連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 104

いつまでも、力いっぱいカヌーを漕ぎ続けたい!

2014.09.03 UP

~同じ海洋センターの水面から世界に羽ばたいた2人のカヌー選手~

琵琶湖と水路でつながる、滋賀県近江八幡市の小さな湖、西の湖。その湖畔に建設された近江八幡市安土B&G海洋センター艇庫は、一般住民を対象にしたカヌーの普及に利用されているほか、複数の地元高校カヌー部が合同で練習の拠点にしており、今日までに3人の日本代表選手を輩出しています。
その2人、八日市南高校から立命館大学を経て、社会人となった現在も世界の舞台に立ち続けている小梶孝行選手と、八幡商業高校時代から世界に挑み、現在は同志社大学に進んでインカレ制覇をめざしている坂田 真選手にお会いすることができましたので、これまでの振り返りや今後の抱負などについて語っていただきました。
※第1~2話:小梶選手 第3~4話:坂田選手 第5話:地元のカヌー指導者 饗塲忠佳氏の順で、ご紹介していきます。

プロフィール
● 近江八幡市安土B&G海洋センター

平成8年(1996年)開設。水路で琵琶湖に隣接する西の湖の湖畔に艇庫を設け、一般利用に加えて周辺地域の複数の高校カヌー部が練習拠点に活用。これまでに3人の日本代表選手が育っている(今回取材の小梶、坂田両選手。ならびに現在、日本体育大学在学中の中村由萌選手)。また、西の湖周辺のヨシ路は水郷めぐりの名勝として琵琶湖八景の一つに数えられており、カヌーツーリングやキャンプが楽しめる。

● 小梶孝行(こかじ たかゆき)第1~2話

昭和61年(1986年)生まれ、滋賀県出身。滋賀県立八日市南高校および立命館大学でカヌー部に在籍(カナディアン選手)。2008年(大学4年生)の全日本学生カヌー選手権大会で個人、団体(フォア)、大学総合すべての部門で優勝。2009年の第1回アジア大学カヌースプリント選手権大会では200mシングルで優勝。現在は、地元企業の和菓子メーカー「たねや」に籍を置きながら日本代表チームの活動に励んでいる。

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第1話夢に見た母校の勝利(小梶選手 前編)

同級生には負けたくない

子供の頃から体を動かすことが大好きだった小梶選手。高校にプールがあれば、中学時代に打ち込んでいた水泳を続けたはずでした

 中学時代、水泳部の活動に励んでいた小梶孝行選手。地元の八日市南高校に進学してからも水泳を続けようと思いましたが、水泳部がなかったため、どんな部活をしたらよいのか迷いました。

 「テニスなどの球技も考えましたが、八日市南高校カヌー部の饗塲監督と知り合いだった中学時代の恩師に勧められてカヌー部に入ることを決めました」

 最初の頃は思うようにカヌーに乗ることができなかった小梶選手。一緒に入部した同級生が一歩先に乗れるようになったことから、「あいつには負けたくない」、「絶対に乗れるようになりたい」と自分を奮い立たせて練習に励んでいきました。

 小梶選手が選んだ種目はカナディアンでした。饗塲監督に勧められたこともありましたが、多くの生徒がカヤック競技を選ぶため、あえて選手数が少ないカナディアンを選んで挑戦したくなったそうです。

 カヌー部の練習は、学校からほど近い近江八幡市B&G安土海洋センターで行われていました。大きな艇庫に広い敷地、専用の浮桟橋から出港して、すぐ目の前に練習水面が開けている恵まれた環境のため、他校のカヌー部もここで一緒に練習をしていました。

 小梶選手も海洋センターに通って他校の選手と切磋琢磨しましたが、それでも物足らず、家に帰るとユーチューブやDVDで強い選手の映像を見ながら、フォームの研究に明け暮れました。

 「私は負けず嫌いの性格なので、自分自身で納得のいくまで研究したいと思いました。でも、いくら強い選手の走りを参考にしたからといって、それだけで良い成績を得ることはできません。高校時代の記録はインターハイ7位、国体6位が最高だったので、どうにか決勝に残れる程度の選手でした」

