連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 92

悔しさを乗り越えたら、必ず喜びがやってくる!


2013.09.18 UP

子供の頃、海洋センターで練習を重ねた、競泳のオリンピックメダリスト、星 奈津美さん

現在、たくさんの子供たちが各地域の海洋センターで水泳の練習を続けており、先日、東京辰巳国際水泳場で開催したB&G全国ジュニア水泳競技大会では、24道県から461人の選手が参加して賑わいました。
昨年のロンドンオリンピック女子200mバタフライで銅メダルに輝いた星 奈津美さんも、幼い頃には地元の埼玉県松伏町B&G海洋センターで水泳の練習に励んでおり、高校3年生になって北京オリンピックに出場。その際、思うように実力を発揮できなかった苦い経験を乗り越え、ついに4年後のロンドンで表彰台に立ちました。
「表彰式でかけてもらったメダルの重さに、思わず感激しました」と振り返る星さん。今年8月には思い出の海洋センターで子供たちの水泳教室を開催し、交流を深めてくれました。その際、これまでの道のりについてお話いただいたので、ご紹介いたします。

プロフィール
● 星 奈津美(ほし なつみ)さん

平成2年(1990年)生まれ。埼玉県越谷市出身。1歳半で水泳を始め、小学生の頃はスイミングクラブや地元の松伏町B&G海洋センターで練習に励む。春日部共栄高校時代に頭角を表し、200mバタフライでインターハイ2連覇を達成するほか、北京オリンピックに出場して10位の成績を収める。その後、2010年アジア大会2位、2011年世界選手権大会4位の成績を経て、2012年ロンドンオリンピックで銅メダルを獲得。現:スウィン大教所属。200mバタフライ日本記録保持者。

● 松伏町B&G海洋センター(埼玉県)

昭和63年(1989年)開設。上屋付きプール、体育館で構成。中央公民館と併設されるほか、野球場などを備えた松伏記念公園や多目的競技場を備えた松伏総合公園などが隣接しており、充実したスポーツ・レクリエーション環境が整えられている。

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第3話北京、そしてロンドンへの道

神の試練

 普通の人が1年以上かけて徐々に治療する病気を、わずか3カ月で乗り越えた星さん。運動ができない闘病中も水中歩行で水の感触を忘れないように心掛けましたが、3カ月ぶりに泳いだときは不安もありました。

 「これまで3カ月も練習を休んだことがなかったので、最初は泳ぐ感覚がつかめず少し焦りましたが、徐々に身体が水に馴染んでいきました。ところが、水泳には欠かせない持久力が低下していたので、従来のレベルまで戻すのにはとても苦労しました」

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北京オリンピックの後、星さんは早稲田大学に進学。スポーツ科学を学びながらインカレなどで活躍しました(左から2番目)

 持久力を取り戻すまでは、きつい日々が続いたと振り返る星さん。しかし、練習ができなかった辛さに比べたら、きつくても練習ができる喜びのほうが大きかったと語ります。

 「ですから、いままで以上に練習を大切に思うようになり、苦しくてもがんばれるようになりました。3カ月の闘病は、神様が与えてくれた試練だったと思っています」

 泳げることの喜びをかみしめながら、人一倍、練習に打ち込むようになった星さん。クラブの練習が終わってからも、家で筋トレに励むなどの努力を続けた結果、高校2年生のときにインターハイ2連覇を達成し、その後、北京で行われたプレオリンピックでは自己ベストを3秒も短縮。3年生になると、日本選手権大会で高校新記録を打ち立てて(いずれも200mバタフライ)、北京オリンピック日本代表選手に選ばれました。

すぐに叶った大きな夢

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チームジャパンで練習に励む大学時代の星さん。高地トレーニングも行ってアジア大会では2位に入ることができました(右端)

 病を乗り越えてオリンピックへの道を切り開いた星さん。インターハイで初優勝した高校1年生のときからオリンピックを意識するようになりましたが、まさか高校時代にその夢が叶うとは思いませんでした。

 「インターハイで2連覇したとはいえ、オリンピックの標準記録から3秒ぐらい遅かったので、自分としては高校を出た後のロンドンオリンピックを目標に据えていました。ところが、プレオリンピックで自己ベストを3秒縮めることができたので、期待が高まりました」

 プレオリンピックという大舞台で一気に自己ベストを3秒も縮め、翌年の日本選手権大会を経て北京への道を切り開いた星さん。当初より4年早い夢の実現となりました。

 「オリンピックに出場できること自体はとてもうれしかったのですが、一気にタイムを縮めて代表に選ばれたので国際大会の経験が乏しく、現地に入っても戸惑うことばかりでした」

 水泳のチームジャパンで高校生は星さん1人だけ。それだけに、年上ばかりのチームメイトからは大切にされましたが、本人にとっては想像の世界にいきなり入り込んだ感覚がありました。

 「会場のプールに行けば、テレビで見ていた海外の選手が当たり前のようにいるので、雰囲気に呑み込まれてしまいました。ですから、自分が泳いだレースでさえあまり覚えていなんです。北京オリンピックは、気がついたら終わっていたという感じでした」

 北京オリンピックの結果は、10位。おぼろげな記憶を振り返りながら、後になって決勝レースに進めなかった悔しさがこみ上げました。

めざせ、ロンドン!

 北京オリンピックを終えた翌年、星さんは早稲田大学に進学。次の目標をロンドンオリンピックに据えて練習に励み、200mバタフライでインカレ(日本学生選手権大会)3連覇、100mでも1、3年時に優勝を達成。中国に渡って高地トレーニングも行い、2010年のアジア大会では2位に入る活躍を見せました。

 「高地トレーニングは、酸素の薄い場所で泳ぎ、走るのでとても辛く、一緒にトレーニングする仲間と励まし合いながら行いました。でも、その甲斐あって、2位に入ったアジア大会あたりから身体に力がついた感触を得ることができました」

 その後、星さんは2011年度競泳国際大会代表選考会において、200mバタフライで日本新記録を樹立。続く上海の世界選手権大会でも、更に日本新記録を更新して4位に入りました。

 「世界選手権大会では3位との差は0.01秒しかなかったので、とても悔しい思いをしましたが、ほんの瞬間で表彰台に立つかどうかが決まってしまう勝負の厳しさをかみしめることができました」

 思えば、星さんは全中4位で表彰台に立てなかった悔しさをバネに、高校時代から飛躍していきました。世界選手権大会で同じような悔しさを経験した星さんは、すぐに気持ちを切り替え、新たな飛躍をめざして練習に励んでいきました。 (※最終回に続きます)

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子供の頃に通った思い出の海洋センターで、子供たちの指導に励む星さん。2020年の東京オリンピックに向けて、小さな後輩たちに大きな期待を寄せています

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水泳教室を開催した際は、参加した子供たちから大きな花束をもらいました。「夏生まれなので、ヒマワリが大好き」なのだそうです