトップに立ちたいと願った坂田選手。インターハイや国体が終わって進学を決める時期が訪れると、大学を出て同じ西の湖で自主練習に励んでいた小梶選手に、そんな胸の内を明かしました。

 「チームや学校で表彰台に立ちたい旨を相談すると、小梶先輩は『自分がいた立命館もいいが、全国から集まったトップレベルの選手たち各々が個人の腕を磨いて、その結果、団体や学校別でも勝つパターンの大学だ。仲間とともに最初から同じ目標に向かって活動したいのであれば、クラブの輪のもとで皆が一緒になって練習に励んでいる同志社大学がいいのではないだろうか』と助言してくれました」

地元の大先輩、小梶選手(手前)と一緒に模範走行を行う坂田選手。小梶選手は、団体や学校対抗で勝ちたいという坂田選手の相談に快く応じてくれました


 小梶選手の話を受け、あえて強豪校を選ばず仲間の行動を重んずる同社大学を選ぶことを決めた坂田選手。すると、そんな話に前後するかたちで、八幡商業高校カヌー部の恩師、富永寛隆監督から、「高校の授業がひととおり終わる2月になったら、大学に行くまでの2カ月間は小梶君と一緒にみっちり自主トレーニングに励め」と提案されました。

 この前年、シンガポールで開催された「第1回アジア大学カヌースプリント選手権大会」に日本代表として出場し、見事に200mカナディアンシングルで優勝を果たした、地元の大先輩、小梶選手と一緒に練習できる、またとない機会を得た坂田選手。2月に入ると、北風が吹く寒い湖面で2人の猛練習が展開されていきました。(※続きます)