連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 92

悔しさを乗り越えたら、必ず喜びがやってくる!


2013.09.04 UP

子供の頃、海洋センターで練習を重ねた、競泳のオリンピックメダリスト、星 奈津美さん

現在、たくさんの子供たちが各地域の海洋センターで水泳の練習を続けており、先日、東京辰巳国際水泳場で開催したB&G全国ジュニア水泳競技大会では、24道県から461人の選手が参加して賑わいました。
昨年のロンドンオリンピック女子200mバタフライで銅メダルに輝いた星 奈津美さんも、幼い頃には地元の埼玉県松伏町B&G海洋センターで水泳の練習に励んでおり、高校3年生になって北京オリンピックに出場。その際、思うように実力を発揮できなかった苦い経験を乗り越え、ついに4年後のロンドンで表彰台に立ちました。
「表彰式でかけてもらったメダルの重さに、思わず感激しました」と振り返る星さん。今年8月には思い出の海洋センターで子供たちの水泳教室を開催し、交流を深めてくれました。その際、これまでの道のりについてお話いただいたので、ご紹介いたします。

プロフィール
● 星 奈津美(ほし なつみ)さん

平成2年(1990年)生まれ。埼玉県越谷市出身。1歳半で水泳を始め、小学生の頃はスイミングクラブや地元の松伏町B&G海洋センターで練習に励む。春日部共栄高校時代に頭角を表し、200mバタフライでインターハイ2連覇を達成するほか、北京オリンピックに出場して10位の成績を収める。その後、2010年アジア大会2位、2011年世界選手権大会4位の成績を経て、2012年ロンドンオリンピックで銅メダルを獲得。現:スウィン大教所属。200mバタフライ日本記録保持者。

● 松伏町B&G海洋センター(埼玉県)

昭和63年(1989年)開設。上屋付きプール、体育館で構成。中央公民館と併設されるほか、野球場などを備えた松伏記念公園や多目的競技場を備えた松伏総合公園などが隣接しており、充実したスポーツ・レクリエーション環境が整えられている。

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第1話表彰台をめざして

気が済むまで泳ぎたい!

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ちょうど2歳になったときの星さん。生まれながらにして水が大好きな女の子でした

 星 奈津美さんが水泳を始めたのは1歳半のときでした。幼過ぎて、本人に当時の記憶はまったくないそうですが、お母さんの真奈美さんがしっかりと覚えていてくれました。

 「奈津美は、生まれたときから水に触れるのが大好きで、お風呂に入れてあげると潜って遊んだものでした。そのようなことから兄が通っていたスイミングクラブに興味を示したため、1歳半の頃からクラブのベビースイミング教室に連れていくようになりました」

 プールに入ると、水を得た魚のように身体を動かして喜んだ星さん。小学校に入る頃には4種目すべての泳法をマスターし、スイミングクラブの練習だけでは物足りなさを感じるほど水泳に夢中になりました。

 「スイミングクラブが休みの日曜日も泳げるので、兄と一緒に海洋センターにも通うようになり、夏休みはスイミングクラブと海洋センターと2カ所掛け持ちで泳いでいました。兄が行かないときも1人で行きましたが、その都度、送り迎えてしてくれた母には苦労をかけたと思います」

 そう振り返る星さん。真奈美さんからは、「どれだけ泳いだら気が済むの?」と呆れられたそうですが、やがてこうした努力が実って大会に出るようになっていきました。

応援ばかりの思い出

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やはり2歳のときの星さん(中央)。すでにスイミングクラブで一生懸命に泳いでいました

 とにかく子供の頃から水に入ることが好きだったと語る星さん。泳いで人と競うことよりも、純粋に水のなかで身体を動かすことに喜びを感じていたそうです。

 とはいえ、スイミングクラブに通っていれば大会に出る機会も訪れます。4種目の泳法すべてを覚えた際、コーチに勧められてバタフライ一筋になった星さん。仲間と一緒にジュニアの大会に出るようになりましたが、いつも下から数えたほうが早い成績でした。

 「小学生の頃は、大会に行っても仲間を応援した思い出しかありません。皆の出場を見送ってばかりいたジュニアオリンピックの晴れ舞台も、中学2年生になる春になってやっと経験することができました」

 いまでも真奈美さんと2人で、「人一倍泳いでいたのに、どうしてあの頃は速くなれなかったのだろう」と話すことがある星さん。応援に回る姿ばかりを見ていた真奈美さんは、「うちの子に水泳の才能はない」と思っていたそうです。

 「それでも私が『泳ぎたい』と言うので、母はスイミングクラブや海洋センターへの送り迎えを続けてくれました。当時、ピアノや剣道も習っていましたが長く続くことはなく、結局、水泳が一番、自分に合っていました。その気持ちを、母はとても大事にしてくれました」

3位と4位の違い

 小学生の頃は、将来、美容師になろうと思っていた星さん。まさか自分がオリンピックでメダルを取るとは夢にも思わなかったそうですが、中学に入ってからは、知らない間にその道を少しずつ歩み始めていきました。

 「中学に水泳部がなかったので、学校が終わると一目散にスイミングクラブに向かい、いつも6,000mぐらい泳ぎました。学校が始まる前の早朝練習も週に2日ぐらいあったので、そのときは5時に起床していました」

 一時期は、電車で1時間ぐらいの場所にあるスイミングクラブに通った星さん。そんな努力を重ねるうちに力がついていき、小学生の頃には超えることができなかった標準記録を初めてクリア。全中(全国中学校水泳競技大会)に出て4位の成績を収めることができました。

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仲間と一緒に練習に励む、2歳の頃の星さん(前中央)。小学校に上がる前に、4種目すべての泳法をマスターしていました

 「全中で4位に入ったことで、いままであまり考えることがなかった競うことへの意識が一気に高まりました。3位までなら表彰台に立つことができたのに、4位ではそれが叶いません。このとき、もう一歩の差で表彰台を逃したことの悔しさを感じ、次はぜったい表彰台に立ちたいと思うようになりました」

 全中4位の成績を収めたことで選手としての自覚が高まり、その後、自分自身の泳ぎが一皮剥けたと振り返る星さん。しかも、中学時代に逃した表彰台を追って高校進学を考える時期を迎えたそのとき、思わぬ話が舞い込みました。埼玉県下で水泳の名門として知られる春日部共栄高校にスカウトされたのです。全国大会で4位になったときの泳ぎぶりを、同校の監督がしっかり見ていてくれたのでした。(※続きます)