連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 90

小さなドングリを集めて、大きく育つ仲間の輪

2013.07.03 UP

~植樹活動に励む、NPO「地球の緑を育てる会」
                       理事長の石村章子さん~

子育てを終えた石村章子さんが、中国の沙漠で緑化事業を展開するNGO「日本沙漠緑化実践協会」の仕事に就いたのは、18年前のことでした。
「銀座で電話当番のような仕事があるけれど、やってみる?」という、いまは亡き主人の言葉に、銀座が大好きな私はすぐOKの返事をしましたが、実はそれが沙漠緑化を旨とする団体のお仕事でした」
石村さんは、その団体で働きながら緑化事業に関心を寄せ、やがて自ら発起人の1人となってNPO「地球の緑を育てる会」を設立。宮脇 昭 横浜国立大学名誉教授が提唱する、「その土地本来の植生を活かした植樹」を広めるようになりました。
「主人は若い頃から環境問題に関心を寄せていました。ですから、仕事に忙しい自分に代わって緑化の仕事を私に勧めてくれたのだと思います」
亡くなられたご主人の思いと共に、苗を育て、木を植えていきたいと語る石村さん。植樹に励む大勢の仲間に囲まれながら、忙しい日々を送る石村さんの横顔を紹介いたします。

プロフィール
● 石村 章子(いしむら あやこ)さん

(昭和18年)1943年、満州国大連生まれ。東京女子大学卒業後、大手銀行入社。結婚退社後は主婦業に専念したが、夫の勧めを受けて1995年から5年間、NGO「日本沙漠緑化実践協会」の事務局長を務める。その後、自ら発起人の1人となって2001年に「地球の緑を育てる会」を設立(翌年、NPO法人化)し、理事長に就任。横浜国立大学の宮脇 昭 名誉教授を顧問に迎え、茨城県つくば市を拠点に社会奉仕活動に励む民間団体「明るい社会づくり筑浦協議会」と手を携えながら緑環境再生事業を進めている。

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第1話ポリシーを持って生きたい!

沙漠という字に込めた思い

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中国の沙漠で植樹に励む人々。「地球の緑を育てる会」を立ち上げてからも、石村さんは沙漠の緑化に力を入れています

 大学を出て銀行に就職し、職場結婚を機に退社。その後、家に入って子育てに追われた石村章子さん。ここまでは、ごく普通の話ですが、子育てが一段落した50歳を過ぎてからの人生には、想定外の出来事がたくさん待っていました。

 「子どもたちに手が掛からなくなったある日、主人から、『銀座に電話番程度の仕事があるけれど、やってみないか』と声を掛けられました。場所が銀座なので、通うのが楽しそうだなと思って関係者にお会いしましたが、すぐにでも人手が必要な事情を知って仕事を始めました」

 そこは「日本沙漠緑化実践協会」といい、鳥取砂丘で園芸の研究していた遠山正瑛 鳥取大学名誉教授が会長になって、中国の沙漠に緑を増やす事業を展開している団体でした。「水が少ない場所を緑で潤う土地に変えていきたい」という理由で、団体名に「砂漠」ではなく「沙漠」という漢字を選んだところに、遠山名誉教授の思いが込められています。

 「NGOの仕事は相手国のカウンターパート(国際協力を行う場合の現地受け入れ担当機関)と組んで行うので責任が重く、それなりの覚悟を持たねばできませんが、遠山先生は83歳でこの協会を立ち上げ、96歳で亡くなるまで市民活動による沙漠の緑化に努めました」

 眼光鋭く、使命感にあふれていたという遠山会長。石村さんは、その指導力に魅せられて緑化事業に深く関わっていくようになりました。

 「電話番程度という話は、この仕事を紹介した主人の友人や主人による策略だったと思います。主人は若い頃から、『これからは市民レベルで環境問題に取り組まなければならない』としきりに言っていましたが、私は家事や子育てのことで頭がいっぱいでした。

