連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 90

小さなドングリを集めて、大きく育つ仲間の輪

2013.07.17 UP

~植樹活動に励む、NPO「地球の緑を育てる会」
                       理事長の石村章子さん~

子育てを終えた石村章子さんが、中国の沙漠で緑化事業を展開するNGO「日本沙漠緑化実践協会」の仕事に就いたのは、18年前のことでした。
「銀座で電話当番のような仕事があるけれど、やってみる?」という、いまは亡き主人の言葉に、銀座が大好きな私はすぐOKの返事をしましたが、実はそれが沙漠緑化を旨とする団体のお仕事でした」
石村さんは、その団体で働きながら緑化事業に関心を寄せ、やがて自ら発起人の1人となってNPO「地球の緑を育てる会」を設立。宮脇 昭 横浜国立大学名誉教授が提唱する、「その土地本来の植生を活かした植樹」を広めるようになりました。
「主人は若い頃から環境問題に関心を寄せていました。ですから、仕事に忙しい自分に代わって緑化の仕事を私に勧めてくれたのだと思います」
亡くなられたご主人の思いと共に、苗を育て、木を植えていきたいと語る石村さん。植樹に励む大勢の仲間に囲まれながら、忙しい日々を送る石村さんの横顔を紹介いたします。

プロフィール
● 石村 章子(いしむら あやこ)さん

(昭和18年)1943年、満州国大連生まれ。東京女子大学卒業後、大手銀行入社。結婚退社後は主婦業に専念したが、夫の勧めを受けて1995年から5年間、NGO「日本沙漠緑化実践協会」の事務局長を務める。その後、自ら発起人の1人となって2001年に「地球の緑を育てる会」を設立(翌年、NPO法人化)し、理事長に就任。横浜国立大学の宮脇 昭 名誉教授を顧問に迎え、茨城県つくば市を拠点に社会奉仕活動に励む民間団体「明るい社会づくり筑浦協議会」と手を携えながら緑環境再生事業を進めている。

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第3話土地に生きる力

手作りのボランティアハウス

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トロバコにドングリを撒く会員ボランティアの皆さん。ここから数え切れないほどの芽が出ます

 「地球の緑を育てる会」を立ち上げた後、地元の「明るい社会づくり筑浦協議会」と手を携えながら育苗を始めた石村さん。最初に植えた7000鉢の多くを枯らしてしまいましたが、その後は思わぬ助っ人が次々に現れて活動が広がっていきました。

 「2つの団体から大勢のボランティアが集まるのだから休憩所も必要だろうと、土地を貸してくれた社長さんが選挙用の事務所として使用されていたプレハブのハウスを譲り受け、皆の作業休憩所にと「ドングリ広場」に移築してくれました」

 最初は何もなかったその休憩所も、やがて大工さんが流し台をもらってきて据え置かれ、水道も通るようになって、食事や歓談が楽しめる『ボランティアハウス』として整備されました。

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近くにある競走馬の調教場から届いた馬糞。建設業者からは木屑のチップ、協働する明るい社会づくり筑浦協議会からは枯れ葉(ポットの穴からの土漏れ防止用)が届きます

 「育苗作業に必要なトレイやポット、土などは、明るい社会づくり筑浦協議会の皆さんが持ち寄ってくれて、いつの間にか揃ってしまいました。また、そうこうしているうちに、近くにある競走馬の調教場から馬糞を、また、建設業者さんからは土地造成により生じる木材のチップをいただくようになりました」

 こうして、堆肥には事欠かなくなった会の活動。また当初、植樹の際に使う竹杭はナタを使って1本1本作っていましたが、会のメンバーになった大工さんが電動ノコギリを使った専用の工作機械を考案。誰でも簡単に竹杭が作れるようになりました。

 「気がつけば、いろいろな人の協力や知恵のおかげで一歩一歩進んでいました。いつまでもご好意に甘えているわけにもいかないので、いまは馬糞もチップも有料にしていただいていますが、協力してくれる人は皆、『こんないい活動しているのなら、力になりたい』と言ってくれます」



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かつては選挙事務所だったボランティアハウス。土地を貸してくださった不動産会社の社長さんが探してきてくれました

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会員の大工さんなどが力を合わせて室内を整備。皆の休憩所に利用されています。コミュニケーションタイムも大切な活動の1つです

次々に生まれる知恵

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大工さんの会員が考案した竹杭製造機。誰でも簡単に竹杭が作れるようになりました

 会を立ち上げた後、気がつけばボランティアハウスまでできていた、そんな人の輪の力強さに石村さんは魅せられていきました。

 「このような助け合いの気持ちでつながっていく人間関係は、都会ではあまり経験できません。土地に生きる人たちは、現場で問題が起きても人つながりの力を使って、その場で何とか工夫して解決に努めます。

 藁を圃場から10トン車で運び出そうとしたある日、ぬかるみにタイヤがはまって動けなくなり、策を労すれば労するほど深みにはまりました。明後日の植樹祭を控え途方に暮れたそのとき、一緒に作業をしていた仲間がどこからか太い鎖のチェーンを探してきたうえ、運転手の仲間に電話をすると、先方から、『大型トラックで近くを走っているから、すぐ行くよ』とのこと。やがて、駆けつけたトラックの運ちゃんがチェーンをつないで、藁を積んだクルマをいとも簡単に引き上げてくれました。

 夕日も落ちる頃、心細い思いに駆られた私でしたから、このとき経験した、なんとかしてしまう皆の気転と連携プレイは忘れられません」

 クルマが動けなくなれば、その場で可能な手立てを考えて行動に移す地元の人たちの姿に、都会人にはない頼もしさを感じたという石村さん。会の活動でも、大工さんが考案した竹杭製造機をはじめ、傾斜地でも1人で多数のポット苗を運ぶことができる専用の背負子や、一度に100人が楽しめる鉄パイプ製の特大バーベキューコンロなど、次々にいろいろな知恵が具体化されて盛り上がっていきました。(※続きます)

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一度にたくさんのポット苗を運ぶ専用の背負子。担いでいるのは、地元常陽銀行のボランティアの皆さんです

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鉄パイプをつないで作った特大バーベキューコンロ。ジャイカの研修に参加したタイの研修生が焼きそばを作ってくれています

写真提供:NPO「地球の緑を育てる会」