 しかし、一度始めたカヌーなのだから、なんとか満足できる結果を残したい。そんな思いに後押しされて、小梶選手はカヌーの強豪、立命館大学に進学することを決めました。

北京で知った世界の壁

高校2年生で国体に出場したときのスナップ。最初からカナディアンに的を絞って活動していきました

 立命館大学カヌー部に入ると、強豪校ということもあって日本中から優れた選手が集まっていました。また、練習を見てくれる母校OBのコーチがカナディアンの日本代表選手だったため、小梶さんは先進的な指導を受けることができました。

 「日本代表選手でもある先輩コーチの親身な指導によって、高校時代には考えもしなかった体の動きを学ぶことができ、それまで使っていなかった筋肉を意識して動かすようになっていきました」

 使っていなかった筋肉を使えるようにするためには、厳しいトレーニングが待っていましたが、練習を重ねていくうちに、小梶さんが「飛躍的に変わることができた」と振り返るように、どんどんタイムが向上していきました。

 その結果、3年生になると日本代表チームに選抜。北京のプレオリンピック(オリンピック前年に開かれる前哨戦)に出場することになりました。

 「プレオリンピックということで、ユーチューブなどで見ていた世界トップレベルの選手がずらりと出場していました。そのなかで、私はペア(2人乗り)で予選、準決勝を通過することができましたが、最後の決勝では上位陣に圧倒的大差をつけられてしまいました」

 世界トップレベルの実力を見せつけられた大会だったと振り返る小梶選手。しかし、このときの経験はその後、大いに活かされていくことになりました。

1点差の逆転勝利

海洋センター前の練習水面で模範走行を披露する小梶選手。フォームの研究に明け暮れた高校時代を経て、現在のたくましいパドリングが身についていきました

 翌年に行われたオリンピックの選考会が4位の成績に終わり、残念ながら北京の地をふたたび踏むことがなかった小梶選手。しかし、プレオリンピックの苦い経験を基に、外国人選手並みのパワーを身につけようとトレーニングに励んだ結果、4年生で出場した最後のインカレ(全日本学生選手権大会)で大きな勝利を手にすることができました。

 「大学時代の最後の晴れ舞台でしたから、ぜったいに勝つという信念のもとで、自分が出場する種目すべてにおいて優勝を狙っていきました。特に、フォア(4人乗り)は大学時代にずっと続けていた種目ながら最高で2位の成績だったので、なんとしても勝ちたいと思いました」

 4年生になった小梶選手は、カナディアン部門をまとめるカナディアンリーダーの役を担っていました。シングルやペアの練習も重ねながら、フォアでも率先してチーム全員のフォーム改善を進めて大会に臨み、見事なチームワークを発揮。個人で出場したシングル2種目(1000m、10000m)とともに、このフォア種目(1000m)でも優勝することができました。

 「インカレ男子は、カヤック、カナディアンの2部門に分かれ、それぞれにシングル、ペア(2人乗り、4人乗り)、リレー競技を行いながら部門優勝を競い、さらに両部門の成績を合わせて男子総合優勝の大学を決定します。このとき、私たち立命館大学のカヤック部門は圧倒的な強さで終始2位以下の大学を大きくリードして部門優勝を確定させましたが、カナディアン部門は最後の10000mシングル競技を残して成績ポイント1位の大学を2位で追う展開となりました。しかし、その最後の勝負で1位の大学を抑えて勝つことができ、トータルするとわずか1点のポイント差で部門優勝を手にしていました。ですから、この逆転の結果を耳にしたときは、夢ではないかと思いました」

 カヤック、カナディアンともに部門優勝を果たしたうえで、男子総合優勝に輝いた立命館大学。また、小梶選手自身はシングル2種目、フォア1種目で優勝した実績が評価され、同大会のカナディアン部門最優秀賞に選出されました。
 大学最後の晴れ舞台で大きな結果を残すことができた小梶選手。ここで得た自信は、さらなる高みをめざすための原動力になっていきました。 (※続きます)

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大学4年生のインカレで完全総合優勝を遂げたときのフォアの仲間たち(右端が小梶選手)。カナディアンリーダーとして満足のゆくレースができました

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インカレ総合優勝が母校の広報ブログに取り上げられた際の取材写真。右がカナディアン代表で取材を受けた小梶選手で、左はカヤック代表で2年後輩の渡邊大規選手(注目の人NO.74で紹介)