 ですから、そんな私に何とかして環境問題に関わる仕事に就いてもらうためには、『銀座』や『電話番』といった誘い文句が必要だったのでしょう」

 ご主人たちの策が実って、緑化事業に関心を寄せた石村さん。仕事を始めて3ヵ月後には正式に事務局長に就任し、率先して協会の活動を支えていきました。

木を植える労働組合

 当時、日本沙漠緑化実践協会は、中国の内蒙古でカシミヤの生産を行う企業と組んで沙漠の緑化を進めていました。石村さんは、そのカウンターパートとやり取りしながら、多いときには年間1,000人ものボランティアを現地に送って沙漠の緑化に努めました。

 「最初の頃は個人レベルの参加が多かったのですが、バブル経済の破綻をきっかけに、その反省を含めて環境問題が叫ばれるようになると、企業の労働組合が団体で参加するケースが出てきました。

 理由を尋ねると、『春闘で、ただ賃上げを唱えるよりも、沙漠の緑化で社会貢献に励みたい!』ということでした。

 また、1つの企業の労組が行うと、連鎖的にいろいろな企業の労組が始めるようになり、その影響を受けて学校や行政なども加わるようになっていきました」

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中国、内蒙古の沙漠。壮大な景色に圧倒されてしまいます

 最初の歯車が一回転すると、その弾みで次々に他の歯車が回り始めた感じだったと振り返る石村さん。観光はせず、ひたすら沙漠に木を植えるだけの日程ながら、不満の声はまったく出なかったそうです。

 「そもそも、沙漠に立っただけで人生観が変わってしまいます。小さなことでクヨクヨしていた自分が、雄大な景色に呑み込まれてしまうのです。そこに自分の手で木を植えるわけですから、とても充実した気持ちになります。

 また、私自身もこの事業に関わって大きく変わりました。主婦として母として家を守ってきたことも大事な人生だった思いますが、これからは一人の人間としてポリシーを持って生きていきたいと思うようになりました」

恩師との出会い

 沙漠に木を植える事業と出合って、新たな生き甲斐を見つけた石村さん。しかし、その道しるべを与えてくれたご主人は、仕事に通う石村さんの姿を見届けるかのようにして、静かに他界してしまいました。

 呆然と立ちすくんだ石村さんでしたが、ポリシーを持って生きる道を歩み始めていたことが、悲しみの度合いを薄めてくれました。

 「悲しみを抱きながら、何もしないでボーッと生きていたらネガティブなことばかり考えてしまったと思います。また、体を動かして元気に生きないと子どもたちが心配してしまいます」

 石村さんは、中国だけでなく国内でも緑化活動をしたいと考え、5年間勤めた日本沙漠緑化実践協会を退職。人の勧めもあって、「その土地本来の植生を活かした植樹」を展開する横浜国立大学の宮脇 昭 名誉教授のもとへ相談に行きました。

 「宮脇先生にお会いして、これまで私がしてきた仕事を説明すると、すぐに先生は『立派な事務所など要らない。パソコン1台、電話1台、ファックス1台あれば、どこでも仕事が出来る時代だ。さっそく今日、家に帰ったら新しい団体をつくると宣言しなさい。私も全面的に応援するから』とおっしゃいました」

 いきなり背中を押されて、びっくりした石村さん。しかし、すぐに「そうか、それでいいんだ!」と心を固め、さっそく賛同者を集めて「地球の緑を育てる会」を設立しました。(※続きます)

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中国で植樹のレクチャーを行う宮脇先生。初対面の席でいきなり団体を作ることを勧められた石村さんは、その行動第一の精神に驚かされました

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子育てを終えた後、緑化事業に励んできた石村さん。平成25年度B&G植樹リーダー研修会では、「地球の緑を育てる会」の活動をもとに講演を行いました

写真提供:NPO「地球の緑を育てる会」